第五十二話:「呟き」
「空が青いねぇ」
「海が青いなぁ」
現実逃避をする僕と千歳。
その間にも、三人を乗せたクルーザーは、こちらに向かって来る。そしてとうとう、そのクルーザーが波止場に着き、三人が降り立ったのが見えた。
って言うか琉二くん。走ってこっちに来ないで。目立ってるから。
浜辺からは突然の美形三人組に女性の黄色い囁きが聞こえてくる。
ああ……グッバイ、僕の楽しい二泊三日。
一筋、汗とも涙ともつかない液体が、僕の頬を濡らすのだった。
○○○
「た、ただいまタケちゃん……」
「おう、おかえりー」
今朝の事はすっかりと忘れたようで、タケちゃんはキラキラした笑顔で返事を返してくれた。そしてその笑顔は怪訝なものに変わる。視線は僕と千歳の後ろに立つ三人組に注がれている。
さて、ここで状況説明。まずは後ろに立つ三人を紹介しよう。
ワクワク、と言った感じの琉二くん。その顔は子供のように輝いている。
ハラハラ、と言った感じの環くん。どうやら彼は、琉二くんが不祥事を起こさないか心配なようです。
ウキウキ、と言った感じの壱人くん。君はどうしとここに来たのかな? 今頃はパリじゃないの?
そんな不思議な三人に、店中の女性は釘付け。中には目がハートになっている人も。
そして、どんよりとしたオーラを漂わす僕と彼女。
そんな僕らを見て、タケちゃんが何を勘違いしたのか、親指を立てて言った。
「ナイスファイト!」
何が。
あれから、すぐにタケちゃんが変な気を使ってくれて、僕らは別室に通された。しかしそこは、僕と彼女が寝泊まりした部屋。案の定、何かを察した三人がニヤニヤとこっちを見てくる。
「秋ちゃんもやるねー」
壁にもたれる僕の隣に座る壱。
「おう。まさかここまで進んでたとはなぁ」
ビーチが見渡せる窓辺に座る琉。
「二人で何をしてたんだろうなあ」
座椅子の上で正座をしてお茶を飲む環。
はっきりと言わせてもらう。
……ぐあー! ウザい! このエロオヤジ達め! その不躾な目を止めろ! 今朝の事があるから何もないとは言えないけど、結果的には何もしてないから!
だけどそんな事を言える訳がなく、代わりに質問を返す。
「ところで、何でここにいるの?」
その問いには、座椅子にもたれて、すっかりくつろいでいる彼女が答えてくれた。
「九十九パーセントの確立で、冷やかしだな。多分、私と秋が二人でいる事を知ったからだろう」
三人の顔を見ると、全員が顔を逸らした。
……図星か。そう言えば、千歳と来ている事は誰にも言っていないのに、昨日の電話で環は知っていたのだ。昨日の内に気付かなかった僕は相当の鈍感だと思うが、彼らは人間としてどうかと思う。
「最低だね」
「ああ、こいつらは、そう言う奴なんだよ」
彼女と心が通じ合った瞬間だった。
「まあ、その話は置いとこうぜ。それにしても、俺、いつもプライベートビーチ使ってるからこう言う所は新鮮なんだよな。千歳もそうだろ?」
琉が窓の外の浜辺を見て、感慨深そうに呟いた。窓からは、ビーチパラソルや人が見える。
「うむ。人が多くて新鮮だ。しかし、賑やかで中々楽しい」
「そっか。いいなあ。仕事サボってでも、もっと早く来るべきだったよ」
「だが、どうせ泳がないだろ?」
彼女の意地悪な問い掛けに、まあね、と恥ずかしそうに頬を掻く環。それを見て、彼女は静かに笑った。
こんな時、やっぱりこの四人は幼馴染みなんだと思い出す。幼い頃から知っているから、お互いの弱点を知っているのだ。
「まあ、いい経験だね。俺も来てよかったー。母さんには悪い事したけど、パリ行きを遅らせた甲斐があったよー」
「え。玲奈さんは何だって?」
怒ったとは考えられないが、まさか無条件で許してくれる玲奈さんではあるまい。それは汐姉とのデートの時に痛感している。
可哀想に、と思い、哀れみの目を壱に向けると、意外にも彼は笑っていた。
「学園祭では母さんをエスコートしなさい――って言ってた。笑っちゃうよね」
「……壱?」
声が段々と小さくなって行くのに気付き、俯いて前髪で隠れてしまった壱の顔を覗き込んで――絶句した。
普段の壱からは想像出来ない表情。その瞳は深海のように暗く淀んでいて、唇は皮肉な笑みを作ろうとしている。
その目はどこか遠い場所を見ているようだ。僕がこうして覗き込んでいる事に、彼は気付いていない。
「――」
そして、呟かれた言葉は不運にも、隣に座る僕だけにしか聞こえていなかった。
その呟かれた言葉を消したくても、それを上回る衝撃がそうさせない。
――本当の、母親じゃないのに。
その言葉は僕に別の疑問を浮かばせた。
もしかしたら――
その時、突然扉が開けられた。
「美形の美形による美形の為の、特別イベントをここに開催するぞぉ!」
『……』
呆気に取られる一同。そして実の従兄弟がどこぞの大統領のように演説し、掲げた紙にはこう書いてあった。
『夏のイケメンパラダイス。君好みのイケメンが見つかるかも! 興味がある人は来てね!』
――と。
完璧に疑う余地もなく、広告チラシだった。
「お前らには、これからじゃんじゃん働いて稼いでもらう! ちなみに反論や不満はなしだ! その代わり、今日の夜はお楽しみだぞ!」
こうしてタケちゃんは、向坂家の顔に泥を塗っていくのだった。
隣の壱を見ると、先程とは打って変わって、いつも通りの眠そうな顔。でも僕は忘れていない。
これはどうやら、話を聞いてみる必要がありそうだ。
「はあ……」
これから起こると思う事態に、溜め息が隠せなかった。