第三十五話:「向坂家と水辺にて」
母さんの名前は比呂。時々、父さんと母さんの名前を逆にした方がよかったんじゃないかな、と思う。でも、がさつな母さんに七瀬と言う名前は似合わないし、可憐な父さんに比呂と言う名前は似合わないなあ、と考え直して思考を中断。
軽く現実逃避気味な僕の視線はソファーに座る母さんと父さんへ。
「なあ、ナナ。今日は有給とってまでどこに行くんだよ」
「えー? みんなで、どこか行こうかなーって思って」
父さんのその言葉に、その場にいる全員が嫌そうな顔をする。まあ、当たり前だ。誰が好き好んでこの炎天下、遊びに行こうとするのだろう。少なくとも僕は嫌だ。
「めんどくせー」
そう言って、腹をボリボリ掻く母。自分の実の親だと思うと、涙が出てきそう。がさつすぎるよ……。
「で? お父さんは、どこに行くつもりなの?」
汐姉の言葉に、父さんの顔が綻んだ。
「実はね、みんなで、最近出来たウォーターパーク行こうかなって」
みんなの耳が、ピクッと動いた。
ウォーターパークとは、最近出来た大型施設。十八のプールがあって今、最も人気がある所だ。何やら人気がありすぎて、人が溢れんばかりに押し寄せてくるらしいが。
「でも、特別招待券は?」
善也兄が顎に手を当てて言った。
あまりにも人が多い為、ウォーターパークは事故を予防して、特別招待券を作った。それが無いと、入場出来ないのだ。その特別招待券を手に入れるには、ウォーターパークを経営する『ミヤビ財閥』のホームページで購入するしかない。しかし特別招待券は1ヶ月に1回行われる発売時刻から数分で完売。
購入するとしたら、もうネットオークションしかない。その値段は数万にも及ぶと言われている。
「まさかナナ、お前、ネットオークションで万単位のヤツを……?」
母さんの目がギラリと、危険な光を放つ。我が家の大黒柱的存在な母さんは、金庫番でもあり、お金を勝手に使うのを許さないのだ。がさつなクセに、こう言う所はうるさい。
父さんは慌てて両手を顔の前で振った。
「違うよヒロさん! 誠くんから貰ったんだってば!」
「誠が?」
母さんの問いに、うん、と頷く父さん。
誠くんとは、僕らの従兄弟であり、タケちゃんの弟でもあり、日々バイトに励む勤労青年である。現在、大学一年生で汐姉と同い年。僕たち兄妹はマコちゃんと呼んでいる。
「誠くんと偶然会った時、『オレはもう一回行ってるんで、使ってください』って言われて貰ったんだよ」
マコちゃん、色んな所でバイトしてて、結構顔が広いからなあ。バイト先の誰かから貰ったんだろう。タケちゃんと違ってマコちゃんは一途で、彼女一筋な人だ。その『もう一回行ってる』は、絶対に彼女と行ったんだと思う。なんで兄弟であれだけ違うんだろう。……まあ、僕が言えたことじゃないか。
「なんだよ、ナナ。だから私に、和真から特別招待券貰うなって言ってたのか」
母さんのその言葉に、父さんの顔が引き攣った。
和真、とはミヤビ財閥の会長で、母さんが秘書として務めているのが、その和真さんなのだ。
父さんは和真さんを嫌っている。その理由はどうやら、大学時代に父さんと和真さんが、母さんのことを取り合ったとかなんとか。僕としては、母さんのどこが好きになったのか不思議でしょうがない。そして結果は父さんの勝利。
「そうだよな。ナナは理由もなくそんなこと言わねぇもんなー」
笑いながら父さんの頭を撫でる母さん。父さんの顔は引き攣ったままだ。
……絶対、嫉妬だよな。
「あのっ、それで、どうするの? 行く?」
誤魔化すように言った父さんの言葉に、みんなが動きを止める。
ウォーターパーク=プール=涼しい。そんな図式が僕らの頭の中で展開されて――
それからの行動は、早かった。
○○○
そして現在、ウォーターパーク。人はざっと見て、二百人いるかいないか。ウォーターパークが広大なので、そう数えられない。
日を遮る磨り硝子のような屋根。ウォータースライダー。滑らないように作られた床。南国の花も植えられている。
「母さんたち、遅いなあ……」
僕 の言葉に、頷く向坂家の男性陣。女は支度に時間が掛かるってタケちゃんはよく言うけど、本当にそうなんだなあ。暫くボーっと立っていると、後ろから突然の衝撃。
「うぎゃっ!」
変な声出ちゃった! つーか、なんなんだ一体! 心臓止まるかと思ったわ!!
「お待たせっ」
「まあ、大体は予想してたよ……汐姉」
背中からタックルをかましてきたのは汐姉でした。そしてそのまま、僕のお腹に手が回る。
「細っ! 細すぎっ!」
「僕のコンプレックスをそれ以上刺激しないで!」
ふと、右手に柔らかい感触。見ると、菊花が僕の手を握っていた。
「秋お兄ちゃん、どうです? 私、変じゃないですか?」
「変なんてとんでもない。凄く可愛いよ」
ポッと頬を赤らめてはにかむ菊花は更に可愛い。十代前半の子が持つ可愛いと綺麗の中間のオーラを、菊花は上手に纏っているよ、うん。
そして二の腕が掴まれる感触。……もうパターンは読めた。
「秋、お前、もうちょっとぷよぷよしてるかと思ったけど、結構筋肉ついてるな。やっぱり、どんなに華奢で女顔でも、男なんだ」
「一言余計だよ!」
気にしてることズバズバ言わないで!
とまあ、そんなこんなで全員揃った向坂家。汐姉は白のビキニで、スタイルの良さが際立っている。菊花は淡いピンクのビキニで、胸元にあしらわれたリボンがまた可愛い。母さんは黒いビキニで腰にパレオを巻いている。外見が二十代だから似合っているんだけど、誰も四児の母親だとは思わないだろうなあ。
って言うか、そろそろ離れてほしい。
「母さん、ほら、父さんが寂しそうな目でこっち見てるよ。行ってあげたら?」
「めんどくさいから嫌だ。それより息子いじりの方が大事だろ。もっと大事なのが毎朝の牛乳と毎晩の酒」
「確実に優先順位間違ってるだろ!」
つづく。
○○○
『菊花の手紙』
天国のお母様とお父様へ
二人とも、元気ですか?
私は元気です。私が向坂家の養子になってから、10年が経ちました。
あ、あと、私が5歳の時、お母様とお父様が事故に遭って帰らぬ人となってしまい、10年が経ちましたね。早いような遅いような、不思議な感じです。
お母様とお父様が死んでから、祖父母もいない私は親戚中をたらい回しになっていた所を、今のお母さんとお父さんが引き取ってくれました。お母さんとお父さんには、感謝してもし足りないです。お母さんから聞いたんですけど、お母様とお母さんは親友だったそうですね。私、聞いて驚きました。
初めて、今のお家に行った日――ユウちゃん、汐お姉ちゃん、善也お兄ちゃん、秋お兄ちゃんは、私に凄く良くしてくれて、なにやら汐お姉ちゃんは妹が欲しかったらしく、私を本当の妹のように扱ってくれました。
その日、私は久しぶりに泣いてしまいました。
もう、お母様とお父様の顔は覚えていませんが、写真は有るので寂しくはないですから、安心してください。それに私には、傍にいてくれる家族がいます。
今、私は凄く幸せです。
私と今の家族が出会えたのって、天文学的な確率だと思うんです。
お母様とお母さんが知り合ってなかったら、私が生まれていなかったら、お母様とお父様が事故に遭っていなかったら――もしかしたら、秋お兄ちゃんたちが生まれていなかったら、なんてこともあるでしょう。
人生は奇跡の連続だ、とお父様は言っていましたね。私も、そうだと思います。
私がお母様とお父様の子供として産まれてきたのも奇跡で、私と今の家族が出会えたのも奇跡――いえ、奇跡だと、私がそう思いたいだけなのかもしれません。
私は、前のお母さんとお父さんが事故に遭って良かったとは思っていません。今でも、その当時のことを思い出すと、悲しくて涙が溢れてきます。
でも、悲しい出来事が遭った後には、必ず幸せなことがある。私はそれを経験しました。
だから今、私は幸せです。幸せすぎて怖くないか、とお父様に聞かれそうなので、先にお答えしますね。
……うーん。どうなんでしょう。多分、怖くない、です。そんな怖さを忘れてしまうくらい、幸せな気持ちで満たされているんだと思います。
私が怖い夢を見て眠れない時は、秋お兄ちゃんが私の頭を撫でて安心させてくれます。心配そうな顔で、ずっと。
汐お姉ちゃんは私を抱き締めて、穏やかな気持ちにさせてくれます。それから、一緒に寝たりします。汐お姉ちゃんと寝ると、とても安らかに眠れるんです。
善也お兄ちゃんは笑って、元気づけてくれます。でも、眉尻を下げて笑っているので、私より不安そうです。その顔を見て、善也お兄ちゃんには悪いですけど、私はクスッと笑ってしまいます。
ユウちゃんはおどけて、私を笑わせようとします。眠たそうな目で、一生懸命。ユウちゃんには、本当に悪いことをしています。
お母さんはホットミルクを作ってくれます。お母さんは無類の牛乳好きでお酒好きです。私もお酒は飲みますけど、ペースではお母さんには適いません。その代わり、先に酔うのはお母さんですけど。
お父さんが泣きながら私に抱きつこうとするけど、それはお母さんの強烈な蹴りによって防がれています。お母さんが言うには、お父さんは『ハーレムラブコメ体質』と言うものらしく、不死身なのだそうです。よく意味はわからないんですけど、凄いなあ、と思います。
ふふふ。なんだか、長々とごめんなさい。
私は元気でやっているので、心配しないでくださいね。
私の秘密を教えますけど……お父様は聞かない方がいいかもしれませんね。うふふ。
私の初恋は、ですね。
――なんですよ。
うふふ。秘密にしてくださいね。
今でも好きですけど、それはもう家族としての愛情ですから。
だからお父様、怒らないでくださいね?
では、おやすみなさい。
菊花より、愛を込めて