第百四話 シーズ、再び
相変わらずラッツ村は、深い雪に閉ざされている。今年は雪の降り方が例年よりも激しく、積雪量が激増していた。村人たちは毎日のように雪かきに精を出し、そのために捨てられた雪が、村はずれの空き地に山のように積まれている。
もう1月も終わろうとするこの日、俺は緊張した面持ちで屋敷に控えていた。言うまでもなく、兄のシーズがやって来るからだ。
すでに彼を迎えるプランはできている。避難所を案内し、村長の家が薬師を迎えて病院として機能し、さらには、その二階では、村の子供たちを集めて寺子屋のようなものができているのを見せるのだ。そこから、避難してきた人々の生活ぶりを見てもらい、最後に屋敷に戻ってきて、そのままお帰りいただくという流れだ。
例によって俺の側には、ハウオウルが控えてくれている。この先生がいてくれるだけで、心強いことこの上ない。さらには、ティーエンたち、村と避難民のそれぞれの代表が顔を揃えている。リハーサルもばっちりで、今回は何とか上手くコトを運べそうなのだ。
ちなみに、屋敷の中にはヴィヴィトさん夫婦とレーク、そして彼女の母親が控えている。クレイリーファラーズは、村のとある場所……ドニスとクーペの店に避難している。決して彼らの作る料理の味見をしに行っているわけでもなく、酒を飲みに行っているわけではない。あくまで避難だ。……これは俺が言っているんじゃない。クレイリーファラーズがそう言えと言ったのだ。まあ、彼女がやりそうなことは大体想像がつくが、それが外れることを心から祈っている。
ヴィヴィトさん夫婦とレーク母子は、お湯を沸かし、甲斐甲斐しく俺たちの世話をしてくれている。この寒風吹きすさぶ中、遠路はるばるやって来る兄のシーズたち一行に、温かい飲み物を振舞おうと、朝からコトコトとスープを煮込んでいる。いわゆるコーンスープだが、これが実に美味い。店で出せるレベルなのだ。レークとその母親はそのスープを作り、ヴィヴィトさん夫婦はお湯を沸かしたり、炭をおこしたりするなどしている。お伴の兵士たちにも温まってもらおうという気遣いをしてくれているのだ。
そんな色々な準備がひと段落して、屋敷の中に静かさが訪れた頃、屋敷の外で兵士と思われる男が大声で、俺を呼ぶ声が聞こえた。
「ノスヤ様! 間もなくシーズ様がお見えになります! ご準備をお願いいたします!」
傍に居たワオンを抱っこして屋敷を出てみると、馬に乗った騎兵が俺の姿を見つけて、一礼をして走り去った。俺はゆっくりと振り返って、後について来たハウオウルたちに笑みを見せる。
「ノスヤ様……って言っていましたね。この間まで、ノスヤ殿と言っていたのに。俺も、出世したのですかね?」
苦笑いを浮かべながらそんなことを話すと、彼らも皆、一様に苦笑いを浮かべる。
「ご領主、また、大変じゃろうが、今回も何とかなりますぞい」
「ええ。俺もそう思います。きっと、無事にコトが済むでしょう」
そう言いながら俺たちは視線と笑みを交わし合い、そして頷く。しばらくすると、先導と思われる二人の騎士が現れる。そのすぐ後に、数十名の騎士たちが現れる。彼らはしばらく丘の下で固まっていたが、やがて、彼らより一回り小さい体躯をした騎士を先頭にして、俺たちの所に進んできた。言うまでもなく、先頭にいるのは、兄のシーズだ。
「やあノスヤ、元気そうで何よりだ」
「あけましておめでとうございます」
「うん? 何? 何だって?」
シーズはキョトンとした表情を浮かべている。まずは先制パンチがヒットしたようだ。一見すると子供じみているが、俺にとっては、この男に一矢報いた実感が得られた。これで精神的に優位には立てずとも、後れを取ることはない。
「いえ、年が改まりましたので、今年もよろしくお願いします」
彼は一瞬、小首をかしげたが、やがていつもの笑顔に戻り、俺たちの姿を見廻す。
「遠いところ、ようこそおいでいただきました。どうぞ中へ。まずは温かいものを飲んでください。避難所にはその後で案内したいと思います」
よし、上手く言えた。紙にセリフを書いて、何度も暗唱したのだ。かまずにスラスラと言うことができた。我ながらよくやった。シーズは俺の言葉を一切表情を変えずに聞いていたが、やがてゆっくりと頷きながら、口を開いた。
「それはありがたいね。すまないが、兵士たちに振舞ってやってくれないか。彼らもこの寒空の中の行軍で、体の芯まで冷えているはずだからね」
彼はチラリと兵士たちに視線を向ける。だが彼らは全く表情を変えず、まるで人形のようにその場に立ち尽くしている。
「わかりました。それではどうぞ」
俺はシーズを屋敷の中に招こうとする。だが、彼はその場を動こうとはせず、俺を眺め続けている。
「ノスヤ、すまないが、人払いをしてくれないか?」
「え?」
「お前と二人で話をしたい」
「え?」
俺はハウオウルに視線を向ける。彼もよくわからないといった表情を浮かべていたが、やがて、仕方がないと言わんばかりに、ゆっくりと頷いた。
「では……」
「いや、そこのご老人も同席を遠慮してもらいたいんだ。あくまで、僕とノスヤ、二人だけにしてもらいたいんだ」
「シーズ殿、この老いぼれに聞かれると、まずいことかの? それは良からぬ話……ということかの?」
「そう解釈していただいて構いません」
シーズは満面の笑みを浮かべて答える。この展開は全く予想していなかった。一体、何を言ってくる気だ? 兄と二人きりなんて……。
俺のお腹がきゅるきゅると痛みだした……。




