第二十九話:「汐姉とデート(2)」
「し、汐……さん」
「何?」
「それ、全部買うんですか?」
汐姉が手に持つ、数十着の服。思わず敬語になってしまう僕だった。ここ、玲奈さんのお店なんだけど、なんかさ……高いのばっかり選んでない?
○○○
「玲奈さん、すいません。割引してもらうなんて、迷惑かけて」
頭を下げると玲奈さんは、意地悪く笑った。
「いいのよー。秋くんが、モデルをしてくれるって約束してくれたんだもん。割引するのなんて、苦でもないわ」
そう。僕がとても払えそうにない金額となったのを、玲奈さんが助けてくれたのだ。まあ、代わりに交換条件を出されたんだけど……。
「でも僕に割引する程の価値があるとは思えないんですけど……」
「いいからいいから! ほら、彼女、外で待ってるんでしょ? 早く行ってあげなさい。あと、出来れば彼女もモデルにならないか誘ってみて! お願い!」
「いや、彼女じゃないんですけど、まあ、一応誘って見ますね。……えと、じゃあ、行きます。それじゃあ、また今度」
「はいはーい。日程は壱人に言っておくからねー」
僕は玲奈さんに頭を下げ、店を出た。
○○○
秋ちゃんがいた店は、俺の母さんの店だった。結構な値段なんだけど、秋ちゃんは買えたらしい。だって、両手にいっぱい紙袋持ってたし。
「よし、じゃあ、玲奈ババアに事情聴取行くか」
琉は、俺の母さんの事を、陰で玲奈ババアって呼んでる。いつか殺されると思う。
「でも、事情聴取している間に、秋ちゃんがどっか行っちゃうよ? 環、どうする?」
「大丈夫。今、ファーストフードの店に入ったから。三十分の余裕はあると思う」
「おっし! んじゃ、行くぞ!」
玲奈ババア、待ってろよ、と言い店に走っていく琉。……暑い。暑苦しいよ、マイベストフレンド。
○○○
「肉厚ハンバーグ特選チーズ乗せバーガーを2つください」
「……はい」
え。何、今の間。僕、何かしましたか。って言うか、僕、貴方に見覚えがあるんですけど、どこかで会った事ありましたっけ?
「お客様は、優柔不断なんですか?」
「……っ!?」
営業スマイルと共に、ぼそりと呟かれた言葉に固まる。
思い出した。千歳と桐谷さんと一緒にカフェに行った時の店員さんだ。見た所、僕より少し年上みたいなんだけど……。肩甲骨あたりまで伸ばされたダークブラウンの髪が、力なく揺れる。暗いオーラ(?)でよく分からなかったけど、凄い美人さんだ。目に生気が無いのが怖いけど……。
って言うか。……そこまでお金に困ってるんですか。
「ええ。困ってます」
……僕、無意識に口に出していたらしい。
「私の家の会社、倒産してしまって、今、私が大黒柱って言うか、稼ぎ手と言うか。……まあ、言ってしまえば、私が働かないと、家族皆が行き倒れてしまうんですよね」
隣にいる汐姉とアイコンタクト。
(……重いわね)
(……重いね)
「私には小さい時からの許婚がいるんですけど、その方、世界を股に掛ける大企業の跡継ぎなんです……。しかも年下……。ああ、こう言うのって、何でしたっけ……玉の輿?」
隣にいる汐姉とアイコンタクト。
(……変なのに捕まっちゃったわね)
(……そう言う事を言わないの。めっ)
(……ガキ扱いすんなっ)
いてっ。ふくらはぎにローキックされた。
「何かもう、その言葉が重くて重くて。家族は玉の輿玉の輿ってうるさいし、店長は仕事仕事ってうるさいし、友達は合コンばかり誘ってきてうるさいし」
隣にいる汐姉とアイコンタクト。
(……愚痴られてるわ)
(……愚痴られてるね)
「あれ? って言うか、汐ちゃんじゃないですか?」
「え。汐……さん、知り合い?」
「ううん。知らない」
即答かよ、と僕がツッコむと、店員さんはああ、と思い出したかのように手を打った。
「すいません。私、大学では眼鏡かけてるんです」
スッと、胸ポケットから牛乳瓶の底ぐらいの厚さがありそうな眼鏡を取り出し、それを掛ける店員さん。
「あああああっ! 桜、あんた、ええっ!?」
と、意味不明な日本語を喋る汐姉と、ニコニコ笑っている店員さん――桜さんの間に挟まれて、頭の上に『?』マークが飛んでいる僕。
って言うか桜さん、仕事してください。僕達の後ろに、いっぱい人が並んですけど。
店長の言葉は、強ち間違いじゃないなあ、と思う僕だった。
○○○
「秋くんは、別に彼女じゃないって言ってたけど?」
「ふうん。そっか、分かった。ありがとね、母さん」
「別にいいけど、何かちょっと気になるのよねえ」
母さんはそう言うと、顎に手を当てて唸り始めた。……お客さんが変な目で見てるのに気付かないのかなあ。
そう思いながら、店の中をざっと見回す。
何故、琉でもなく環でもなく、俺が母さんと話しているのか。それは、琉と環が、母さんに弱味を握られているからだ。本当に、弱味を探し出すのが上手いなあ、と思う。
俺は知らないんだけど、何か、二人にしてみればやばいらしい。まあ、どうせ琉は例の許婚絡みだろうし、環は成子ちゃんにバレたらいけないものだろう。
『弱味を握られてる人間とは、極力話したくない』
そう言って、琉と環は、マサくんとマユさんと(真幸と真弓の事)一緒に、あっちで女心について話し合ってる。
って言うか二人達、何でここに来てるのか分かってるのかな? 女心について話し合ってる場合じゃないと思うんだけど。
あーあ、やってらんない。美波ちゃんに電話して、慰めてもらおうかな。俺、失恋しちゃったってね。まだ誰にも言ってないけど。
つい、ふとした拍子に告白して、フラれただけ。小さい時からの幼馴染みが好きとか。
別に、傷付く事は無かった。幼馴染みって言葉に、胸が少しチクッとしただけ。
思えば俺は、あの初恋から、人を本気で好きになった事が無いのかもしれない。だからと言って、今更、俺の気持ちが千歳に向く事は、絶対に有り得ない。
時の流れは、人の気持ちも傷も風化させていく。千歳の傷が消える事は無かったけど、俺の気持ちは確実に消えている。あの時の胸の痛みは、懐かしさからくるものだ。
あの時から、琉も環も進んでいる。千歳も、一歩踏み出した。だけど俺は――
「……壱人、聞いてるの?」
「ん? ああ、聞いてたよ」
無意識に考え込んでいたらしい。慌てて笑顔を作る。すると母さんは、呆れたように言った。
「作り笑いがヘタねぇ」
「ん……そうかな」
流石、母親だね。そう言うと母さんは、バカ、と言って笑った。
――俺はちゃんと、前を向いて歩いていけてるのかな。
取り敢えず、美波ちゃんに電話したくなってきた。帰ったら、早速電話しよっかな。合コンの時から一度も会ってないけど、遊びに誘ってみるのもいいかも知れない。
長い休みは、何か、俺に気付かせてくれるかも知れない。
そう思って、探して探して、いつも、見つからなかった。
だけど今は、秋ちゃんがいる。鈍感で天然で無自覚な男の子。
でも、だからこそ、気付かせてくれるかも知れない。
教えてくれるかも知れない。俺を――救ってくれるかも知れない。
「助けてくれよ……頼むから……」
心の叫びは悲痛な呟きとなり――
――夏休みは、まだまだある。その間に、俺は答えを見つけられるのかな。