第四十六話:「トラウマよもう一度」
時は過ぎて昼休み。
なんだかとても騒がしいなあ、と思いつつ、菊花と裕太と共に食堂へ向かう。
高校では僕に安寧はない。だが、中学では違うだろう。幸い、僕が千歳と親しい事は高校生の間だけで広まっているみたいで、まだあまり知られていないのだ。
なので、久しぶりに、衆人観衆に晒される事なく食事が出来ると思ったのだけど――
「うおっ」
食堂に入った途端に視線が集まってくるものだから、驚いて声を上げてしまった。な、なんでこんなに見られんの? 千歳の事? それとも善也兄とか汐姉絡み?
「秋兄ちゃん、落ち着いてよ」
挙動不審な僕を、宥めるように言う裕太。これが落ち着いていられますか。だって僕、こんなに注目される覚えないんだよ?
「この様子からすると、既に体育の時間の事が広まっているんだと思います」
頬に手を当て、菊花が困ったように言う。
「体育? それって穂純とのバスケの事?」
「そうだね。多分、おれのクラスか、隣のクラスの奴らが言い触らしたんだと思う」
「えー? そんな事言い触らしてどうするのさ」
「えと、秋お兄ちゃんは綺麗ですから、噂されるのは当然かと」
「いや、それはない。絶対ないよ」
「……」
「……」
うっ。な、何その呆れたような目。そんな目で見られるとは思わなかったぞ。
「……まあ、いいや。さっさと食べて退散しようよ。ゴタゴタに巻き込まれるのはもうたくさんだからね」
「もう? ゴタゴタ? 何それ。どう言う意味?」
食券販売機に向かっていく裕太の背中に問い掛けると、袖を引っ張られる感覚。目を向けると、菊花が僕の服の袖を掴んでいた。
「ユウちゃんは秋お兄ちゃんの事を心配してるんです。怒ってる訳ではないので、許してあげてください」
菊花の言葉を聞いて、なるほどと思った。どうやら菊花は、裕太の態度に僕が怒っていると思っているらしい。そんな訳ないのに。
「許すも何も僕は怒ってないよ? 裕太が怒るんなら、それは僕が悪いと思うし……」
苦笑しながら告げると、菊花は首を横に振る。
「秋お兄ちゃんのいい所は優しい所で、悪い所は自分を卑下する事です」
ですから、と菊花は続ける。
「私は、秋お兄ちゃんが大好きで、ちょっと嫌いです」
「ひうぇっ? き、嫌い?」
「はい。もっと自分に自信を持ってくれたら、そんな事はなくなりますけどね」
うふふ、とどこか悪戯めいた笑みを浮かべながら、菊花は裕太の後を追って行った。よ、喜ぶ所なのか悲しむ所なのか微妙………。
複雑な心境だが、置いてけぼりにされないように、僕は二人の元へ急いだ。
○○○
大好物と言っても過言ではないオムライスをパクついている僕を、ニコニコ笑顔で見つめてくる菊花と、面白そうに見てくる裕太。
「……あの、見られてると食べにくいんだけど……」
「秋兄ちゃん、味覚が子供なんだよねー」
「ユウちゃん、幼いと言った方が聞こえがいいですよ」
「オムライスが好きなんだから、別にいいでしょっ。それにね、菊花。それフォローになってないから」
とは言え、僕だって味覚がお子様なのは自覚している。ハンバーグとか好きだし。でも、好きなんだから仕方ない。って言うか、裕太だって好きじゃん。カレーとか。
「あ、あの」
裕太と菊花にどう反論しようか考えていた時、声が聞こえてきた。
思わず声がした方を振り向くと、そこには菊花より小さな女の子が立っていた。いかにも小動物って言う感じの女の子。怯えているように見えるのは、僕が年上だからか、部外者(いくら母校と言えど、今は部外者に過ぎない)だからか分からない。
「僕に何か用かな?」
怖がらせないように、笑顔を浮かべて対応する。僕は結構、子供の面倒を見るのが得意だ。相手の警戒を解く笑顔は取得している。
「あ……」
「あれ? えと、そんなに怖がらなくてもいいんだよ?」
しかし女の子は顔を赤くして黙り込んでしまった。自信あったのに……。やっぱり、小学生と中学生は違うのだろうか。
女の子の緊張と警戒を解けなかった事にちょっと落ち込みつつ、再度チャレンジ。
「ほら、怖がらないでお兄さんに何でも話してみて?」
(秋お兄ちゃん、まるで幼稚園児や小学生を相手にしているかのような口振りですね……)
(実際そうなんだと思う)
「ん? 二人とも、何か言った?」
「いえ、何も」
「別に言ってないよ」
「そう? ……あ、もう一度聞くけど、僕に何か用かな?」
「あ、それは、その……」
しどろもどろな女の子の言葉を聞き取ろうと、耳を澄まして笑顔を浮かべる。
「うん。何?」
「握手……して、くれませんか?」
「いいよー。握手ぐらい……って、ええっ!? な、何で握手っ!?」
(と、突然の急展開です!)
(ああ……そうしておれはまた、ゴタゴタに巻き込まれていく……)
(遠い目で現実逃避しても虚しいだけですよ、ユウちゃん)
視界の隅で何やらゴソゴソしている二人はとりあえずスルーして置いて。
「あのっ、そのっ、どうして僕なんかと握手を? しても何の利益もないよ?」
「さ、向坂先輩はわたしの憧れなんです」
「あ、憧れぇ?」
「はい」
目の前の女の子が嘘をつくようには思えない。だとすると、その女の子が言ってる事は本当だ。
「でも、僕なんか」
「いえ、わたしは向坂先輩に憧れているんです」
そう言って女の子は、僕の手を握ってきた(意外と積極的?)。
「向坂先輩は凄い人です。素晴らしい人です。優しくて、綺麗で、思いやりがあって……。わたし、見てたんです。向坂先輩が、捨て猫に餌をあげていた所……」
(うわぁ。ベタだな、それ)
(まあ、秋お兄ちゃんは優しいですから、そんな事があっても不思議じゃないんですけどね。静奈ちゃんはそれで、秋お兄ちゃんを尊敬しているみたいですけど)
(あれ? 菊花、知り合い?)
(ええ、友達です)
「そしてその捨て猫を抱いて友達の家を一軒一軒回っていた事を、菊花ちゃんから聞きました」
「た、確かにそうだけど……」
な、なんだかこの子、見掛けによらず明るいなあ。って言うか菊花の友達なんだね。
「ですから向坂先輩、わたしは――」
と、その時、食堂の入り口で大きな音がした。
「ま、マズいっ!」
「秋お兄ちゃん、逃げてくださいっ!」
「はあっ!? 一体何が――」
僕の言葉を遮ったのは、地鳴りにも聞こえる、いくつもの足音。
その時、僕の中でのトラウマが――目を覚ました。
春、足音、フラッシュバック。
――あの夜の鬼ごっこが、ふと脳裏に。
「――!!」
声にならない悲鳴をあげて、僕は走り出した。
「ゆ、裕太! 後ろから追ってくる人たちは何なのぉ!?」
「秋兄ちゃんは知らない方がいいよ!」
「き、菊花は大丈夫なの!?」
「菊花はあの静奈って言う女子と一緒!」
後ろから聞こえてくる足音は止まない。
「秋お兄様っ! お待ちになって!」
お嬢様言葉!? 誰ですか!?
「俺の姫ぇ!」
だ、誰が姫だ! 誰が! 僕は男だぁ!
「王子!」
僕は平民Aです!
「お姉様!」
最早男ですらない!
って言うか、王子とか姫とかお兄様とかお姉様とか……。
「いっ、一体なんなんだああああっ!」
鬼ごっこは昼休み終了間際まで続き、僕は恐怖で保健室に籠城する事になったのだった。
そして下校時間。
「今日は凄い疲れたなぁ……」
「おれも……」
「私もです……」
あはははは、と三人で乾いた笑いを交わす。
と、その時。
「向坂先輩! 一緒に帰りませんか!?」
「い、委員長!? 何でこんな所に! 家は逆方向――」
「煩いっ!」
「向坂次兄先輩! あたしと一緒に萌えの世界を目指しませんかー!?」
「さ、向坂先輩! 仲良くなった記念に一緒に帰りましょう!」
「れ、冷子ちゃんと静奈ちゃんです……」
「あ、あはははは……」
またもや僕は乾いた笑いを零す。しかしそれは次の瞬間、悲鳴と変わった。
後ろから聞こえてくる足音。春、鬼ごっこ、フラッシュバック。
「秋お兄様っ!」
「お姉様!」
「あたしの王子!」
「姫ぇ!」
「も、もう嫌だああああっ!」
今日の日記。
トラウマが一つ、増えました。