第五十六話:「あけまして新学期」
じりじりと焼け付く日差しも落ち着きを見せ始め、やって来ました新学期。
物語は進展を見せるのか、はたまた終わりを迎えるのか。
それは、物語の当事者しか知らない。
○○○
額の汗を拭いながら校長先生の有り難迷惑な話を聞き流すのに努力を費やして、早二十分が経過した。
本来なら、私立校ならではの空調設備が整った体育館で始業式やその他諸々の行事をしているのだが、生憎と体育館は工事中で、生徒や教師共々はこのクソ暑い中――ごほん。失礼。このとても暑い中、グラウンドに立たされると言う横暴かつ、間違えれば熱中症一歩手前と言う大胆な所業を受けているのである。
「なあ、秋。暑くねぇ?」
先程から、後ろで暑い暑いと連呼している中学時代からの悪友、辰野佑樹が同意を求めてきた。名字だけは無駄にカッコいい。認めたくもないけど、顔もまあまあいいと言える。いや、言ってしまえば顔もカッコいい。だけどバカだからモテないのだ。
「ああっ。今学期は可愛い女の子に告白されねぇかなぁー。いやむしろ、ハーレム作りたい」
そして人間としては最低クラスな奴だった。
「佑樹、そのハーレムに俺の――」
「お前の彼女なんかいらねーよ!」
「そう。なら良かった」
現在交際中の彼女を愛して止まない高校生になってからの悪友、三井圭司が佑樹を剣呑な目で睨めば、佑樹は忌々しそうに吐き捨てる。
圭司は佑樹と同様、顔だけはカッコいい。
だが本人によると、中学の頃から僕の姉である汐姉に惚れ込んでいて、彼女が出来た事がないと言う。その為か、汐姉以外で初めて好きになれた彼女を溺愛している。
高校入学当時、『俺の理想の女性は汐先輩』と豪語していた彼の姿はもう、どこにもない。って言うか、その方がいいだろう。
汐姉を超えられる女性がいると言えば数が限られる。見つけ出すのにも一苦労だ。ある意味、圭司は幸せ者なのかもしれない。
『――ではここで、新学期から新しくやって来た講師の先生をご紹介しましょう』
「あ、もうそろそろ終わりかな」
「圭司、チラチラ彼女の方を見んなよ。早く喋りたいのは分かるけど、落ち着けって」
「ゆ、佑樹に注意された……。ショック……もうお婿にいけない……」
「失礼な奴だな! 俺に注意されて結婚出来ねーって、どう言う意味だよ!」
「そのままの意味だよ……」
ああ、煩い。少しは黙っていられないのだろうか。ただでさえ暑さでイライラしてると言うのに。
軽く頭痛がする頭を押さえ、何故だか騒がしくなった前方を見る。
するとそこには、端正な顔立ちをし、スーツを着込んだ男性が二人いた。騒がしくもなるはずだ。如何にも女子生徒に好かれそうな、清潔感が漂う青年と、ワイルドな風貌をした青年がいるのだから。
「チッ。何だ、男かよ」
非常に残念そうな佑樹の呟きを無視し、青年らを見ていると、教頭の声がスピーカー越しに聞こえてきた。女子生徒のキャアキャアと言う黄色い悲鳴の中、教頭は冷静に読み上げる。
『えー。左の方が、産休の原田先生の代わりに数学を担当する斎木塁先生です。斎木先生、簡単な自己紹介をお願いします』
「……斎木?」
その名字に疑念を覚えつつも、気のせいだろうと片付ける。名字など、全国で探せば珍しくもないからだ。
マイクを渡された斎木先生はボサボサとした髪を掻き上げ、恨みのこもった目で太陽を見上げる。しかしその視線が全校生徒に向かって落とされた時には、照りつける太陽への憎しみなどは表れておらず、少しだけ目尻が下がって笑っていた。
『あー……数学担当、斎木塁です。担当した生徒は、必ず進学させます。嘘です』
ズルッと、誰かがこけたような音がした。
『え、えーと……斎木先生、ありがとうございました』
自己紹介での冗談に困惑している教頭を満足げに見て、マイクを隣の青年に渡す斎木先生。空気が読めない所があるけど、面白い人だな。
『続いては、英語担当、そして二年生の特進クラスの副担任を務めてくださる、四谷元晴先生です』
どうぞ、と教頭に促され、一歩前に出る好青年。
彼の清潔感を更に際立たせる、シワ一つないスーツ。風に揺れる黒髪。無駄なパーツが一切ないと言える凛々しい顔立ちは、緩やかな笑みを描いている。女性なら誰しもが見とれてしまいそうな笑みだ。その証拠に、隣に立つ女子生徒が頬を染めたのを見た。
『皆さん、初めまして。今学期から英語と、二年生の特進クラスの副担任を務める、四谷元晴と申します。本来なら四月から新任する予定でしたが、一身上の都合により見送り、今学期からと言う形になりました。頑張りますので、どうかよろしくお願いします』
四谷先生は、いまだキャアキャアと騒ぐ女子生徒に爽やかな笑顔を向けて、自己紹介を終了した。
『それでは、これにて始業式を終わります。各自、それぞれの教室で担任の先生が来るまで待機するように』
暑さにやられたのか女子生徒の甲高い悲鳴にやられたのか、教頭の声はいつもより弱々しかった。
○○○
担任の話が終わり、帰りの支度も終わりかけていた頃、彼女はやって来た。
「向坂くん」
「あ、桐谷さん。……どうしたの?」
クラスの委員長である桐谷成子が、何やら神妙な顔付きで話しかけてきた。そのただならぬ雰囲気に気圧されて、不思議と小声で問いかけてしまう。
「あれ、あれ」
「あれ……?」
桐谷さんが指差す方向に顔を向ける。
そして硬直。扉にもたれて立つのは、この学校のアイドルでありマドンナであり姫である、日宮千歳だった。その人は僕を視認して、手招きをしている。
「早く行ってあげなさい。なんか様子がおかしいから」
「え……」
様子がおかしい?
いまだ手招いている彼女をまじまじと見ていると、後頭部を叩かれる。
「近くで見た方が早い。それに、向坂くんはこれ以上の注目を集めたいの? 教室のみんなはいいけど、廊下の生徒は彼女に釘付けよ?」
どうやら我がクラスメート達は寛大な心をお持ちのようで、最初こそ凄かったが、今ではもう僕と彼女が仲良く話していても、嫉妬の視線や羨望の視線は向けてこない(一部を除く)。
だがしかし、他の人間も、そうとは言えないのだ。現に、廊下からざわめきが聞こえてくるのは気のせいじゃない。
「あ……僕、行くよ。じゃあね、桐谷さん」
「はいはい。また明日ー」
机の上に置いていた鞄を取り、扉に向かう。途中、声を掛けてくれたクラスメート達に返事を返しながら。
扉の前に辿り着くと、彼女はゆるゆると扉から体を離した。
「珍しいね、こっちの教室に来るなんて。どうかしたの?」
「いや……特にはない」
「そっか」
そこで会話は終了してしまった。背中にひしひしとクラスメート達による好奇の視線を感じる。これでは居たたまれない。
どうにか逃げる口実が欲しくて目をさまよわせていると、ふと目に付いたのは彼女が肩から下げる鞄だった。無防備なそれを何気なく取る。
「あ……」
「ねえ、一緒に帰らない? 家まで送るよ」
軽く笑って誘う。鞄は人質だ。
「全く……。ズルいな、お前は」
腕を組み、上目遣いで睨まれてしまった。怖くはない。むしろ可愛いと思うのは、好きな人だからこそ。恋愛は惚れた方が負けと言うが、それは本当らしい。
○○○
彼女と二人、並んで帰路につく。
帰る道すがら、彼女は親切なおばさん達から色々な人から食べ物をもらっていた。その隣で歩く僕も彼氏だと勘違いされ、色々渡されたのは素直に嬉しいと思う。……彼氏と勘違いされた事じゃなくて、色々ともらったからですよ?
毎日があんな感じらしい。地元なので写真やサインを求めるなどの行為はないが、何かしらくれるのだと彼女が言っていた。
「なあ、秋」
「何?」
おばさんからもらったスナック菓子を手にしつつ、隣を見る。
すると何やら浮かない表情の彼女が目に入る。
「今日来た、斎木と四谷って教師の事なんだが……」
「……あの二人が、何?」
彼女を促し、先を聞く。
「斎木と言う教師は玲奈の兄だ」
驚いた。予想はしていたが、そこまで近しいとは思っていなかったのだ。
「そしてこっちが本題だ。あの四谷と言う教師は、昔、幼馴染みだった」
その言葉に更なる衝撃を覚える。何より衝撃なのは、彼女の表情。
嬉しそうで、悲しそうで、様々な感情がない交ぜになって複雑な表情をしている。
「小さい頃、彼にはよく遊んでもらっていた。八つ年上の、兄のように慕っていた人だ」
懐かしむように、彼女は笑う。
その笑顔に、胸が少し痛んだ。
「だが突然、向こうが遠方に引っ越してしまってな。それからは疎遠になっていたが、まさかまた会えるとは思わなかった。だから――」
――嫌だ。その先は、聞きたくない。
だけど自分の意思とは反対に、口が勝手に動いて、彼女の言葉を先回りしようとする。
「――だから、嬉しい?」
「……ああ、嬉しい」
――っ。
はにかむように笑う彼女を見て、胸に焦燥感を覚えた。嫌な予感も。
そしてその予感は外れていなかった。
このまま順調に、何事もなく過ごして行けると思った日々は、思わぬ来訪者に粉々に砕かれる事となる。
――誰も知らない水面下で着々と、物語が動き出し、終焉が近付いていた。