第三十三話:「汐姉とデート(5)」
あれから五人仲良く談笑し、数十分が経過した頃。
「ん……ふぁあ〜……あれ、なんで俺寝てたんだ?」
と、伸びをしながら起きる琉。壱が不自然なほどにニコニコしていて、環が気の毒そうに琉を見る。琉は、壱、環、僕、汐姉、桜さんの順に見てから、首を傾げた。よく理解できてないみたいだ。
「おはよう、琉」
誰も口にしないから、僕が口にした。可哀想な琉。君の扱いは、僕とは違った意味で酷いんだね。ちょっと仲間意識がわいてきたよ。
「え、ああ、うん。はよ、秋」
目をぱちぱち瞬く琉。はよ、っておはようって意味だと思う。
「……誰? こいつ」
琉がそう言って指差したのは、我が家の魔王、汐姉。僕は見た。汐姉の頭に角が生えるのを。
「あ?」
とは、汐姉が不機嫌になる時特有の低い声。ひいっ、と悲鳴を上げる僕。皆は知らないだろうけど、僕は知ってる。
汐姉はメチャクチャ短気で、柔道黒帯だってことを。それなら変質者対策の送り迎えはいらないんじゃないのかってことになるけど、やっぱりそこは女の子なので。ちなみに、善也兄は合気道有段者。ってことで、琉が汐姉に敵うはずもないのだ。
「ガキがナメた口利いてると、捻り潰すわよ?」
にっこり笑顔だけど目が笑ってない汐姉の、右手の中指が天を指す。――つまり、天国へ逝っちまえ宣告。
その汐姉の変貌ぶりに、壱と環の顔が凍り付き、琉が気圧されたように目を見開き、桜さんが戸惑う。って言うか、僕の周りのほとんどの女の人が強いんだけど、どう言うことですか神様。試練ですか。一体なんの試練なんですか。
「――表出ろ、小僧」
「えっ、ええっ?」
現実逃避をする僕の脳内に響く、汐姉の低い声と、琉の戸惑う声。
意識を現実に戻すと、そこには汐姉に片腕を掴まれた琉。その状態でもう脱出不可能と悟った。
「琉……」
「しゅ、秋っ。何が何だかわかんねぇんだけどっ」
僕は琉に、ありったけの憐れみの視線を送った。
「本気でやらないと、殺られるよ」
「ちょっ、今、殺すって漢字が入ったと思うんだけど、冗談だよな!? ……おいっ! シカトすんなっ! たすっ、助けろぉぉぉぉ!」
そうして琉は、引きずられていった。
ごめん琉。僕は、魔王を止める術を知らないんだ……。
「……琉は星になったとさ」
そんなことを呟いて、ふと窓を見ると、琉が飛んでいた。……。さよなら琉。君のことは忘れないよ。
合掌。そして南無。
○○○
あれから、琉を投げ飛ばした汐姉はにこやかに、顔面蒼白な琉を引きずって帰ってきた。そして今、汐姉は僕の隣に座り、琉は汐姉の向かいに座っている。
「クソガキ、これからは調子乗るんじゃないわよ?」
汐姉は笑いながらそう言うが、言ってる内容は実に酷い。
「はい……」
敬語なんて琉にはあるまじき、と思っていたが、それが今、覆された。汐姉によって、と言うのが少し複雑だけど。
「次、なんてないわよ。あれでも手加減してやったんだから、感謝しなさい」
「はい……」
「ところであんた誰?」
そのタイミングで聞きますか、汐姉よ。あまりの傍若無人振りに、血縁の僕としては涙が出るよ……。目から零れ落ちた雫を、皆から見られないように拭った。
「い、庵原琉二と申します……」
「イハラ? 変わった名前ねー」
って、おい。自分から聞いといてそれは無いでしょ。
「よく言われます……」
琉は汐姉の投げ技がトラウマになったようで、逆らうことも出来ないみたいだ。無理もない。事実、汐姉が学園滞在中に投げた男は数知れず。その投げられた男たちは、トラウマになったりならなかったり、暫くは汐姉に近付こうとしない。
あの細い体のどこにそんな力があるんだろう? って思わせるほどに強く、自分の三倍の面積と体積はありそうな巨漢を軽々と投げる汐姉。とりあえず、向坂家は汐姉と善也兄のおかげで安泰……なのかな?
「……秋、この女性は一体誰だ?」
居心地が悪そうに僕を見る琉。あー。そっかそっか。琉には説明してなかったか。そうして僕は、本日二度目の姉紹介。
「向坂汐。大学一年生。血が繋がっていることがたまに恥ずかしくなるような姉です……痛いっ!」
「だ、れ、が! 恥曝しだってぇ〜〜!?」
ぐりぐりぐりぐり。
僕のつま先が、汐姉のヒールで潰されて。
ぎゅうぅぅぅぅ。
僕の頬が、汐姉の指に摘まれて。
「いひゃいいひゃいいひゃい! ごめんなひゃい〜〜!!」
「許さないわよ〜〜!」
げ、幻覚かなぁ。汐姉にはないはずの八重歯、って言うか牙生えてるように見えるのは……。
滲み出る涙を堪え、向かいに座る三人に救難信号を送るも、目を逸らされた。お前ら……薄情なっ……! それなら僕にだって考えがあるぞっ!
「ひっ、ひおねえ! ほりゃ、三人に見りゃりぇてりゅよ! ね!? だきゃら、はなひて〜!」
「そうはさせるか! そこの三人、もう帰っていいわよ? ここからは、姉弟の話し合いだから、ね? ……ちなみに、誰かに言ったらどうなるか、分かってるわよね?」
くっ! 流石汐姉、脅すのを忘れず、帰宅を促すとは、恐るべし!
三人は、僕に視線をよこしてきた。帰っていいの? って言う視線。……。よく考えれば、三人は関係ないんだよなぁ……。
「……み、みんにゃ、ま、また今度……僕が生きてたりゃ、会えりゅよ」
僕がほぼ半泣き状態でそう告げると、三人は、くっ、と涙を堪えて店を出て行った。今度、何か奢ってもらおう。それでチャラだからな。
「さあ、私たちも帰りましょうか」
「えっ?」
見ると、頬から汐姉の指が離れていた。ヒリヒリして痛いけど。
「当分、あんたは私の奴隷よ?」
「ど、奴隷……」
ここで人権とか主張したら、また頬とか抓られる?
「あはっ、じゃあね、桜。今度、家に遊びに来なさいよ?」
「うん。わかったよ」
と、桜さんは笑いながら頷く。桜さんが家に来る時は、タケちゃん呼ばないでおこう。って言うか、汐姉からタケちゃん入場拒否令が出るだろうけど。
「バイバイ、汐ちゃ――」
「ちょっと待って。桜、あんた一人で帰る気?」
帰ろうとする桜さんを、汐姉が引き留める。僕としても、桜さん一人で帰すのは反対だ。そして素早く携帯を取り出し、誰かに電話をする汐姉を、僕は横目で見た。
「あー、うん。私だけど、今ヒマ? あっそう。じゃあ桜、家まで送ってくんない? いい? 場所はいつもの店よ。わかった? ありがと。じゃあね」
通話時間、三十秒足らず。
パチンと携帯を閉じると、汐姉はニコリと笑った。
「店の中で十分、待ってなさい。あんたのよく知ってる人が来るから」
「え? 誰?」
僕も聞きたい。そんな視線に気付いたのか、汐姉が苦笑した。
そして僕の腕を掴み、店の自動ドアまで引きずっていく。
「ほら、行くわよ、秋」
「え、あ、うん」
戸惑う桜さんを置いて、僕たちは店を出た。
隣を歩く汐姉は、何故か楽しげに鼻歌を歌っていた。
○○○
もうすっかり暗くなり、時間が経つのは早い、と改めて感じる。隣を歩く汐姉に、ふと、気になったことを口にしてみた。
「汐姉、桜さんの送り迎えする人って、誰?」
「……大学で桜に好意を抱く好青年」
え、と固まる。いいのか? それっていいのか? 過保護な琉にバレたら、ヤバいんじゃないの?
「なによ、信用ならないって顔ね。まあ最後まで聞きなさいって。大学でね、桜は眼鏡を外さないの。要するに、桜の外見に惚れたんじゃないのよ、好青年は。しかも私の、男では初めての親友なんだからさ」
はあ、と生返事しか出来ない僕。まあ、汐姉が選んだのだから、間違いはないだろう。汐姉の人を見る目は確かなのだ。
「恋のキューピッドって、私の柄じゃないんだけど」
照れくさそうに笑う汐姉。僕はその頭を撫でた。
「確かに、そうかもね」
「でしょ?」
二人で、笑い合った。
暗い夜道。隣を歩くのは、自慢の姉。友達思いで家族思いな、自慢の姉だ。
「僕も、相当なシスコンらしいなあ」
どの言葉に、隣の姉が、ニヤリと笑った。
「私も、相当なブラコンよ。善也兄は、シスコンとブラコンが混ざってるけど」
「僕たち、って言うか、兄妹全員そんなものだと思うよ」
「確かに、そうね」
じゃあ、と汐姉が続ける。
「愛しの兄妹が待つ我が家に、帰りますか?」
「そうだね」
また、顔を見合わせて笑った。
夏休みは、まだ始まったばかり。今度、家族で旅行に行きたいな、と言う考えは、今日の夕食に言ってみよう。
はしゃぐ裕太。涼やかに笑う善也兄。僕の隣を歩く菊花。穏やかな笑みを零す汐姉。唇の端を上げる母さん。笑う母さんを見て、嬉しそうに笑う父さん。そして、苦笑いの僕。
考えただけで、頬が緩んだ。