第六十五話:「前途多難」
屈辱だ。何故僕が、こんな醜態を晒さなければならないんだ。
今すぐカツラを投げ捨てて、この制服を脱ぎ捨てたい。でも出来ない。そうすれば僕は明日から『露出狂』と呼ばれる事になるだろう。それは嫌だった。
状況を説明すると、僕は今、女装姿で校内を歩いている。『性別逆転喫茶に来てね♪』と書かれた看板を掲げながら。
事の始まりは、桐谷さんが僕を『宣伝係』に任命し、プラカード(手持ち看板)を渡した事からだった。
『秋子ちゃん、これ持って校内回ってきてね? 拒否したら怒るよ?』
笑顔で脅されては、断れるはずもなく。
そんな訳で、僕は今、校内を回っているのだ。
校内には生徒と部外者が入り混じり、大変な混雑模様。しかし不思議な事に、僕が進もうとすれば道が出来ていた。モーゼか。いや、それより、そんなに気持ち悪いのか僕の女装姿は。
「……」
ジロジロ見られると、居心地が悪い。
それに、ひそひそ話も止めてほしいのだが、仕方ないだろう。『性別逆転喫茶』と書かれた看板を掲げているのだから、『僕は男です』とでも言ってるようなものだ。だって現に、『あの子、男かな?』とか『女にしか見えなーい』と聞こえてくる。悪かったな女顔で。聞こえないと思ったら大間違いだぞ。
と言った感じで、僕は今、色々な意味で機嫌が悪い。無愛想でここまで歩いて来たのは、それが理由である。女王様、とかまた聞こえてきたけどもう知らない。勝手に言ってろ。
○○○
校内を全て回り、教室に帰ってくれば。
「「いらっしゃいませー」」
ナースの佑樹とバスガイドの圭司が迎えてくれた。口紅が嫌に赤くて気持ち悪い。全体図は放送禁止並みにグロい。あと服のボディラインがゴツくてなんか嫌だ。
「あっ、なんだ秋かよ」
「違うわよ佑子! 秋じゃなくて秋子ちゃん!」
「ああら、ごめんなさいね圭子! 秋子ちゃんもごめんなさぁい!」
「バカじゃないの」
案外ノリノリな二人を無視し、中に入って桐谷さんを探すが、すぐに見つかった。執事服を着ているのが桐谷さんだ。今は女性客を接客している最中だが、僕も給仕係なので声をかけるのは何らおかしくない。
「桐谷さん」
「はい?」
軽く肩を叩けば、桐谷さんは笑顔で振り向いた。接客サービスの基本である笑顔は完璧のようだ。
「あ、向坂くん。もう終わったの?」
「うん。次は何をすればいい?」
「じゃあ、お客さんのオーダー取ってくれる?」
「分かった。……?」
話していると、桐谷さんの肩越しに、こちらを食い入るように見つめる四人組の女の子に気付いた。外見は幼い。中学生ぐらいだろうか。
「あ、あの」
四人組の内の一人――スポーツでもやっているのだろうか――日に焼けた女の子が声を上げた。
桐谷さんはそれに完璧な笑顔で応じる。
「はい。何でしょうか?」
「その綺麗な人は、男の人なんですか?」
「……」
「……」
思わず唖然。ここは『性別逆転喫茶』だ。だから男は女装し、女は男装する。この子達もそれを知っているはずなのに、まるで信じられないと言うように聞かれるとは……。
「……ぷっ」
桐谷さんが堪えられないと言う感じで吹き出した。気持ちは分からなくもないけど、そこは無理をしても堪える所だよ、桐谷さん……。
その後、どのお客さんに接客しても同じような事を聞かれる。僕の女顔はそこまで重度のものなのか。
そう思いながら厨房係――飲食店は、学校側から簡易キッチンを用意してもらえる。教室がだだっ広いので、スペースに困る事はない――から注文の物を受け取った際、横にいた桐谷さんが慰めるように肩を叩いてきた。
「さ、向坂くん。そんなに落ち込まないでよ……」
「……桐谷さん、顔が笑ってるよ」
呆れ半分、怒り半分で笑う美少年ルックスな桐谷さんを見た――その時だった。
聞き覚えのある声が耳に届いて、まさかと思いながらその方向を見る。
「あら、秋は? 見当たらないじゃないの」
人差し指を唇に当て、物足りなさそうにする美女。
「汐。秋は逃げないから落ち着きなよ」
その美女の頭を軽く撫で、困ったように笑う美青年。
「ここに秋お兄ちゃんがいるんでしょうか?」
美女と手を繋ぐ、儚げな雰囲気の美少女。
「でもここの看板、性別逆転喫茶って書いてあったよ?」
少し小さい印象を覚える、幼さを残す顔立ちの美少年。
教室の扉に、見覚えがありすぎる顔が勢揃いしていた。
あまりにも異質。美女は高貴な雰囲気を惜しげもなく出し、美青年は丁寧な物腰を徹底し、美少女は可憐な表情を崩す事なく、美少年は陽気な笑顔を浮かべている。いつ見ても、完璧に整った容姿をお持ちな我が兄妹。
給仕係もお客さんも、突然現れた四人に釘付けで、教室は静まり返る。美形を見慣れているであろう桐谷さんでさえ、四人が出すオーラに圧倒されていた。
何でここにいるんだ。学園祭には絶対来るなって言ったのに。まあ汐姉が従う訳ないと思ってたけどね。言っても言わなくても、みんな来てただろうし。
「桐谷さん、ちょっとこれ持ってて」
「あ、ああ、うん……」
手に持っていた皿を桐谷さんに渡した後、溜め息をついて、四人の元へ向かった。
「何してんの、みんな」
そう口に出せば、四人は目を見開き、絶句した。僕だって、今更気付いたみたいだ。
「う、嘘……秋なの?」
「汐姉、顔をペタペタ触るの止めて」
「す、凄い。高校生の時の汐にそっくりだよ……」
「善也兄、そんなに目ぇ擦ったら赤くなるって」
「秋お兄ちゃん、どうして女子制服を着てるんですか?」
「菊花、色々な事情があるのさ」
「秋兄ちゃん、ついにそう言う趣味が……」
「裕太、ねえ裕太。君、表の看板見たでしょ?」
兄妹達に触られたりイジられたりしながら、頭の片隅で考えていた。
いまだ向坂ブランドは、絶大な人気を誇る。その証拠に、後方から聞こえてくる様々な囁き。
僕は美形兄妹に囲まれて、この学園祭を乗り越える事が出来るのだろうか。
「ねえ、秋?」
「うん? 何?」
「写真、撮ってもいい?」
「ダメに決まってんでしょ」
「ケチ」
「ケチって……」
なんか、前途多難だ。