第五十七話:「専属モデル」
あれから何事もなく時は過ぎた。
ちょっと変わった事と言えば、ふとした瞬間に視線を感じる事や、英語の授業で四谷先生がやたらと僕を当てる事だ。あと、答えてる時、凄い見られてる。
それから一つ気付いた。どうやら僕は嫉妬深いらしい。千歳と四谷先生が仲良そうに歩いている姿を見かけると、どうも嫉妬してしまうのだ。
その逆に、斎木先生と壱が一緒にいる所を見ると、笑いそうになってしまうけど。だって、壱の顔が心底嫌そうに歪んでいるのだ。滅多に見れない表情だから、写メで永久保存したかった。
まあ、ここ二週間で思い付く変化と言えばそれだけ。
案外、平和な日々を過ごしている。
○○○
ある日の放課後。
「秋ちゃーん、一緒に帰りましょー」
そう言いながら教室に飛び込んで来た壱を、クラスメートの『またか』と言うような視線が突き刺したのは、言うまでもない。
そして有無を言わさず連れて行かれた先は玲奈さんのお店。
「壱、玲奈さんに何か用なの?」
聞けば彼と玲奈さんの関係は、母と息子から、よく分からない関係に変わったらしい。正直言って、理解不能だ。まあ要するに、進展も悪化もしてないと言う事だろう。
「玲奈さんがさっきメールで、秋ちゃんを連れて来いって」
「……」
なんか嫌な予感しかしないんですけど。
「大丈夫、大丈夫。玲奈さん、秋ちゃん気に入ってるから、取って食われるような事はないよー」
「何かあったら助けてよ?」
「責任とってお嫁さんにもらってあげようか?」
「バカじゃないの?」
「……秋ちゃん、最近毒舌だね」
「煩いな。さっさと行くよ」
「はいはーい」
涼しそうな店内へ、壱より一足先に入った。
真っ先に目に入ったのは、赤い髪をした長身の男性。その姿に違和感を覚えた。原因は、センスの良さを感じる洒落た服のせいだと気付く。
「真幸、さん?」
「あん? 何だよ――うおっ! あ、ごほん! あらぁ! お久しぶりねぇ!? 元気だったぁ!?」
「……」
必死すぎて引いた。外見が男なのに、オネエ言葉を使っているから、余計に引く。
硬直した僕の後ろからやって来た壱が真幸さんの存在に気付いたようで、声を掛けた。
「あれ? マサくん、何その格好。珍しいね、店で普段着なんてさ」
「ああ、いや……出掛けようかと思ってた時、社長から突然呼び出されたから。この格好じゃ、オネエ言葉になれねーのに……」
「あ、マユさんは?」
「真弓は社長に呼ばれて事務室に行った」
「へー。でも、一体なんなんだろうね?」
「さあ? 社長の考えてる事は分からん」
男らしい真幸さんと普通に会話をしている壱。玲奈さんが店の奥から出てきたのは、これから約三十分後の事なのだった。
○○○
目の前には様々な衣装と、玲奈さん。あと、鏡の前で座っている僕。
「あのー……」
「何?」
「どうして僕はここにいるんでしょうか?」
「あら、分からないの? モデルの件、忘れた訳じゃないでしょう?」
やっぱり……。薄々感づいてはいたけど、とうとうこの日が来てしまったか……。
「分かりました。約束は守ります」
「うんうん。いい子ねぇ。でも、もう一つ、お願いがあるの」
「……何ですか?」
「ウチの専属モデルになってくれない?」
……は?
「無理です! それに、一回だけって言う約束ですよ!?」
そう言うと、玲奈さんの目が鋭くなった。それを見て、まるで蛇に睨まれたカエルのように、動けなくなる。
「私の言う事が聞けないっての? これでも若い時は、色々と悪さをしてきたのよ?」
それ、脅しです。
「で、でも、僕なんかが専属モデルになっても……」
「私、その、なんかって言葉、嫌いなのよね。……分かった。じゃあ、勝負しましょう」
「しょ、勝負?」
いよいよ話が物騒になってきたぞ。
玲奈さんがあまりにも神妙な顔をするので、緊張してしまう。
勝負って、一体?
「秋くんが表紙で、五十万部売り上げたら、貴方はウチの専属モデル。売れなかったら、モデルは一回きりよ。どう?」
想像より酷くない勝負に、ホッと息をつく。僕が表紙で五十万部とか、絶対に無理な話だ。この話は、有利すぎる。
「文句ない?」
「……はい」
頷くと、玲奈さんは満足げに笑った。
「秋くん、正々堂々と勝負しましょう」
「はい」
「じゃあ、真幸を呼んでくるから、待ってなさい。ビシバシしごくつもりだから、覚悟しておくように」
その言葉に、背筋が寒くなる。僕、しごかれるんですか?
「勝つのは、私よ」
勝利を確信して微笑む玲奈さんは、何故かいじめっ子を見ているような感覚がした。
○○○
「秋くん、もうちょっと自然に笑って見せて?」
「はあ……」
レンズの向こう側の真弓さんが、顔を歪めている。そこまで酷いものなのだろうか、僕の顔は。
今、僕が着ているのは、白いシャツに黒いスラックス。そして首に巻き付けた黒と白のグラデーションが施されたストール。
今年の秋の新作として売り出されるメンズファッションらしい。
「秋くん、レンズを見つめて」
真弓さんがレンズを指差す。目は自然と指を追った。
「はい、そこで物憂げな、気だるい感じの表情」
難しい注文だ。思わず顔をしかめた僕に、真弓さんが解決策を提案する。
「最近、何かもやもやする事ない?」
「もやもや……あ」
一つだけある。四谷先生と、千歳が並んで歩いている時。
ああ、思い出すだけでもダメだ。胸がもやもやする。
「あ、その表情いいね」
「……そうですか?」
「うん。じゃあ、今度はもう一回、笑って見て?」
「……」
「あー、他の表情は全部いいのに、どうしてこうも笑えないのかな……」
真弓さん、本人が目の前にいますよ。
顔を引きつらせながら壱と真幸さんの方を向くと、二人は苦笑いをして目を逸らした。薄情者達め。
内心溜め息をつきながら視線を戻すと、こっちを見ていた玲奈さんと目が合う。
「……秋くん、目をつぶって。家族でもいいから、好きな人を思い浮かばせなさい」
玲奈さんの助言に従い、目を閉じる。
好きな人と言われて、真っ先に浮かぶのは――彼女だった。
「その人と貴方は、手を繋いでいる。笑い合って、話している」
彼女と手を繋いでいる。笑い合って、話している。
それはとても、恥ずかしくて幸せな想像だった。
「――さあ、目を開けなさい。貴方はその人に、笑いかけるの」
目を開けて、いるはずのない彼女に笑いかける。この想いが、いつか届くようにと願いをこめて。
そうすれば、自分が救われるような気がしたから。
「――真弓」
「分かってますよっ」
フラッシュの音が連続する。
僕はただ、彼女を描き続けた。
――翌週。そのファッション誌は、五十万部を軽く超えてしまう売り上げを叩き出した。
何かがおかしいと思い、後から聞けば、玲奈さんのブランドが出すファッション誌はいつも五十万部を超えるらしい。どうりで、僕が表紙でもあれだけ売れた訳だ。
だけど今更怒る気にもなれず、結局は流されるまま、専属モデルに。
そうして、新人モデル『アキ』は、玲奈さんの策略にまんまとハマってしまったのだった。
誰か助けて。