01-02 早すぎた真実
何が起きたかさっぱり理解できずへたり込むと、その音を聞いたのか、目の前の女性の銀髪の髪が面倒そうにゆらめき、気だるそうな目がこちらを捉えた。在り得ないものがいると雄弁に語る表情の女性と見つめ合う。
「早っ。戻ってくるのが早過ぎるじゃない。どうなってんの」
どうなってんのと言いたいのはこちらも同じだと思いながら、ノアレが驚いている様をじっくりと眺める。異世界への旅路が始まったと思ったら、休憩しかしていないのに元の場所にいた。近所のコンビニにちょっと買い物に行くお手軽さで旅が終了している。
それとノアレさん、その言葉遣いは何なの。戻ってきた時に見た寝そべって本読む姿は何なの。開架図書室の本は人の魂とかいっていたのに漫画とかあるから不思議だったが、この場所にたくさんある不思議の1つにすぎないと思っていのに、ノアレの暇つぶし用だった。知りたくなかったよ、そんな不思議の真実。
「幹弥様。いつ頃お戻りになったのですが」
「いいよ。無理して丁寧に離さなくても。寝そべって漫画読んでても構わないよ、職員さん」
「無理はしてませんよ。やだなー、幹弥様ったら。それにノアレって呼んでください。もぅ」
「もぅとか可愛いけど、いまさらだよ。大丈夫、寝そべって本読むなんて普通だよ。さっきの言葉遣いだって、口汚いわけじゃないし、全然普通だよ。ただ、神秘性の欠片もないだけで」
「それが問題なのよ。私だって普通に対応したいけど、上からせっつかれるのよ。やれ、気持よく異世界に行ってもらうためにも不可思議感を演出しなさいとか。やれ、君は美人だから丁寧に話せば勝手に女神とか天使って思ってくれるよとか。馬鹿じゃないの。そんなので釣られる奴なんて☓☓だけよ」
あたかも伏せ字のようにノアレの言葉を認識できなかったのは聞き取れなかったからだ。決して見事に釣られた自分が☓☓とか認めたくないからじゃない。
しかし、雰囲気とか作ってたんだな。長台詞やこの場所の説明も雰囲気作りの一環だったんだろうな。別に寝そべりつつ本を読んだからといって幻滅なんてしないけど、なんかキャラを作ってましたと言われると一気に冷めるな。あと、上ってなんだよ。職員とか言ってたから上司とかの役職もいるのか。こんな不思議空間で上下関係ってなんか嫌だ。
「もういいわ。いまさら取り繕うのも何だし。それで、どうしてこんなに早く戻ってきたの」
「それは猪に…、っ姫乃! 姫乃は無事なのか」
「姫乃様? ちょっと待ってて。……安心していいわ。無事助かって、今は安全みたいね。それにあなたがこんな早く戻ってきた理由も分かったわ。アハハハ。相変わらず笑わせてくれるわね。きっと歴代トップのスピード死よ」
「ノアレは姫乃の様子がわかるのか? なんか目をつむって集中したみたいだったけど」
「そりゃ、わかるわよ。言ったでしょ、開架閲覧室の本は読まれるためにあるって。姫乃様の本の管理は私の仕事よ。集中すれば読むことだってできるわ。でも予想外で油断してたわ。あなた、死んだらそのまま戻ってくるのね」
「姫乃が無事でとりあえず安心したよ。でも、予想外ってノアレが把握していないこともあるんだな。開架本のことはなんでも知っていると思ってたよ」
「初めてのケースは何にだってあるでしょ。全知全能じゃあるまいし、この開架閲覧室以外のことはあんまりね。基本暇だから本を読む時間はあって、現世のこととかはある程度知ってるけど。あ、といっても現世の管理職員、司書とかが暇ってわけじゃないわよ。その辺り勘違いしないでね。なんか教会と戦ったり、いろいろな種類の業務があって忙しいんだから」
「そうなのか。なんかどんどん知りたくなかったことを聞かされた気分になってきたよ。それじゃ、これからどうするかな。ずっとここにいるしかないのかな。とりあえずラノベでも読むか」
「だからそれはナシだって。姫乃様のとこに戻りなさい。あなただってそれを本当は望んでいるんでしょう」
「戻れるのならそうしたいけど、それっていいのか。やり直ししてしまって」
「まだ始まって何もしてないし、扉をくぐった意味ないじゃない。それに姫乃様が向こうにいる以上、細かいことをいうつもりはないわよ。別に最初からやり直しというわけじゃないしね」
「途中…死んだ位置から開始されるのか」
「向こうの世界は普通に話が進んでいるって言うことよ。扉の先はあの浜辺から始まるから、開始直後に戻ってきて不幸中の幸いよね。姫乃様とはぐれる事態は避けられるわよ。はぐれちゃダメよ、あなたは姫乃様を異世界へ導いてあげなくちゃ」
「なんでそんなに異世界を推すんだ。扉をくぐる前にも聞いたけど、もう教えてくれよ」
「あなた相手に取り繕うのも今更だし、道を渡り切る時までにカッコいいのを考える予定だったんだけど、もういいわ。ぶっちゃけ、トレンドよ。対応が決まってない本をどうするかで、あなたたちに納得してもらいやすいもの」
「秘密って、考え中ってこと。本当に知りたくなかったよ、そんな裏話」
「でも、受け入れてもらうのは重要なのよ。対応が決まらない本が多くなると書庫は圧迫されるし、未対応のままだと本は傷んじゃうし。でも、日本担当でよかったわ。宗教観は薄いし、主だった創世記も1つだし、創世記自体からして異世界要素がフンダンでやりやすいし。某大陸A区画担当なんて大変らしいわよ。民族の違いで創世記が異なったり、宗教の違いで土地の創世記を受け入れなかったりで、対応が大変らしいわ.ビバ,日本ね」
「なんで閉架とか開架として保存しているんだ。大変なんだろう、対応なり保存しとくのって」
「上の意向らしいわよ。噂じゃ来るべき黄昏時に利用するため、閉架本の英雄とか偉人とかの記録を残しておきたいんですって。開架は歴史に残らない英雄の選別のためにもあるって噂もあるぐらいよ。あっ、これオフレコね」
とうとう噂話にまでなってしまった。こんな話、姫乃にも誰にもできないから安心してくれ、ノアレさん。そろそろ姫乃が本気で心配になってきた。安全と言ってもあの世界で一人きりは辛いだろし、だいぶ長い時間話してしまった気がする。時計の針を見るとまたしても両針が頂上を指していて、時間がわからなくなっていた。
「そろそろあの世界に戻るよ。そういえば、時間で思い出したけど、ケータイとか時計がないんだが開架に写った影響なのか」
「開架というか、この場所の影響ね。本たちは電子機器関係が苦手みたいで、失くなってしまうのよ。とくにスマホとかに異常な対抗心を持っているわ。時計も機械式はグレーだけど、電子式はアウトね。さてと、話をするのは楽しいけど、道を渡るという目的達成が困難になるから、何度もここに戻ってくるのはやめなさいよ。戻るのなら扉でも開けますか。なにせ、あなた一人じゃ開けられないようだかね.アハハッ」
属性がもの静かから活発にチェンジしたノアレに扉を開けてもらい、そこに一歩を踏み出す。開け放たれた扉から漏れる光が自分を包み込み、軽い浮遊感が襲ってくる。
「またね、幹弥様。あなたたちが無事に道を渡り切りますよう、祈っております」
ノアレが口調を改めて送り出してくれる。ノアレのためにも、姫乃のためにも道を渡る目的を完遂しようと改めて思う。
「あっ、そういえば忘れ――」
強い力に引っ張られる感覚が終わり、光が収まる。最後、ノアレが何か言っていたが、途中で移動が始まってしまったのでどうしようもなかった。多少気にはなるが、道を渡りきった時に会えるらしいから、その時に尋ねられるように覚えておこう。
薄っすらと目を開けると、目の前には時間の流れを否定するかのような静かな海が広がっていた。あたりを見回すと、離れたところに姫乃の姿が見えた。助かっているとは聞いていたが、実際に無事な姿を目にすると安心する。
急いで姫乃のもとに向かうと、彼女はそばにある大きな何かに向けて叫んでいる。その大きな何かと姫乃との間に身体を滑り込ませ、姫乃を背にかばう。
「いや、近寄らないでよ、何なのよ、この化物」
「すんません、すんません。でも、落ち着いてください。お嬢さん」
背にいるのは自分に気づかずに何かに抵抗している姫乃。目の前にいるその何かは、ひたすら土下座して謝り倒している大きなワニだった。