第四十三話:「アメリカのち日本にて」
あれから、二週間が経った。
あの日から、少女――リリーは、私の病室を毎日の様に訪ねて来た。
『チトセ』『リリー』と呼び合うまでに親しくなるのには、そう時間は掛からなかったと思う。
リリーの傍にいれば、不思議と救われるような感覚がした。人の温かみを、私はリリーに感じていたのだ。
しかしまだ、他人は苦手だ。それをこれから、私は治していかなければならない。
入院してから二週間後に退院した。
そして三日後には、世界中から名選手が集まる大規模な大会が控えている。サミュエルと相談した結果、出場を決めたのだが、やはり多少は気になるブランク。
しかし退院したばかりで練習する訳にもいかず、サミュエルから与えられた自室でパソコンを使用している。
【やっほー♪ 千歳、元気? 私は超元気だよー。千歳がいなくて超寂しい! 壱人くんも琉二くんも超寂しそー。やっぱり、あの三人にはまとめ役な千歳が必要だと思った今日この頃でした♪ じゃあねー。帰る時は連絡してー】
相変わらずの軽いメールに、自然と笑みが零れる。
元気……では、ないだろうな。先日まで怪我をしていたし。やはり報告するべきなのだろうか。って言うか、超を使いすぎだろう。凄く読みにくい。ワザとなのだろうけど。
先程も言った通り、他人はまだ苦手だ。リリーにも、どこか心が許せない自分がいる。
世界に絶望して、他人を拒絶して、希望を与えられながらも、それを受け取ろうとしない。そんな自分がいるのを、隠せない。
日本に戻ったら、私はまたダメになってしまうだろう。あっちは、怖い。
人の憎悪、嫉妬、羨望、期待、恋情、憧憬。
自分に寄せられる様々な感情が、私を消してしまう。
だから――アメリカにいる時だけは、私でありたい。日本では、私が消えているから。せめて、今だけは。
心にそう決め込んで、私は目を閉じた。
――大会の翌日、日本の新聞には、優勝の二文字と私の名前が載った事だろう。
○○○
――現在――
リリーに校長室にまで連れて行かれ、学食を食べさせて貰う事になった。校長が私を見た瞬間、椅子から数センチ飛び上がり握手を求めてきたのには驚いたが、それはまあいい。ファンサービス、と言う言葉が頭を過ぎったが、それもまあいい。
それよりも、気になるのはリリーの目だ。
『で? シュウって誰なの?』
さっきから執拗に聞いてくるのは秋の事。何でそんなに顔がニヤケてるんだ。美少女がそう言う顔をしてはいけませんって、サミュエルから習わなかったのか。
『シュウって誰ー?』
『友達』
『嘘』
即座に否定された。
『チトセの事が好きな子よね?』
ぐはっ。水が気管にっ。
『げほっ。げほっ。ち、ちが、違う……っ』
『え。じゃあ、チトセがその子の事好きなの!? チトセが片思い!?』
『ど、どうしてそうなるんだっ』
『え! じゃあもう恋人なの!?』
『ち、違うっ』
女と言うものは、どうしてここまで色恋沙汰に食いつくのであろうか。私には理解できない。
数分後。
結局、秋との出会いから今までの事を吐かされてしまった。かくかくしかじかと言うものが使えたらいいのに。これ程思った事はない。
『ふむふむ。で、チトセはその子の事をちょっといいなー、って思ってるんだよね?』
『誰がそんな事を言った』
『感じ取ったのよ』
自信満々に胸を張るリリー。思わず溜め息が出る。勝手に事を進めないで欲しい。
『よしっ! 善は急げよ! 今から美容院に行きましょ!』
『はぁ? 何だいきなり』
『命短し恋せよ乙女! そのシュウって子の度肝、抜いてやろうじゃないの!』
『別に私は――』
『お黙りっ! 今集中してるんだから! やっぱり髪全体にウェーブを掛けて――』
こうなってしまったリリーは、もう誰にも止められない。イメチェン、とか言うヤツを私に施すつもりなのだろう。止めろ、と言ってもリリーは止めないだろうから、何も言わない。
苦笑いをしながら、程々にしてくれよ、と告げると、彼女は笑って答えた。
○○○
――数日後、日本。
僕は今、空港にいる。原因は昨日、壱から届いたメール。
【千歳が明日、アメリカから帰ってくるから、秋ちゃんも一緒に空港行こー?】
その内容に、緩む頬を抑えきれなかった。返事は現状を見ていただければ分かるだろう。
「しゅーうちゃんっ。なーにソワソワしてんのー」
……頼むから、突然現れて僕の頬をつつくのは止めてもらえませんかね、壱人くん。
「千歳が帰ってくるのがそんなに嬉しいのか?」
琉が二ヒヒと笑いながらやって来た。頭をクシャクシャにしないで。
「もうすぐ着く頃だよ。ゲートまで行く?」
環に服の襟を持ち上げられる。まるで猫になった気分。って言うか首が苦しいからそろそろ離して。
「皆ー、今着陸したみたいだよー。ゲートまで行こー?」
のんびりした口調の美波さんに急かされ、僕らはゲートへ向かう。
何だか分からないけど、ドキドキしてきた。よし。とりあえず、深呼吸だ。すぅーはぁー。
「あっ、千歳だ! おーい!」
「っ!? げほっごほっ」
驚きで息を吸いすぎてしまった。気管がっ。涙で霞む目を、ゲートに向ける。
――そして、硬直。
それは三人も、美波さんも同じのようで、瞠目していた。 今時の大きな白い縁のサングラス。波打つ長くて艶やかな黒髪。ショートパンツに白いキャミソール。耳栓型イヤホンをしている彼女は、まだこちらに気付いていなくて。
そして。
――目が、合った。
その瞬間、確信する。彼女は、僕が知っている千歳だ。
衝動を抑えきれなくて、走る。僕に気付いて驚く彼女はサングラスを押し上げた。その下から、紅い瞳が見える。綺麗な紅色をした瞳を見て嬉しくなる。
外見が変わっていても、やっぱり千歳は千歳なんだ。
――久しぶり。
まずは一言、そう言おう。
彼女はきっと、笑顔を見せてくれるから。
――お帰り。
二言目は、そう言おう。
彼女はきっと、ただいまと言ってくれるから。
――僕は笑って、千歳に言った。