01-11 古事記の世界
「貴方たちは?」
「君が和邇族の村にいる人間だね」
「貴方たちも閲覧室から来た人ってわけですね」
「あぁ、ようやく会えた」
一月前から和邇族の村にいるという青年が目の前に立っている。和邇族の男衆と共に海から上がってきた青年は、村では見慣れない格好をした自分達を見つけると即座に駆け寄ってきた。
大きく筋肉質な体付きをしているが、話し方は穏やかな青年だった。どこかの高校の制服を着用していているので、姫乃と同じ歳頃だろう。
「その気持ちは多分僕も同じです。どこか落ち着いて話せる場所に行きませんか? 僕は今村長の所でお世話になっているのですが」
「それならあっしの家を使ってくだせい。二人は家で世話してるし、まだ寝ちゃいますがもう一人もいるし、都合がいいでしょう」
「額傷さん。ではそちらに行きましょう」
この青年はこっちの世界に来てから自分達のような人間には会っていないのだと思う。和邇族の面々は良い人だと思うが、自分たちとは種族も、育った年代も、ここにいる経緯も大きく違うのだから、青年の事情を察することなんて無理だ。
ワニの勧めで、青年と自分たちは共にワニの家へと向かう。ワニとオキナは男衆をまだ出迎えるそうなので、砂浜で別れることとなった。
青年は話したいこと、聞きたいことが沢山あるらしく、歩きながらもひっきりなしに話しかけてきる。もっとも自分たちも気持ちは全く同じだけど。
「お二人はこちらにどのくらいいるんですか? 自分は一ヶ月ちょいと言ったところです」
「まだ数日なんだ。こっちに来てすぐにワニに保護されて、ここに連れて来てもらったんだ」
「そうなんですか。それは運が良かったですね。僕なんて最初の数日は大変でした。和邇族に助けられなかったら、本当にやばかったです」
「俺達がすぐワニに保護されたのは君のおかげなんだ。君を助けたことで、漁の範囲を拡大して、頻繁に見廻っていたらしい」
「僕の苦労も報われますね。しかし、丁度いい時に来てくれました」
「丁度いい? 何かこれからあるのか?」
「ちょっと信じられないことが起こったので、誰かに相談したかったんです。僕達のような人じゃないと、わかってもらえないことです」
「私達で良いならいつでも相談にのるよ。わからないことが多いのはこっちも同じだけど」
「ええ。とても助かります。……あのところで、額傷さんの家ってこんなんでしたっけ?」
「ちょっとこっちも色々あってね。中に入りましょ。自己紹介もまだだし、紹介しなきゃいけない人もまだいるから」
ワニの家で車座になり一息つく。
「じゃあ、改めて。俺は治田幹弥、こっちは治田姫乃。苗字だとわかりにくいから、幹弥って呼んでくれていいよ。こんな世界だし敬語とかも無しの方がありがたい」
「私も姫乃でいいからね。あと苗字が同じだけど、私達従兄妹なの。よろしくね」
「僕は入野博邦です。僕のことも博邦って呼んでください、幹弥さんに姫乃さん」
「あと一人、俺達と同じだと思う女性がいるんだが、今は寝ていてね。会ったばかりで俺達も名前を知らないんだ」
「そうですか。……あの幹弥さん。ずっと気になっていたんですけど、やっぱり僕は本当は死んでいるんでしょうか?」
「いや、そうとは限らないらしい。ノアレから聞いていないのか?」
「ノアレさんですか? 閲覧室の人ですよね。もしかしたら言ってたかもしれないですが、そのあまり理解する間もなくこっちに来ていたので。そうか、死んだ訳じゃないんだ」
ホッとしたような表情をする博邦。とても不安だったらしい。
「未練についても聞いてないの? 未練って言っても新しい力みたいなものだけど」
「それは覚えています。でも、実感できることは何もなくて」
「謝ることじゃないよ。起きた時に持ってたものってないの?」
「着ているもの以外は特に。あっ、これを持っていました」
幹弥は制服のポケットから腕章を取り出す。その腕章には生徒会長と書かれていた。
「博邦って生徒会長だったの? 知り合ったばかりだけど、なんか意外」
「お恥ずかしながら。就任して間もないですけど」
「それが未練だったのかな。ありそうな話よね」
「体が軽く感じたりとかはないのか? こっちの世界に来てから力が強くなったとか」
「うん。こんな感じで」
姫乃はその辺にあった木の棒を軽く握りつぶした。また、ワニに謝らなくちゃいけない。
「すごいですね。僕には特にないです。その力、ちょっと羨ましいですね」
「土蜘蛛との戦いでも村の防衛でも役立ったしね」
「土蜘蛛と戦ったんですか? 村の防衛って、この額傷さんの家の荒れようはそのせいですか」
自分と姫乃は今までの経緯を博邦に教え、博邦も自分達に語ってくれた。博邦はこちらに来てどうすれば良いか分からずに数日を過ごしていたようだ。この世界への入口とも言える場所、閲覧室から出てきた場所を拠点として、迷いそうな森は避け、見晴らしの良い砂浜を移動しては戻るということを繰り返したらしい。幸運にも土蜘蛛には見つからなかったけれど、結局何も見つけることができず、力尽きたところを助けられたようだ。それからはワニが言ってた通り、このワニ族の村で手伝いをしているが、この地で何をすれば良いのかというのは分かっていないと教えてくれた。
「お礼のつもりでしたが、手伝いが功を奏しました。それが相談したいことでもあるんです」
「信じられないことと言っていたな」
「えぇ。一族招集で向かった先の出来事です。ノアレさんが言っていた日本の創世というのが、やっと分かったんです」
「ぜひ教えて欲しい。一体何があったんだ」
「向かった先はどこかの岬のような場所でした。和邇達はそこで一列にズラッと並んだんです。海を横切って先が見えないくらいにズラッと。僕は何をやっているのか分からなかったんですけど、さすがに海の中は手伝えないので、最後尾として海岸沿いに並びました。それから暫くして、和邇の列を何かが渡ってきたんです。近くに来て分かりました。白い大きな兎が和邇の背を飛び跳ねていたんです」
「和邇の背を渡る白い兎って、まさか」
「えっ、何よ。幹弥、何か分かったの」
「幹弥さんも分かりましたか。僕もまさかと思って、兎に何をしているのかって聞いたんです。そしたら、兎は僕を飛び越えて陸に降りた後に答えてくれました。"和邇達を騙して海を渡ってるんだ"って」
「それを聞いて和邇はどうしたんだ。やはり皮を剥いだのか?」
「それが違うんです。和邇達は怒って捕まえました。僕は全身の毛皮を剥ぐのか聞きました。それを聞いた兎はすごく怖がって、和邇達も毛皮をとっても自分達には必要ないとか、背を渡られただけでそんなことをする程でもないって言って許したんです。兎は反省したようで、お詫びに毛皮の一部をくれました。和邇達はいらないそうで、鱗のない僕が貰ったんですけど」
そう言って博邦はちょっとした量の白い毛皮を取り出した。立派な毛皮だが、確かに一匹丸々という程の量ではない。
「途中までは昔聞いた因幡の白兎の話なのに、最後が違うな」
「なに? その因幡の白兎って」
どうやら古事記に書かれている因幡の白兎を姫乃は知らないらしく、その概要として兎が和邇達を騙して海を渡ることや、騙されたことに起こった和邇が兎の先進の毛皮を剥ぐこと、その後に出会った大穴牟遲神と八上比賣との話を教え聞かせた。
「違う所はいくつかありますけど、幹弥さんも白兎伝説に似てると思いますよね。日本の創世って古事記のことで、この世界はその一場面じゃないのかなって思ったんです」
「そうかもしれない。兎が和邇の背を渡るなんて早々無いしな」
「でもなんで結末が違うの? 結末って言うより兎への罰かな」
「逸話だからかも知れません。僕も和邇の背に乗って移動することがありますから、背を渡ること自体に和邇が怒ることはないと思います。結構人が良いですし、ここの和邇達」
「そうよね。よっぽどのことでもないと全身の毛を剥ぐなんてしなそう。見た目は怖いけど」
「もしかしたら僕が最後に聞かなければ、兎は捕まらなかった可能性だってあります」
この世界が古事記を模しているのは間違いなさそうだ。ただ、実際は和邇が海洋民族を表しているとか、土蜘蛛が地方の統治者を指しているというような現実的な解釈を差し引いても、古事記の記載そのものではないらしい。
「ここが古事記だとして、一体何をやれば良いのかしら? 古事記に書かれたことをなぞればいいの?」
姫乃の言う通りの可能性もある。でも、古事記をなぞるってのはどの程度だろうか。古事記を全部知っているわけでもないけど、確か場面は飛ぶこともあるし、なにより書かれている期間が非常に長い。因幡の白兎も大国主命の国造りの一部で、まだまだ話は続いている。それに兎の毛皮の時点でもう話が違っている。
「目的は一旦保留にしておこう。なぞることが目的なら兎の毛を剥がなきゃいけないし、こっちの世界に来た時期が人によって異なるのもおかしい」
「そうですよね。僕は古事記の出来事に参加できましたけど、二人は僕が知らせないとその出来事があった事を分からない訳ですから」
「ここが古事記を模した世界と分かっただけでも一歩前進だ。ともあれ、異世界に渡るためにもこれからよろしく頼む」
「ええ。僕の方こそよろしくお願いします。幹弥さん、姫乃さん」