第四十四話:「鈍感天然無自覚たらしって酷くない?」
梅雨時にも関わらず、雲一つない澄み渡る晴天。
今日は寮を新設するとかで、学校は休み。来年からは遠方の生徒でも通えるようにと、学校側の配慮によるものだ。私立だけあって、お金の使い方が荒い。まあ、そこに通ってる僕が言う事でもないか。
と、そんな事を考えながらリビングのソファーに座る。
汐姉と善也兄は大学、母さんと父さんは仕事、菊花と裕太は学校。よって、一人寂しくお留守番だ。凄い暇なんだよね。
「ふわぁ。……ん?」
欠伸をしながら冷蔵庫を開けると、目に入った一枚の紙。手に取って見ると、『授業参観のお知らせ』との書いてある。
どうやら、今日は菊花と裕太の学校で授業参観があるらしい。もうそんな季節か、と懐かしくなる。僕の母校である中学は少し変わった学校で、授業参観が三年生だけしかなく、春に一回しかないのだ。
しかし、共働きである母さんと父さんは行けないだろう。当然、汐姉と善也兄も講義があるから行けない。
「……」
中学の時、それで少し寂しい思いをしたのを思い出した。仕事に励む母さんと父さんにも言い出せず、高校で忙しそうな汐姉と善也兄にも言い出せなかった授業参観。言ったら、きっと困ってしまうだろうから言い出せなかった。菊花と裕太には、そんな思いさせたくない。
「……よしっ」
俯けていた顔を上げて、部屋に向かう。
一度しかない授業参観、いい思い出にしてあげたい。そう思いながら。
○○○
先程も話した通り、僕の母校は変わっている。その中でも一番変わっているのが、授業参観だ。登校時間に始まり、下校時間に終わる。好きな時に来てもいいし、好きな時に帰ってもいい。そんな感じで、不思議なのだ。
「うわー。懐かしー」
私立ならではの綺麗な校舎を見上げて、また懐かしくなる。昔は放課後によく、屋上にいたなぁ。思い出に浸る僕の耳に入ったのはまたまた懐かしくさせる鐘の音。スピーカーから流れるその音は、二年前と一緒だった。
もうそろそろ、授業が終わるらしい。時間にして二時間目ぐらいか。
確か、菊花と裕太は同じクラスだっけ。
三年生の教室を目指す事五分。クラスはすぐに見つかった。二年前の事でも、意外と覚えてるものである。
「よしっ」
菊花と裕太に恥を掻かせてはなるまいと、ちゃんと服も軽すぎず重すぎず、すっきりなカジュアルにしたし、髪も鏡を見てワックスと一緒に頑張った。顔はまあどうしようもないから洗顔だけして後は放置。
完璧な筈だ。変な所なんて無い。そう意気込んで教室ドアを開けて――その意気は脆くも崩れ去った。
だって、だって、だって! 教室中の人間が僕に注目してるんだよ!? 先生、生徒、保護者まで! やっぱり、どこかおかしい所があるとか……。そう不安に駆られながら、我が弟と妹に目を向ける。
僕、どこかおかしい? と言うアイコンタクト付きで。
目を丸くしている二人。裕太は口をパクパクと開閉し、僕に何かを伝えようとしていた。
目を凝らして、口の形をよく見る。
(どうしてここに?)
その問いには、今日は授業参観だから、と答えるしかないだろう。
(……秋兄ちゃん、自分の立場分かってるの?)
(立場? ……卒業生?)
そう答えると裕太の溜め息が聞こえた気がした。って言うか裕太、君、僕のアイコンタクト無視? ……傷付くよ、それ。
弟にアイコンタクトを無視されて悲しんでいると、今度は菊花が口をパクパクして何かを伝えようとしている。
なになに。
(秋お兄ちゃん、とても素敵です)
……菊花。僕は今、君の兄で良かったと思っている。こんな平凡な兄を素敵だなんて言ってくれるのは君ぐらいだよ。その心遣い、汐姉も見習うべきだね。
ところで、さっきから浴びてる視線は何? 菊花と裕太から目を離すと、僕を興味深そうに見ている若い女性の先生と目が合った。……とりあえず笑って会釈しておこう。そんなやっつけ仕事精神でまだ若々しさ漂う先生に微笑みかける。すると、先生は顔を赤くしてしまった。暑いのだろうか。
今日は晴れてるし、気温の変化についていけないとか。首を傾げていると、鈍感、と裕太がそう言ったような気がした。
授業の終わりを告げる鐘が鳴り響いて直ぐ様、菊花と裕太がこちらにやって来た。そんなに急がなくても僕は逃げないのにご苦労な事である。
余談だが、この中学校の制服は男子が白いシャツと緑色のネクタイで、女子が白いシャツと赤色のリボン。ズボンとスカートは黒だ。冬服はその上に青のブレザーを羽織る。聞いた話だけど、世界的に有名なデザイナーが作った制服らしい。私立ならではのお金の掛け方だ。通っていた僕が言える事でもないけど。
あれ? さっきも似たような事を言ったような気がする。……まあいいや。
と、そんな事を考えていると、いつの間にか菊花と裕太が目の前に来ていた。
「秋お兄ちゃん、来てくれて嬉しいです」
そう言って、笑う菊花。ああ、もう。なんて可愛いんだ、この妹ったら。思わず抱き締めたくなるじゃないか。それにしても、裕太はさっきから仏頂面――と言うより、拗ねたような顔をしているのだが、理由が分からない。何か悪い事をしてしまったんだろうか、僕。
「ねえ、裕太。何でそんな怒ってるの?」
顔を覗き込むように聞くと、裕太は僕を睨んできた。びっくりして、少し怯む。
「秋兄ちゃんの鈍感天然無自覚たらし! 秋兄ちゃんが無差別に優しいから、おれたちが困ってるんだよ!? どうするのさ、今日! おれには止められる自信ないよ!?」
ひ、酷い。鈍感天然無自覚たらしって、それではまるで僕がタケちゃんみたいじゃないか。それは酷いと思う。って言うかショックだ。それに、僕に来て欲しくないみたいなその言葉は、胸が痛くなる。って言うか、止められる自信って何?
「秋お兄ちゃん……」
呆然とする僕を、菊花が慰めるように手を握ってきた。菊花は、『止められる自信』と言う言葉の意味が分かっているようである。
「ね、菊花――」
菊花に問おうとした、その時。
「――向坂先輩に、なんて事言うのこの脳内筋肉ドチビがあぁぁぁっ!」
ドゴッ、と鈍い音を立てる叩かれた裕太の頭。突然の事に驚いて、先程まであった疑問なんてどこかに吹っ飛んでしまった。
「いってえぇぇぇぇ!」
「向坂先輩を貶すなんて、そんなちびっ子は地に這っていればいいのよ!」
頭を押さえて蹲る裕太の後ろから現れたのは、ポニーテールの女の子。活発そうな印象を受けるその女の子の目は輝いており、頬は紅潮している。そして何故かその女の子は輝いた目で僕を見てきた。
「向坂先輩、お久しぶりです! 二年前、自転車がパンクしている所を助けてもらった者です!」
そう言えば、そんな事もあった。自転車がパンクして困ってたみたいだから、自転車を修理してくれる所に案内したんだっけ。
「ふふっ。うん、覚えてるよ。あの後、大丈夫だった?」
失礼だけど、女の子が手に持ったままの上履きを見て笑ってしまった。だって、上履きをぎゅうぎゅう握り締めて、片足だけそれ履いてないんだよ? それで裕太を叩いたんだって思うと、凄く面白い。
「ユウちゃん、大丈夫?」
裕太に手を差し出す菊花と、その手を取る裕太。まるで天使(菊花)が子供(裕太)に手を差し伸べている絵画のようだ。
「ん、ああ。菊花、ありがとー。……って委員長ぉ! その手に持つ上履きは何だ! まさかそれでおれを叩いたのか!?」
「煩い! ――あっ! さ、向坂先輩、気にしないでくださいね! 普段のあたしはこ、こんな人を上履きで叩くなんて事は――」
「嘘つくな! 昨日だって、チョークを投げつけて――」
「黙って死ね!」
腰を軸にした回転が加えられ、繰り出された打撃は相当なものだったのだろう。裕太の頭は再び鈍い音を立てた。いや、先程よりも凄い音がしたような気がする。
「いったあぁぁぁっ!!」
「余計な事言わないでよ! ――あっ! 向坂先輩、これには深い訳があるんです!」
裕太の悲鳴と委員長さんの叫びが重なって両方ともよく聞き取れない。いつもこんなに騒がしいのだろうか。楽しそうなクラスである。
まあ、何はともあれ。
「仲がいいのはいい事だよね」
「……あれが仲良く見えるのなら、秋お兄ちゃんは病院に行った方がいいと思います」
菊花は中々な毒舌だった。