第六十六話:「お化け屋敷」
丸テーブルに座る僕を除いた兄妹。視線が集中しているのに気付いているのか気付いていないのか、それぞれがそれぞれ、様々なリアクションを示している。
僕はそれを遠巻きの一人として見ていた。だって、一緒にいると目立つから嫌だし。もう手遅れな感じもするが。
「秋」
汐姉が指をパチンと鳴らし、僕の名前を呼んだ。ここは指名制じゃない。でも名前を呼ばれたからには、行かなくちゃならないだろう。って言うか凄い様になってたよ、指鳴らすの。
「はい。何でしょうか、お客様?」
「私そっくりの外見でその口調、気持ち悪いから止めて」
「……」
酷くない? ねえ、酷くない? もうちょっと言い方あるよね?
「まあそんな事はどうでもいいわ。ケーキセット二つで、ドリンクは紅茶ね。ケーキは私と菊花の好きなヤツでお願い」
「汐姉はチーズケーキで、菊花は苺のショートだよね?」
「そう。よく出来ました」
頭を撫でられた。圭司の視線が刺さるように痛いです。
「善也と裕太はどうするのよ?」
「あ、ぼくはコーヒー」
「おれ、オレンジジュースがいい」
「牛乳飲みなさいよ、牛乳。あんた、小さいんだから」
「小さい言わないでよ!」
「だって事実じゃない?」
「ちょっと静かにしてよ。営業妨害だって。僕が怒られるでしょ?」
桐谷さんの視線を感じてハラハラドキドキしていると、菊花が含み笑いをして僕を見た。菊花がこの笑顔を浮かべる時は、何かある時なのだ。
「秋お兄ちゃん、任せてください」
何を? と思ったが、それを口にする前に、菊花は動き出していた。
「汐お姉ちゃん、ユウちゃん、喧嘩は止めてください。それ以上続けるのなら、嫌いになります」
途端に、姿勢を正す二人。その様子に菊花は満足げに微笑み、善也兄は苦笑い。これからは心中で菊花を『影の統率者』と呼ぶ事にして、厨房へと急ぐ。
そこで見た光景に、唖然して、絶句。厨房係、総勢十三名は、我が兄妹を一目でも見ようと身を乗り出して、本来やるべき仕事を怠慢していた。仕事しろよ。
○○○
働いて働いて、ようやく訪れた休憩時間。
やっとこの忌々《いまいま》しい制服を脱げるのか、と安堵したのも束の間。
「あ、それ脱いじゃダメ。向坂くん、まだあるんだから。二時間したら帰ってきてよ?」
美少年スタイルな桐谷さんから言い渡された死刑宣告に、肩を落としたのが二十分前。
今は女装したまま兄妹と校内を回ってます。視線が痛いよー。
「あっ、ここ面白そうじゃない?」
汐姉が指差すのは、『Haunted House〜trick or treat〜』と書かれている看板。要するに、お化け屋敷だ。
比較的楽な出し物として知られるお化け屋敷は、人気のあまり、各学年に一つと言う特別措置が設けられていた。そうしなければ、全学年の大体のクラスがお化け屋敷を希望するだろう。さて、今年の幸運なクラスはどこかな……って。
「特進クラス!?」
生徒にのみ、事前に配られたパンフレットに書かれていたのは、特進クラスだった。って事は、必然的に千歳も中にいる訳で。
うわぁうわぁうわぁ。なんか、複雑と言うか何と言うか。とりあえず言えるのは、今の姿を見られたくないと言う事だけだ。でも、千歳は一体どんな格好をしているのか見てみたい気もする。いやいや、待て。今の僕を見たら引くって。見られた瞬間、色んなものが終わりそうな気がするし。あー、でもやっぱり見てみたいなー。どんな仮装してるんだろ。
「秋。あんた、お化け屋敷が怖いの?」
「怖くないよ」
押し黙り、その場から動こうとしない僕を、汐姉は勘違いし、からかいを含めた声音で言った。
僕は、少なからず負けん気が強いと自負しているつもりだ。なので汐姉の物言いに、少しムッとして、条件反射と言わんばかりに言い返してしまった。
「じゃあ、入れるのよね?」
「う、うん」
「決まりっ。さあ、みんな行くわよっ」
後悔しても、遅かった。
「菊花、私から手を離さないようにしなさいよ?」
「はい。でも、大丈夫ですよ。お化けには自信がありますから」
「自信って何だよ、菊花。意味わかんねーって。なあ、善也兄ちゃん?」
「うーん……。ぼくには何とも言えないなあ。でもね、菊花? 無理は禁物だよ?」
扉の奥に消えていく兄妹達の後ろ姿を見て、思う事がある。
僕の負けん気は、矯正が必要のようだ。
○○○
右を見ても人っ子一人おらず、左を見ても同じ。流石、我が校の中にある教室で一番の面積を誇る特進クラスだ。暗幕が垂れ下がる室内はまるで迷路のように入り組んでいる。
……ま、何が言いたいのかって言うと。僕、迷子になりました。
説明するには約三分前に遡る。
三分前、出てくるお化け(生徒)があまりにもリアル且つグロテスクな特殊メイクを施されていて、その尋常じゃない怖さに菊花が恐慌状態に陥った。それにキレた汐姉(妹を愛して止まない)が出てきたお化け(生徒)を次から次へと蹴り倒し殴り倒し、トドメの一本背負いを決めていた。それを止めようと善也兄は奮闘し、裕太は菊花を慰めようと奮闘し。そして僕は、何故か執拗に追いかけてくるお化けから逃げ回っていた所、いつの間にか一人になっていたのだ。って言うか、お化けにストーキングされるってどうよ?
「……くっ」
何だか別の意味で背筋が寒くなったので、気分を紛らわすように歩き出す。
一人になった途端に心細い。自然と早足になりながら暗幕で仕切られた角を曲がると、道は行き止まりだった。――問題は、他にある。
「――」
声が出なかった。驚きでもなく、恐怖でもなく、異常なまでの美しさに。
そこ一点だけにスポットライトが当たり、豪奢な椅子に座るのは人形のような少女。黒と白のコントラストが映えるヒラヒラした衣装。薄布が幾重にも重ねられた膝上のスカート。手首まで覆い隠す袖。衣装のそこら中に散りばめられたリボン。膝を包む黒のニーハイソックスに、それと同色のブーツ。
紅い唇。閉じられた瞼。漆黒の長髪はツインテールに結い上げられ、爪には光沢を放つメタリックな黒いマニキュアを塗っている。
眠るゴスロリ少女。そんな言葉が頭を過ぎった。と言うか、見覚えあるよ、この人。
じっと見つめていると、少女の目が徐に開かれていく。瞼の奥にあったのは、血のような真紅の双眸。――この学校で、紅い瞳と言ったら一人しかいない。
「おや。ここまでたどり着けるとは、中々肝の据わった女性だな」
「え、いや、あのー」
なんか勘違いされてる。主に性別とか。
「褒美に、貴方の名をこれに刻んでやろう」
そう言ってどこからか取り出したのは、小さな手のひらサイズの十字架。これが景品って訳か。……や、可愛いですよ? (女の格好をした)男の僕からでも、センスの良さが分かります。でもさ、ちょっと待って。って事は、ここゴール?
「さあ、名前を述べよ」
「あ、向坂秋です」
「は?」
真紅の双眼が、目いっぱいに見開かれる。
「しゅ、秋? 向坂秋って、私の知ってる向坂秋?」
「ま、まあ……」
「おまっ、何だその格好はっ」
「これは桐谷さんの陰謀だよ。千歳こそ、そのゴスロリは何なの?」
「こ、これは遍の陰謀で……」
「……千歳も苦労してるんだね」
「お前もな……」
痛々しい空気が僕らを包んだ。