01-13 村での平穏
姫乃が起きだした頃、外から博邦の声が聞こえてきた。
ワニの家を訪ねてきたのではなく、外で誰かと話しているようだ。香菜と姫乃を連れて外に出る。
「巻尾さん。今日は一緒に足技をマスターしましょう」
「いや、儂は……しかたない。付き合うよ」
「何やってるんだ」
外でプロレス技の練習に和邇を勧誘していた博邦に声をかけた。誘われていた和邇は博邦が話しかけられた隙に逃げ出している。
「おはようございます、幹弥さん。あっ……巻尾さん、待って」
「香菜と話をする予定だろ。早く中に……巻尾さんって誰だ?」
「誰って、巻尾の和邇ですよ。幹弥さんはまだ会ったことがないんですね」
「会ったことがないというよりも。二人は分かるか?」
「あの人はワニさんじゃないんですか?」
「分かるわけないよ」
香菜も姫乃もやはり分からないようだ。額傷の和邇であるワニとの違いなんて微塵もわからない。
「何か見分けるコツでもあるのか?」
「コツは特にないです。話していると分かるもんですよ」
「そういうもんか。とりあえずワニの家で話をしよう」
「分かりました」
昨日のメンツに香菜が加わり、ここが古事記を模した世界だと告げる。
「古事記の世界ですか?」
「ええ。昨日幹弥さん達には話しましたけど、因幡の白兎と同じ光景に会いました」
「因幡の白兎って、和邇を騙して皮を剥がされるアレですか」
「それだね。そして古事記の世界で俺達が何をやれば異世界に渡れるのかがまだ分かっていないんだ」
「分からないといえば、未練の力もだよね」
「未練の力?」
「意識不明になる前に未練に思ったものが、こっちの世界で新しい力を与えるんだって」
「私が意識不明ですか。そんな……」
「ショックかもしれないけど、それが閲覧室に映される条件なんだって」
「いえ、意識不明なんて意外だったので。それにしても、分からないことって結構あるんですね」
香菜に今だ不明なことを説明していく。未練の力と目的を果たすための手段、どちらも重要な事なのに分かっていない。
「いろいろ考えることがありそうだな。特に未練なんて色んな可能性があるからな」
「何がヒントになるか分からないからね。今までのことも覚えておかないといけないし」
「姫乃さん。そういうことなら記録を取った方がいいんじゃないですか」
「それもそうね」
「あっ。でしたら、わたしが取りますよ。丁度覚えなくちゃいけないですし」
香菜はそう言うと日記帳と筆記用具を取り出した。恐らく私物だろう。
「それって、目覚めた時に持ってたもの?」
「ええ、そうです。持ち物はこれしかないので、私の未練はこれかもしれません。ううん、きっとこれです」
香菜は未練の自覚があるらしい。とても真剣に自分の未練を推測していた。そして、そのまま無言で香菜は日記にこちらの世界のことを書き記していく。
香菜の出す雰囲気から未練はあまり思い出したくない記憶のようだった。それ以上聞かれることを避けるために、日記に向かってペンを動かしているのだと思う。
自分達はそれ以上聞くことはできず、ノアレから聞いたことなどを改めて香菜へと伝え、香菜はそれを書き記していった。
結局、結論としては昨日と変わらなかった。
それから数日を和邇の村で過ごしていった。特にワニや博邦と一緒に訓練や、火の起こし方や食べられる果物などを教えてもらった。イメージとしては棒を手で擦り回すようなイメージだったが、手足の短い和邇はそのような手法は使わずに、鉄棒を何回も打ち叩き、それに粉状にした枯れた植物の茎に押し当てて火種としていた。
博邦や香菜には身体が軽くなる感覚は無く、身体能力は現世のままだった。それでも元々鍛えていた博邦はそれなりの身体能力が有るようだが、ワニや自分に比べると少し劣っていた。
転生人の男組がアウトドアに精を出している頃、女組は何をすれば異世界に渡れるのかを必死に考えていたが、あまり成果はなかった。
「ずっとここにいてもしょうがないよな」
「そうですね」
訓練を終えて、今は博邦と休憩をとっている。潮風が汗を乾かし、皮膚がヒリヒリと痛む。
「やっぱり古事記に書かれることを果たす必要があるのでしょうか」
「そうなると何を実現させればいいんだ」
「国造りですか?」
「確かそれって大分先だろう。因幡の白兎だと結末は八上比賣との契かな」
言っていて、違和感が拭えない。他人の結婚話を阻害する要因なんて今のところないのだから、勝手に成立すると思う。それに全て自分達と関係がないことを目的にしていて、どうにもおかしく思ってしまう。
「ヒロクニ、ミキヤ。休憩中ですか。どうせなら森であっしとも訓練しませんかい」
「額傷さん。森は危なくないですか?」
「薪を取りに行くついでです。森の奥には行きやせんよ」
このまま悩んでいても仕方がない。和邇族の村には世話になっているのだから、手伝いを優先してもいいだろう。
森の傍で薪木を集めた後、ワニの提案で博邦とペアを組む。
「2対1だけどいいのか」
ワニが強いのは知っているし、1対1では勝てないのは分かるが、流石に2対1では勝てるだろう。
「勝ち方の訓練ですから。それにあっしも村の戦士。そう簡単には負けやせんよ」
「幹弥さん。ここは胸を借りましょう」
ワニが合図を出すと、博邦とともに駆け出す。ワニの傍にたどり着き足払いを繰り出すが、ワニは跳びはねるように避けると尻尾でこちらの腹を殴打した。あっという間にやられた自分をみて、まだ少し距離がある位置にいた博邦が足を止める。その時点で勝負は終わっていた。ワニは這うような動きで博邦に近づき、足に噛み付きながら身体を持ち上げていた。
打合せがなかったとはいえ、博邦と全然呼吸が合わず、酷い攻撃になってしまった。
「いきなり連携しようとしても上手くいきやせんよ。役割分担のほうがマシです」
「だな。攻撃のタイミングを合わせるのも難しいしな」
「幹弥さんは僕より大分動きが速いですからね」
連携は一朝一夕では難しい。共に相手取り訓練をしていたので、博邦の力や動きなどは知っているが、速度の差を合わせづらい。
「役割分担なら僕は防御側に回ります。動きが速い幹弥さんが攻撃に回ったほうがいいでしょう」
「とりあえずそれでいくか」
そう言うと博邦は構えているワニへと向かっていく。博邦はワニの射程に入るとワニの攻撃を受け止め始めた。自分はその隙を突くように側面から攻撃していく。
ワニは非常に鬱陶しそうだった。標的を博邦から自分に変えると博邦から狙われ、自分は少し距離を取る。お互い決定打を打ち込めない状態が続くと、ワニは意を決して体当たりを博邦へと繰り出す。重量のある体当たりを受け止めきれず、博邦は後ずさり尻餅をついてしまう。しかし、ワニも体勢を崩している。
勝った。そう思い、渾身の突きをワニの側面から叩きつける。
「ぐはぁ」
ワニの声ではない。自分の攻撃は届いていない。かと言って、ワニは体勢を崩したままだ。では一体誰の声だろう。
この場にいる最後の一人である博邦を見ると、そこには大きく、白くなった博邦がいた。いや、博邦は地面に倒れているから、大きく白いのは博邦とは似ても似つかない別物だ。
「やっと見つけたぞ。この卑劣漢が」
白い奴は博邦に向かって怒りの声を上げている。白い奴には長い耳があり、丸っこい身体と長くはないが大きな足を持っていた。燃えるような真っ赤な目はこちらを全く見ておらず、ただ博邦にだけ注がれている。
「いきなり何だ」
「和邇に恨みはない。だけど、こいつだけは許せん」
白い奴はワニの問いかけには答えず、標的のみを語った。自分とワニは戦闘の構えを維持して、ジリジリと距離を詰める。
「何者か答えろ。博邦は村の客人だ。このまま見過ごすわけにゃいかん」
「ふん。オレは菟族の素菟だ」
そう答えたのは巨大な身体をもつ菟だった。