春遠からじ
バキン、と、硬くて歪なハートが割れた。
否、学校から帰ってきた姉貴が制服を着替えもせずに、真ん中から真っ二つに割った。
チョコを持つ手に力を入れたからか、短めのポニーテールにまとめた姉貴の髪が――いや、肩もだけど――揺れた。無表情って言うか、どんな表情とも取れるような、そんなニュートラルな顔をした姉貴。
俯いて軽く目を伏せて二秒。それから、蛍光灯を見上げて――。
溢れる愛情、零れる吐息。
結果は、推して知るべしってことだったんだろう。
センチメンタルでメランコリックな姉貴に、チョコのハートって意外と綺麗に均等に割れるものなんだな、なんて、場違いでどうでもいい感想を僕は抱いていた。
姉貴の片想いの人は僕の部活の先輩で、――そこまで僕と接点があったわけじゃないけど――恋人は居ないって聞いていたんだけどな。……まあ、昨今芸人から政治家まで大流行している二股をかけられなかっただけ良かったね、って話かもしれないけどさ。
ただ、フリーという情報を伝えた僕としては、少しばかりは責任を感じなくも無いわけで……。
十四日が日曜ってことで、今年の本命のバレンタインはフライング派と後出し派、退路を断って当日に頑張る派の三派がせめぎ合っていたらしい。
まあ、当ても無いし、好きな人も今現在いない僕には関係ない話しだけど。
ちなみに姉貴は、先手必勝とばかりに、木曜の夜から隠れてゴソゴソしていたのを知っている。
「結局、ふられたの?」
気を遣った言い方は、かえって傷口に塩を塗りこむことになるかと思って、率直に訊いてみた。が……。
「フグ!?」
姉貴は、チョコと同じくらい腹黒そうな笑みで――半分のハートを僕の口に突っ込んできた。
湯煎して溶かして、型に入れて固めただけ。一口でそれが分かるほど、平坦な味で硬いチョコレートだった。
良くも悪くも、運動部の無骨な姉貴らしい。
カリカリとげっ歯類の気持ちで硬いチョコを歯で削っていく。
「決めたの」
僕の正面に立った姉貴は、凄みのある笑顔を浮べた。
無理に放り込まれた――他人の宛名だったはずの――チョコを飲み込み、小首を傾げて先を促す僕。
「なにを?」
「伝えずに後悔するって」
年子の姉貴は、いつもより大人びた顔でそう呟き、残りの半分のハートを齧った。
良くある三角関係? それとも、単に他の誰かが告白してOK貰ったのを目撃したってだけ? そんな、色々な疑問が浮かんだけど、出歯亀するのも趣味じゃなくて、僕は「ふーん」とだけ答えた。
「アンタも、逆チョコでもすればいいじゃん」
「相手いないし」
学校帰りは雲って灰色の空だったけど、昨日までの寒さが嘘のように今も――と言うより、日が落ちてからの方が温かい。
姉貴はコートだけをハンガーに掛け、僕の正面の椅子に座った。母さんたちが帰ってきて、夕飯になるにはもう少しだけ時間がある。
「春遠からじ」
腰に手を当てて、スイッチを入れずにエアコンのリモコンから手を離した姉貴。そして、すかさずに突っ込みを入れる僕。
「されどサクラチル」
……どこか間の抜けた顔で僕をまじまじと見た姉貴は――。
「良い度胸だ、愚弟の分際で!」
少しだけ元気になって、運動部らしい汗臭い鞄を振り回した。
はぁ、と、思っていたよりも重い溜息をついた僕は、ホワイトデー、一応何か準備しないとな、なんて考えていた。