第七十二話:「これぞドタバタコメディー」
げんなりしている僕とは別に、体育館内のボルテージは最高潮を迎える。まだ第三位なのに盛り上がりすぎだと思う。いや、それ程までに千歳人気が凄まじいと言う事だろう。ならば納得。
「よかったねー、秋ちゃん。みんな、向坂秋とは気付いてないみたいだよ?」
「いいような悪いような……なんか複雑」
「『性別逆転喫茶』で女の格好をしていたら男にしかならない。だが、それでもお前は女と認識されたようだ。おめでとう」
「みんな、その前提を知ってて女だと思ってるからさ。秋ちゃんは本物だよ、おめでとう」
「おめでとうじゃないよ! 本物って何だ、本物って!」
くそう。二人揃ってSだから、必然的に僕がいじられる運命なんだよね。あー嫌だ嫌だ。
「まあ、そう落ち込むな。女の私から見ても綺麗だったから」
「千歳、それフォローになってないよ。秋ちゃん更に落ち込んじゃったし」
「あ、悪い」
「もういいよ……」
最初からフォローなんて求めてないし。もういいもん。放っといて。
と、体が見えない重圧に押し潰されそうになったその時、女生徒達の悲鳴が体育館に反響し、お耳に大変よろしくない影響をくださった。単刀直入に言うと、煩いって事なんだけど。
「な、何だこの絹を裂くような悲鳴は……っ!」
千歳は両耳を押さえ、堪えきれないと言うように顔を歪ませる。キーンっと耳鳴りがする感覚を彼女も味わっているらしい。大丈夫? と気遣ってやりたいが、今は無理。だって僕も耳痛い。もうこれだけで充分なのに、そこで追い討ちを掛ける司会。
『うひゃー! 女子にはちょいと酷な第二位だったね! かく言うわたくしも女子だったりしますが、それは置いておきましょう!』
女子に酷? いまだ悲鳴が轟く中で、千歳と顔を見合わせてスクリーンに目を移す。舞台袖からステージは暗幕で隠れていて、身を乗り出して覗き見ないといけないから大変だ。いちいち面倒くさいと言うのが本音です。
「「あ」」
二人して暗幕の影から見たそれには、クレープを頬張る女性とスーツ姿でソフトクリームを食べる男性が映っていた。どちらも見覚えがある。ありすぎる。って言うかここにいる。
「……壱?」
「……壱人?」
「あはは。撮られてたんだー」
呑気に笑う彼が少々羨ましいです、千歳さん。そう目で訴えると、彼女も同意するように頷いてくれた。いやはや、どうしたらここまで爽やかキャラになれるのか……。
「それにしても、凄い人気だな。お前はアイドルか」
呆れた目を壱に向け、いつもより低いトーンで紡がれる言葉に苦笑してしまう。それを千歳が言うとは思わなかった。自分の事を棚上げしているのだろう。それに壱も気付いているようで、誤魔化すように頬を掻く。
「アイドルって……もうちょっと他に例え方ない? 千歳って昔から例えるのが一般的って言うかさー、独創性が見られないんだよねー」
「バカ。例えに独創性を求めてどうする。簡単な方が分かりやすくていい」
「えー。そんな事ないと思うけどー」
「昔からと言えば、お前はこーんなちっちゃい時から玲奈にベッタリだったよな」
「はいはい。話を変えたいなら言えばいいのに」
「煩い!」
幼馴染みの会話って和むねー。なんかほのぼのするよ、微笑ましくて。僕には幼馴染みって言える人がいないから、こうしてじゃれあう姿がちょっと羨ましかったり不思議だったりする。ま、そんな事どうでもいいか。
『さてさてお次は、お待ちかねの第一位! 皆さん、失恋の覚悟はよろしいですかー!?』
なんだそれ。失恋の覚悟って、大袈裟だなあ。
「って言うか、なんで僕はここにいるの?」
「はぁ? 何をいきなり」
「そんな哲学的な事を聞かれても分かんないよ?」
「いやいや、存在理由とかは聞いてないから。普通に、どうしてここに連れられたのかって事だよ」
「それは――っ!?」
地を這うような呻き声と、天を突き刺すような悲鳴。男女混声の絶叫に、千歳の口が驚きと共に閉じられる。
「さっ、向坂ぁあああ!」
「殺す! 絶対殺す!」
「ひっ、ひぃいいいっ!」
怖っ! 殺すとか、僕が何したって言うんだ! 尋常じゃない殺気を撒き散らすな!
「いやー! アキー!」
「羨ましー!」
「日宮さん可愛いー!」
「……っ? 何故私の名前が出るっ?」
「いっ、壱ぅー! 僕、何かした!? ねえ! 男子の怒りを買うような事しましたか!?」
正に阿鼻叫喚と化した現状に驚いている壱の襟元を掴み、恐慌状態に陥りながらもしっかりと問いかける。
「ちょっ、秋ちゃん落ち着いて! お、男の子は泣かないんだよ!?」
「泣いてない!」
「ええー……」
視界は滲んでいるけど泣いてはいない。でも男の子ってのはジェンダー差別だと思う。男だって泣きたい時はあるさ。そして今がその時!
「うっ、うぅ……」
「うわー! ごめんごめん! 許して泣かないでー!」
「壱人、秋を泣かしたな!? 最低!」
「さっ、最低!? 俺泣かしてないよ!?」
「その前に泣いてないよ! ギリギリで堪えてるんだからねっ!」
そこ、微妙な顔するな! 『扱いに困るなー』って顔に書いてあるぞ! そりゃあ、男が泣いたら気持ち悪いかもしれないけど! って言うか僕だから気持ち悪いのかもしれな――
「向坂くんっ、君はなんて可愛いんだ!」
むぎゅっ。
……ん? むぎゅっ? そ、それにこの声は……。
千歳の顔を恐る恐る見れば、顔面蒼白。壱を恐々と見れば、顔面蒼白。……これはもしかしなくても。
「さ、き、さ、か、くん」
耳に吐息がかかりましたよ皆さーん! はい、犯人確定! よし! それでは――
「――ぎいやあああっ! はな、はな、はな、離せぇ! この変態ー!」
「しゅ、秋を離せ元晴!」
「うーん。いくら千歳の頼みでもそれは無理」
「……秋を離して」
ああ、マズい! 千歳のこめかみに青筋がっ! 怒ってる! 怒ってますよ!
「そんな怒らなくても、後で君も抱きしめてあげるから」
「〜〜っ!?」
怒りのオーラが一気に消えた! しかも鳥肌立ってるし! いつもの強気な千歳はどこへ!?
「四谷先生っ、秋ちゃんを解放してください!」
「解放? なんか物騒だね」
あんたが言うな、あんたが! 実際物騒なんだよ!
『はいはいはーい! それでは、充分に会場が暖まってきたようなので、そろそろご当人達をお呼びしましょう! どうぞ、出てきてください!』
ぐあー! 何と言うバッドタイミング! そして僕は何故ここにいるんだ!
『あれ? もしもーし。斎木くん、向坂くん、日宮さーん? あれー? おっかしいなー。誰も出て来ませんねー』
えー、ちょっとー、などのブーイングの嵐が起きる体育館内。司会者の放送部員は焦りの声を出す。
『だ、誰か様子を見に行ってあげてくださーい』
それからすぐ、ドタバタと荒々しい足音が聞こえてくる。この現場を目撃されてはマズいと思ったのか、自分を拘束している変態の腕が緩んだ。そのスキをついて、腕の中から脱出。一目散に壱と千歳の元へ走った。
「秋ちゃん!」
「秋っ! 大丈夫か!?」
「全っ然大丈夫じゃない……」
「そっ、そうか……」
「そりゃそうだよね……」
「見て、この全身から漂う疲労感。まるで生命力を吸い取られたみたいだよ」
「そ、そうだな。ちょっと痩せたんじゃないか?」
「うん。俺もそう思う」
「この数分間で? だとしたらマジでエナジー吸われてるって」
――っと、こんな話してる場合じゃないよね。足音が段々近付いてきてるし――
「日宮、どうした!? 何かトラブルでもあったのか!?」
大股で駆け込んできた生徒会長の後ろから、ひょっこりと理月さんが顔を出す。
「あれっ? 四谷先生、ここで何してるんですか?」
「あ、いや、特に用はないよ。ただ向坂くんと日宮さんにベストカップル賞のお祝いを……」
はあ? 何言ってんのこの人。さり気なく日宮さんって呼び方を直してるし。……って、待てよ。ベストカップル賞って!
「ま、まさか……また女装しなきゃいけないの? それで全校生徒にカミングアウトっ?」
い、嫌だ……。そうしたら僕は破滅する。明日から『女装好きの変態』と言うレッテルを貼られるなんて御免だ。
「え? 何を言ってるの向坂くん。今からじゃ間に合わないでしょう?」
「あ、それもそうだね」
理月さんの発言に、失いかけていた我を取り戻す。……ん? あれ? それじゃあ、僕ここにいる必要なくない?
「ああもうっ! どうでもいいから早く出てくれないか!? これ以上騒ぎが大きくなると生徒会の立場が悪くなるから!」
「会長、それが本音だな?」
「本音も何も事実だっつーの! とにかく、このイベントの目的は日宮を人前に出すって言う事なんだよ!」
「失敬な。勝手に人を対人恐怖症にするんじゃない」
「日宮が見れれば全校生徒の怒りは治まるの! 分かったか!?」
「まあ、なんとなく?」
「じゃあ早く出ろ!」
「うわっ。押すな押すな!」
「ちょっ、何? 千歳、押さないでよー」
「バカ壱人っ! 私じゃない!」
……何やってんの、あの三人。千歳が壱と生徒会長の間に挟まれて苦しそうなんですけど。その光景はまるで……。……まるで?
「うーん。目の保養になるおしくらまんじゅう?」
「それって例えなの?」
わ、理月さんに変な目で見られた。なんか恥ずかしい。
「や、ただそう思っただけって言うか……」
「そっか。……うん、面白いね」
「そ、そうですか?」
「なんで敬語?」
「いや、面白いなんて言われた事ないからさ……。どう反応していいか迷っちゃったよ」
「そう? そんな事ないと思うけどなあ。四谷先生も――っていないや。どこに行ったのかな?」
……逃げたな。相変わらず神出鬼没な奴め。二度と目の前に現れるな。
「おいっ、梁川! アキくんもこっちに連れて来てくれっ!」
抵抗する千歳と壱を一生懸命に押す生徒会長は汗だくになっていた。こちらに顔を向けて叫ぶ様子はとても必死で、少し同情してしまう。だけど、なんで僕が呼ばれているんですか?
「って言うか梁川?」
「あ、それ私の名字」
ああ、理月さんのかー……ん?
「あのぅ……」
「なぁに?」
「グイグイ押すの、止めてもらえません?」
「無理」
わあ。なんて可憐で綺麗な微笑みでしょう。
「どうしても、止めてもらえません?」
「会長命令ですから」
「あはははは。ですよねー」
「あはははは。そうですー」
……何だこの会話。いやいや、今はこの状況をどうするべきかと考えよ――って、痛いっ!? ちょ、理月さん! 僕の体が会長にガンガン当たってますって! 押してますって!
「いたっ、いたっ!? や、梁川!? 俺も押されてるんだけど!?」
「頑張ってください」
「何を!?」
「ですから、頑張れ」
「詳細を求むぞ副会長!」
「求めないでください生徒会長」
「僕を間に挟んでの喧嘩は止めてくださいっ!」
「みんな、これ以上押さないでよー! このままじゃ俺が一番下敷きになっちゃうってー!」
「ぎゃあぎゃあ喚くな壱人! 私なんて二番目なんだからな! 押し潰された衝撃で口から内臓でも出たらどうする!?」
「その内臓が俺の体にっ!?」
「そう言う問題じゃないだろ、このドアホ! お前なんか舌噛み切って死ね!」
「ひどっ! それが幼馴染みに向かって言う言葉!?」
「知るかそんなもの! 昔は病弱だったが、今は健康なお前に情けをかける気はない!」
「梁川ー! お前は俺に何か恨みでもあるのかぁ!?」
「え? ありませんよ?」
「り、理月さんっ! 痛い痛いっ!」
「大丈夫? 向坂くん」
「何だその扱いの違いはっ! って言うか心配するぐらいなら押すの止めろー!」
「ちょ、本当に痛い! 痛いですってば理月さん!」
「あっ、向坂くん。ブレザーの裾を掴んでるって」
「わっ、わっ! やばっ! 倒れ――うぎゅっ!」
壱の――いかにも圧迫されて自然と声が出ました的な――悲鳴が聞こえ、僕達はいつの間にかステージの上に倒れ込んでいた。壱が倒れる途中で躓いてしまったのだが、条件反射で足を庇った為に体の向きが九十度回転し、千歳と会長の順でその上に倒れ込み、理月さんを背中に乗せた僕が会長の腰元にしがみついていて――もはや将棋倒しでもない――小さな山が出来てしまった。
二階に設置されたライトが一斉にこちら目掛けて向けられ、いきなりの事に目が眩む。失明するんじゃないかと不安になったが、それを見透かしたかのように理月さんが耳元で囁いた。
「大丈夫だよ。失明する程のものでもないから」
「あ、そう……」
それなら一安心だ。ほう、と一息つく。その刹那、下から二段目に位置する千歳が叫んだ。
「お、重い〜〜! お前ら、さっさと退けっ! 私に内臓を吐かせる気か!?」
「ぎゃー! 秋ちゃん助けてー! 千歳の内臓が降ってくるー! 体は大丈夫そうだけど今度は制服が汚ちゃうー!」
「降ってくる訳ないだろうが、この被害妄想者! お前なんか三途の川で溺れ死んでしまえ!」
「俺は死んだ後も死ぬの!?」
「だ〜〜っ! 梁川、アキくん、早く退いてくれぇっ! 日宮と斎木は知らんが、これ以上は俺の身が持たん!」
「会長、どう言う意味だそれは!」
「そうだよー! 千歳は分かるけど俺まで巻き込まないでー!」
「お前もどう言う意味だ!」
「日宮と斎木は運動が出来るだろ! 俺は根っからの文化系なんだよ!」
「そんな事は関係ないだろう! 私だって凄く辛い!」
「この場合は俺が一番辛いよ!」
ああ……何だコレ。視線が突き刺さるように痛いなあ……。
「ごめん、理月さん。起き上がれる?」
背中にしがみついている彼女に問いかければ、あー、と濁った返事が返ってきた。
「ごめん。なんか……足、くじいちゃったみたい」
「……マジ?」
「うん。マジ」
「……実は僕も、くじいちゃったみたいなんだよね……」
だから会長の腰元から離れられないのだ。だって離したら、顎が『ガンッ』ってなるから。何だそんな事かって思った人は気を付けた方がいい。アレって結構痛いんだよ。
「向坂くん……マジ?」
「うん。マジです」
「……あはは。困ったねぇ?」
「……あはは。困ったよー」
……本当に、困った事になりました。二人で苦笑いを交わしている間も、下の争いは続いている。
「かっ、会長!? なんか頭に冷たい水が!」
「あ、それ俺の汗だわ」
「なあっ!? 拭けっ! 今すぐ拭けぇっ!」
「どう考えても無理だろ」
「別にいいじゃんかー。もう諦めなよー」
「私に他人の汗を被る趣味はないっ!」
……や、本当に困ったなあ。
あ、そうそう。スクリーンに映っていた写真は、僕が千歳の口についていたチョコレートを拭っている瞬間だった。これがベストカップル賞なんて、今年の学園祭ではカップル来客率や学校内でのカップル率が少なかったんだろう。不運な年だなあ、全く……。