第三十四話:「向坂家」
閉め切った窓の外から聞こえる蝉の鳴き声。その声で目が覚めた僕。
記録的猛暑を叩き出した今日は、何もしないで家にいるのが一番。そう結論付けた僕はエアコンの温度を22度に設定して、ソファーに寝転がりながら涼んでいた。そしてその視界に、我が兄妹の姿が映った。みんな寝起きのようで、あくびをしながら、ソファーの上にいる僕に気付く。物凄いシンクロだなあ、と思った。
「秋、おはよー」
と、汐姉。
「秋、良く眠れたかい?」
と、善也兄。
「秋お兄ちゃん、おはようございます」
と、菊花。
「秋兄、おはよ」
と、裕太。
「あ、みんな、おはよー」
と、僕。
体を起こすと、みんながそれぞれ定位置に座る。
テレビの正面に位置するソファーは三人用で、そのど真ん中には僕が座り、その左隣には菊花、右隣には汐姉。テレビに側面を見せているソファーは二人用で二つあり、それは向き合うような位置に。そしてその片方には、善也兄と裕太が座った。
さてさて、ではここで、向坂家の内装を簡単に説明しよう。
まず、リビングの隅にあるグランドピアノ。菊花が弾くためだ。実は僕もピアノを習ってたんだけど、中学生になってから忙しくなってきたから止めた。
そして家族全員が座れるダイニングテーブル。母さん好みの黒で作られたキッチン。
二階にはそれぞれの部屋。大体そんな感じ。
「ふああ〜」
そんなあくびと共に、パシン、と後ろから頭を叩かれる。思わず振り返ると、そこには我が家の大魔王――汐姉は魔王――もとい、母さんがいた。どうやら寝起きのようで、とことん機嫌が悪い。頭ボサボサでパジャマのボタン掛け間違えてるし。がさつなんだよなぁ、母さんは。若作りしすぎってくらいに若々しい母さんの美貌に、ボサボサ頭とよれよれパジャマがミスマッチ。よく見れば、靴下も左右違う。……どこまでがさつなんだ、一体。
「母さん、仕事は?」
頭をさすりながら尋ねる。ちょっと痛かったんだよ。って言うか、母さんと父さんは共働きで、普段なら仕事中だよね? 秘書も楽じゃねぇなあって言ってたの、母さんだよね?
「んふふー?」←母さんの鼻息。
牛乳パックを開けて、そのまま飲み始める母を何とも言えない気持ちで見る僕。おおざっぱにも程がある。コップを使うのが嫌なら、せめて腰に手を当てるのは止めて。って言うか、飲んでから話してよ。僕は鼻息で会話する特技なんて持ち合わせてないから。そんな僕の思いを余所に、母は牛乳パックを飲み終えた。
「休みだよ、休み。ナナが、今日有給とってどこか行こうって言うから」
「はいはい、ごちそうさまー」
と、僕。
さり気なく惚気られてもうお腹いっぱい。説明すると、ナナ、とは父さんのことだ。本当は七瀬って名前なんだけど、母さんがそれを省略した。
「で? 肝心の父さんはどこなのかしら?」
そう汐姉が言う。その言葉に、善也兄と裕太と菊花が辺りを見回すも、見つからず。
そして母さんの顔がいやらしく歪んだ。……あ、なんか、嫌な予感。
「ああ、まあ、昨日頑張っ――」
「はいはいはーい。下ネタ禁止ー。よい子に悪影響だからねー」
なんだよ、と不満そうに口を尖らせる母さん。なんだよって、子供にそう言う話を聞かせる母さんの方がなんだよ。しかも今は太陽が昇ってるんだよ。そう言う話は夜にしてください。……いや、夜なら言っていいってものじゃないけど。
ともあれ、母さんが落とした爆弾は、確実に僕たち兄妹に影響を及ぼした。
菊花は顔真っ赤だし、善也兄は唖然としてるし、裕太は額に手を当てて、まるで世界の終わりみたいな顔してるし。僕は適応能力が高いのか知らないけど、母さんの下ネタは慣れてしまった。汐姉も順応して、平然としている。
と、その時、
「ふぁ〜、みんなおはよ〜」
ゴシゴシと目をこすりながらリビングに入ってきた父さん。僕たち兄妹の白い目が、父さんに突き刺さったのは言うまでもない。
『えっ? えっ? な、何っ? ぼく、何かした? ちょっ、やめ、そんな目で見ないでっ』
とは、僕たちの目を見た父さんの言葉である。ついには泣き出してしまったから、今度は兄妹みんなで慰めたけど。
【次回に続く】
○○○
『番外編:汐の独白』
はっきり言って、秋って極度の鈍感。しかも無自覚で人に優しくしちゃうから、なんて言うの? ほら、現代の女の子が求めてる、さり気ない優しさ、みたいな? 思えば秋は小さい時からそんな感じ。自分のことは後回しで、他人優先。
今でも覚えてるけど、あれは小学校の時。私が四年生で、秋が二年生。あの当時、私クラスのガキ大将みたいな奴にいじめられてたの。ほら、クラスに一人はいるじゃん。好きな子をいじめるって男子。あれってやってる本人は気にかけて欲しいからなのか知らないけど、やられてる方はいい迷惑なのよね。え? 話が逸れてる? うっさいわね。女の話はコロコロ変わんのよ。文句ある? あんたも投げてあげようか? ……ふん、わかればいいのよ。
で、ある日体育館裏に呼び出されて行ったのよ。そしたら、髪の毛引っ張るわ、叩かれるわ。その時の私はまだ柔道やってなくて、今では考えられないぐらい泣き虫だったの。
……え? 信じられない? ぶっ飛ばすわよ? ……ごほん。話を戻すけど、とうとう泣き出しちゃってねぇ、私。そしたらさ、聞こえたのよ後ろから。『しおねぇ』って。振り向くと、秋が泣きそうな顔して立ってんの。なんで秋が泣くんだろうなあってその時ぼんやり思ってたんだけど、今なら分かる。あいつ、人の痛みが分かっちゃう奴だから。どこまでも優しすぎんのよ。それから秋はね、『しおねぇをいじめるなっ』って言って、自分より二倍の身長はあるガキ大将に向かって行ったのよ。あいつちっちゃい時から凄い華奢なのに、無謀にも程があるでしょ? あーでも、あの時はキュンときたなぁ。弟じゃなかったら絶対惚れてた。……笑うな、そこ。
ん? 結局どうなったか? あー、あの後ね、偶然近くを通りかかった善也に助けてもらったわ。秋は二発ぐらいパンチ喰らっちゃってねー。口から血が出てたわ。もう善也ったらキレる寸前。笑ってガキ大将たちを説教してたけど、頬が引き攣ってたわよ。
でもさ、あいつ聞いてきたのよ。『しおねぇ、だいじょうぶ? ケガしてない?』って。笑っちゃうわよね。私よりあんたの方が大丈夫って感じなのに。
中学の時もね、友達が不良たちにリンチに合ってるって聞いて教室飛び出してそこに向かったらしいのよ。私は後からそれを聞いて、駆けつけたの。そしたら秋が殴られてたから、ぶん投げてやったわ、そいつ。その時私はもう柔道黒帯だったから。全員、ぶっ飛ばして気絶させた。
それから、秋にも一発ビンタを喰らわせてやったわ。物凄く痛そうな顔してたけど、秋は笑って、私の頭を撫でた。『心配してくれてありがと。僕は大丈夫だから、泣かないで』って言いながらね。その瞬間、キレたわ、私。つか、泣いたわ。いや、もう泣いてたんだけど。あんな優しい奴、他にはいないでしょ。あー、なんか思い出したらまたムカついてきた。帰ったらあのバカにちょっと一発食らわしてやろうかしら。
……ん? 結局、何が言いたいのかって? 秋は私の理想ってことよ。なんか文句ある?
『善也の独白』
秋は優しさの固まりだと思う。偽善とかお節介だとか言う人もいるけど、秋の優しさはそう言うものじゃない。見返りを求めない優しさ。だけどそれは、言い変えるなら、犠牲の上で成り立つ利他。秋はそれを無意識的にやってしまうから。だから、秋に媚びてぼくや汐、裕太や菊花に近付こうとする奴は嫌い。と言うか、何でみんな秋の魅力に気付かないのか不思議だ。また秋も鈍感だから、媚びられてることに気付かない。
ああ、そう言えば、汐が大学で売ってる秋の写真、凄い売れてるらしい。……秋、街を歩いて注目されないのかな? って言うか、汐ったら、秋の写真だけじゃなく、ぼくと裕太と菊花の写真まで売ってるみたいなんだよなあ。そこまでお金に困ってるんだろうか。……今度、相談に乗ってあげよう。
え? シスコン? ……ううん、否定できない。ははは。でも汐にはよくブラコンって言われるんだ。で、秋にはシスコンって言われる。結局どっちなんだろうねぇ。
って言うか、汐は何でぼくのこと、お兄ちゃんって呼んでくれないんだろ……。
【こっちもつづく】