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第五十一話:「朝は色々と大変」


 朝の鼻血事件から何分か経過し、ようやく止まりかけてきたソレ。

 鼻は変形してない。恐らく、手加減はしてくれたのだと思う。千歳が本気を出したら、どうなるかを想像してすぐに止めた。どうしても、どこかしらの骨が折れると言うバッドエンドしか思い浮かばなかったからだ。


 鼻をティッシュで押さえながら、布団からはみ出ている艶やかな黒髪を見る。

 さて。この眠り姫をどうやって起こそうか。


 鼻血が止まった事を確認し、その痕跡が残るティッシュを捨て、そろそろと四つん這いになって布団に近付く。


「……」


「……」


 安らかな寝息をたてる彼女。いつでも逃げれる体勢を取りつつ、頬をペチペチと叩く。……いつも思うけど、女の子の肌って柔らかいよね。


「千歳ー、起きてー」


 ペチペチ。


「……ん」


「あ、起きた……」


 意外な事に、彼女はゆっくりと起き上がった。本当はもうちょっと手こずるかと思ったんだけど。

 少し驚いていると、彼女は首を回して、僕を見つけた。

 昨日、部屋に戻った時にカラコンを外していたから、今は黒い瞳じゃなくて紅い瞳。

 よく分からないけど何か懐かしい。最近気付いたんだけど、紅い瞳が見れないと落ち着かない気分になる。


「おはよう、千歳」


「……うん」


 ゴシゴシと目を擦る彼女は、どこか微笑ましい。少々寝ぼけているようだけど、会話は出来るようだ。


「おはよう……もう朝食の時間?」


「うん。そうだよ」


「コンタクトつける……」


「あ、つけなくていいよ。部屋まで届けてくれるみたいだから」


「そう……。分かった。じゃあ、起きる」


「あ、待って。そんないきなり起きたら――」


 忠告も聞かず、起き上がった千歳の体は、ふらりとよろめく。まだ完全に覚醒していないのに、突然立ち上がったら立ちくらみがするのは当然の事で――僕は彼女の背を支えようと手を伸ばした。

 しかし、僕の筋力は人の体重を支えられる程、強くない。

 結局、二人仲良く布団に倒れ込む結果になってしまった。それも、僕が彼女を押し倒したかのような体勢。


 あまりにも近距離にある彼女の顔。

 長いまつげ。薄紅色の唇。紅い瞳。白磁のような肌。頬にかかる長い前髪。シュッとした細い眉。イギリス人である祖父の血を引いたのであろう高めの鼻。スラリと伸びた手足。どこか艶めかしい五指。文句など付けようもないスタイル。

 その全てが人を、魅了する。

 そして、視線が絡み合う。


「……しゅ、う?」


 形のいい唇から、戸惑いがちにつむがれた自分の名前に、体中に歓喜と言うしびれが一瞬にして広がり、吐息を震わせる。

 無意識の内に開けた口は、震える吐息と共に彼女の名前を紡いだ。


「千歳……」


「……っ」


 一瞬だけ揺れる彼女の体。熱を帯びたような紅い瞳は、徐々に潤む。

 それでも、僕を恨めしそうに睨む双眸。


「秋。なんかお前、色っぽい。ムカつく」


「色っぽい……? 僕が?」


「ああ。男のクセに色っぽい目をしてる。ムカつく」


 それなら千歳の方が色っぽい。その潤んだ瞳とか、正に。

 そう言おうとしたけど、それは飲み込んだ。


 原因は、少しだけ不機嫌な彼女が尖らせた唇。

 何故か無性に、その唇に触れたくなって――


 そして運悪く、開いた扉。


「グッモーニンッ! 青春してるかお前、ら……」


「……」


「……」


 静寂。僕を含む三人の視線が交差し、この場に気まずい沈黙を呼ぶ。

 タケちゃんの目が、仰向けに寝る千歳と、彼女に覆い被さるような体勢を取っている僕の間を動く。そして響く、のどの奥から無理やり引っ張り出しているような乾いた笑い声。


「アハハハハ……お邪魔しましたっ!」


 律儀にも、朝食をテーブルに置いてから退出したタケちゃん。

 僕らはそれを、他人事のように見ていた。

 逃げ足が相変わらず速いなー。流石、高校時代にスプリンターをやっていただけの事はある。






○○○






 朝食を食べ終わり、水着に着替えて下に降りた。

 今朝の事があったからか、中々目を合わせてくれないタケちゃんから言い渡された今日の仕事。


「アイスいかがですかー?」


 今日は浜辺で、アイスボックスを引っさげながらのアイス売りだ。隣にはもちろん、千歳がいる。数知れない野獣がいるあの店に、彼女を置いてくる訳がない。


 でも、こうしていると、今朝の事を思い出す。

 あの時ははどうかしていた。あれは一時の気の迷いだ。うん。そうだよ。


 だから、断言する。


 向坂秋は、軽い男じゃありません! まだ付き合ってもいない女の子に手を出すなんて、タケちゃんみたいじゃないか! アレはその場の雰囲気に流されただけで、断じてタケちゃんのようにアバンチュールをしてみようなどとは考えておりません! 僕なら、付き合う了解を千歳の両親に取ってからじゃないとキス以上の事は――ってなに考えてんだ! 彼女と付き合うとか、妄想もいい加減にしろよ!


「秋、秋。おい、聞いてるのか」


「うえ? な、何?」


 思考にふけりすぎて、彼女の声に気付かなかった。サングラスの奥にある目が、心なしか怒ってるのは気の所為であって欲しい。って言うか、色々と変な妄想してゴメンね? と心中で謝罪する。


 すると何故か、引いている千歳が目に入った。


「何で泣きそうなんだお前……」


「え?」


「いや、いい。それより言いたい事がある」


 彼女は上空を指差す。


「ヘリの音が聞こえる」


「……あ、本当だ」


 耳を澄ませば、微かに聞こえてくるヘリ特有の音。彼女は耳がいいらしい。


「それにしてもこのヘリ、なんか近付いてくるような……」


「ああ。音が近い。……速いな」


 二人して空を見上げていると、視界を通る白いヘリ。想像していたよりずっと速かった。

 目に入ったその機体には、『IHARA』との文字。


「……」


「……」


 数秒の沈黙。見間違いではなかろうかと、二人で目を擦っていた。

 イハラ? いやいや、まさか。


「……琉二?」


「そ、そんな訳ないって。ただの偶然だよ」


 とは言いつつも、つい目で追ってしまうヘリの行き先。そこは海の上で、小さめなクルーザーが用意されていたかのようにあった。


 そしてヘリからクルーザーに移る、三つの人影。

 拡声器でも持っているのか、その声が浜辺にいる僕の耳にも聞こえてきた。


『秋ー! 来てやったぞー!』


『ちょっ! 琉、煩い! 他の人に迷惑だろ!』


『まあまあ、二人とも落ち着いてよー。秋ちゃんと久し振りに会うからって、興奮しすぎだってー』


『ああ!? 誰も興奮なんてしてねぇよ!』


『興奮とか気持ち悪い事言うな!』


 ああ、懐かしいですね、そのコント。

 浜辺にいる人間は、いきなりの出来事に唖然としている。恐らく、僕の名前は皆さんの頭に刻み込まれたでしょう。


 頭痛がしてきた頭を無視して隣を見ると、彼女はサングラス越しでも分かるような、鬱屈うっくつとした目をしていた。


 お姫様の騎士ナイト達は、どこまでも一緒らしい。


 姫と三騎士と平民A、ここに勢揃せいぞろい――ってね。

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