第四話:「平民Aの平穏な日は終了間近」
街中を抜けて、人通りの少ない住宅街を千歳と歩く。
「はぁっはぁっはぁっ。は、走りながら笑うのって、案外、キツいな」
「は、走りながら笑うなど、初めての試みだ」
僕も彼女も息を切らしながら歩く。そして他愛も無い話を、彼女の家に着くまでした。誕生日とか、好きな色とか、お互いの話。とても満たされた時間。千歳を別世界の人なんかではなく身近に感じた。
しかし時間は過ぎていくモノで、あっと言う間に時は過ぎていく。
「……ここだ」
「……ここ?」
急に立ち止まった彼女は見上げながら言う。つられてその建物を見た。目に入ったのは最近出来た、超高級高層マンション。思わず絶句。
僕の家は普通の一軒家で、普通よりちょっと裕福ぐらいな家庭だ。こんなマンション、夢のまた夢……って事もないだろうけど、購入するには母さんと父さん合わせて四年分くらいの給料が必要だろう。中々な高給取りである母さんと父さんをもってしても、四年分。目から鱗が落ちたような気分だ。それを買える千歳の両親って一体……。
「……秋?」
「あ、いや! 何でもない! そろそろ、帰る時間なんだよね? 確か門限、9時だっけ?」
「ああ」
門限は歩きながら話したから知っている。携帯の時計を確認。8時40分。タイムリミットだ。
「じゃあ、ね」
「じゃあな」
無表情の彼女は何を考えてるのは分からなかった。それを無言で見送る事しか出来ない自分が情けない。
千歳はチラリと一度だけ僕を見やりマンションの入り口に向かう。そしてそのままオートロックの自動ドアまで行くかと思ったが、彼女はホールで立ち止まった。
――どうしてか分からないけど、呼吸が出来ないような錯覚に陥った。
彼女は体ごと振り返り、無表情でこっちを見てくる。そんな彼女に手を振り、バイバイ、と口だけ動かした。伝わっていればいいな、と思いながら。しかし彼女は動かない。数秒間だけ何か言おうとしていたが、諦めたかのようにオートロックを解き、自動ドアの中に入っていく。
僕はその後ろ姿を見ながら、彼女に感謝していた。ありがと、千歳。楽しかったよ。そう心の中で呟いて。
「ホントに、いい夢見させて貰ったなぁ」
そう口に出して呟いて、僕は家までの帰路についた。
○○○
それからの一週間はとても平穏なモノだった。
平日は学校。ある日、姫フリークの友人の前でつい千歳と言ってしまい『気安く薔薇姫の名前を呼ぶな!』と怒られてしまった。確かに馴れ馴れしくはあったけどあそこまで怒鳴る必要性が感じられない。しかも、お前どんだけ好きなんだよと聞いたら世界が滅ぶまでこの愛は尽きん! とか言うから気持ち悪かった。コレで二桁だから、一桁の人はどんなヤツなんだろう。とりあえず、こんなバカがいる世の中にちょっと絶望した。
休日は兄と姉と弟と妹と一緒に、ゲームセンターに行った(人数の事はほっといて。子沢山なんだよ)。僕以外の家族は全員美形だから、なにかと人の目を惹く。
その事を言うと、姉はニヤリと笑って、
「あんたは女の子を寄せ付けないオーラが出てんのよ。もう少し愛想良くしたら? 私とか裕太みたいにね」
と言ってきた。
汐姉は愛想良くないだろ、と言ったらローキックされたので口を閉じる。どうやら話はまだ続くらしい。
「それが嫌なら、善也とか菊花みたいに天然キャラを全面的に出しなさい」
意識してやった時点でそれはもう天然じゃないと思うのは僕だけ?
「どっちをやっても、きっとモテるわよ。女顔も今はモテる時代らしいから。それになんて言ったって、あんたは私の弟なんだからね! 私の高校時代なんて、そりゃもう凄かったんだから!! 一年間一緒だったから、知ってるでしょ?」
後は自慢のオンパレード。延々と聞かされた姉の武勇伝には、アラブの石油王に告白されただの、嘘くさい話もあったが、それを否定するのも面倒臭かったので聞き流した。
しかし、弟の贔屓目から見ても、姉は美人である。千歳と並ぶくらい、姉の容貌は美しい。茶髪のセミロングに文句ないプロポーション、そしてその美貌。モデルになれば、直ぐにでもトップになれる。
その事を伝えると、姉は顔を真っ赤にして黙ってしまった。体調が悪いのかもしれない。……風邪?
姉は全く分かっていない僕に気付いたのか、僕を睨みつけて言った。
「流石タケちゃんの従兄弟よね。そんな歯が浮くような台詞、サラリと言えるんだもん。天然も罪よ、罪!」
汐姉もタケちゃんの従兄弟だろうが。そう言ったら、ローキックを貰った。相変わらず、プロ顔負けな健脚である。
さて。では、ここいらで僕の家族を紹介しよう。
兄の善也、現在大学三年生。姉の汐、善也兄と同じ大学に通う一年生。そして弟の裕太と妹の菊花、この二人は中学三年生。
兄、姉、自分、弟、妹。少子化である現代社会には珍しい五人兄妹だ。母と父を含めば七人家族になる。両親はとても個性が強く、語るには大変時間を要するのでまた今度。
まあ、そんなこんなで過ぎていった一週間。
月曜日、平日の学校。四時間目のチャイムが鳴り終わる。
前の席に座る友人――姫フリークでは無い。だが、僕の姉である『汐フリーク』である――と雑談していると突然廊下が騒がしくなった。
「ん? 何か廊下、人だかりが出来てる」
「あ? マジで? 秋、購買行けんの?」
友人は彼女から弁当を貰っているので昼食は購買に行かずに済むのだが、僕は違う。
生憎作ってくれるような親密な関係にある人は居ないのだ。時々、汐姉とか菊花が作ってくれるけど、この友人が羨ましそうな顔をしてくるから、僕は二人に弁当を強要しない。
友人は汐フリークであると同時に彼女フリークでもある。友人曰く、汐に抱く感情は憧れで、彼女に抱く感情は愛なのだそうだ。
憧れと愛の違いを恍惚として語る表情がウザかったので、話の途中で友人の了承も取らずにトイレに立った。そして数分後、トイレから戻ると僕が居なくなった事にも気付かずいまだ恍惚とした表情で語っている友人を見て、げんなりしたのを覚えている。
「あ、俺の弁当のおかず狙ってんの? あげないよ!?」
「いらないよ!」
誰が友達の彼女お手製弁当のおかずを狙うんだよ。少なくとも僕は狙わない。悲しくなるだろうが。
そんな軽口を叩きながら話していると、突然教室の扉が開かれた。
「――向坂秋! 出てこいオラァ!!」
そんな言葉を吐きながらの美形登場だ。何だかこの一週間、美形ばかりに会ってる気がするのは僕の気の所為だろうか?