第二十二話:「グレープフルーツシャーベット」
『で? 一体何の用?』
「相変わらず変わり身早っ。……まあいいけどさ、今日僕、夕飯いらないから」
『あらそう、残念ねぇ。今、家にタケちゃん来てるのに』
「別に僕は残念じゃないけど……どうせまた二股とかして振られたんでしょ」
『七股らしいわよ。さっきまでお父さんが正座させて説教してたわ。でも、あの女顔で説教されてもイマイチ迫力に欠けんのよねー』
「それ、僕にも当てはまるから止めて」
『あら? タケちゃんがヤケになって菊花が飲み比べしてるんだけど……ちょっとー! 勝負するならするで、私に一言くらい言いなさいよー!』
「……飲み比べで菊花に勝てる訳ないよ」
『日本酒を一人で二リットル飲んでも翌日には二日酔いなく登校してる化け物だからねえ……あーあ、お父さん、止めさせようとしてるよ』
「つか、汐姉も止めてあげてよ。明日のタケちゃんの事を思うなら」
『ヤダ、めんどくさい。あー、お父さん、お母さんに馬乗りにされてるよ。邪魔されてる。お母さん、面白い事大好きだからねぇ』
「助けてあげなよ……」
『嫌よ。面白いもの』
「汐姉は確実に母さんの血を引いてるよ……」
『そりゃどうも。あんたは父さんそっくりよ。じゃあね、あまり遅くならないようにしなさいよ。あ、そうそう。私、今、彼氏振ったところなのよ。帰ったら、愚痴聞きなさいよね』
ぶちっ。ツー、ツー。
……切られた。相変わらず、マイペースな姉だ。しかも、振った、とか言ってたな。やれやれ。今年で何人目だよ。
姉の飽き性に苦笑しながら、スプーンでビシソワーズを掬う。
「ん! 美味しい!」
「そうか。デザートもあるから、食い過ぎないようにしろよ」
「大丈夫! デザートは別腹!」
「さながら女子高生のような発言だな……」
……ぐぅ。否定できない。
「……やっぱり、甘党な男って、変?」
「いや、変じゃない。いいんじゃないか? 少なくとも、私は嫌いじゃない」
嫌われるのは避けたいなあ、と、そんな気持ちが表情に出たのか、千歳は少し目を細めて、優しく諭すように言った。
嫌いじゃない――その言葉に何故か気恥ずかしくなって、意味もなく笑った。頬が緩んだ、と言ってもいいかもしれない。
「はは……そっか。よかった」
顔が熱いのは、気の所為だと言う事にしておこう。味が分からないのも、多分、気のせい。
○○○
彼女はキッチンで洗い物――僕も手伝うと言ったが、千歳が頑なに拒んだ為に断念した――、僕はソファーに座ってテレビ鑑賞。
家が大きいとテレビも大きい。テレビは確実に一般家庭よりは大きいだろう。一般家庭の基準がよく分からないけど。
「千歳のお父さんとお母さんは、何をしている人なの?」
「仕事か? 本業はアイドルらしいが、今は俳優みたいな事をしている。特に興味がなくて聞き流したから、今、何をやっているのかは知らない。母は女優だ」
「げほっ! ごほっ! ちょ、ちょっと待って! お父さんがアイドル!? お母さんが女優!?」
思いもよらない言葉に、口に含んでいた麦茶で咽せてしまった。鼻がツーンとする。痛い。
「ああ、二人共、芸名で活動してる。名前は確か……父が仁科上総。母が久瀬由衣だったかな」
「ぶほっ! げほっ!」
事も無げに言う千歳。しかしその名前は、大女優と国民的アイドルの名だった。
……また咽せちゃったよ。って言うかもう、咽せるとかの問題じゃないんだけどね!
「本名は日宮上総と日宮由衣だ。それより、この事は秘密にしておいてくれよ。二人が所属している事務所が公にしていないんでな。知る人は少ない」
確かに、メディアで千歳の両親の話題が上がる事は少ない。上がる事はあるけれど、結局は謎で終わってしまうのだ。
「父と母も、それに賛成した。多分、私を世間の目から離す為だ。その為に、この階のワンフロアを母と私が買って、壁を取り払って一部屋にした。それから父が上のワンフロアを買いきって、天井を取り払って二階を作った。扉が二つあるのを見たか? 左が私で、右が母。上が父。見事なカモフラージュだろ?」
千歳はそう言い、キッチンから出る。両手には、デザートの入った皿を持っていた。
コト、と音を立てて、目の前に置かれるデザート。
「昨日作った、グレープフルーツシャーベットだ」
ドサッと、勢いをつけて千歳が僕の横に座る。勢いをつけすぎて、眼鏡がちょっとズレてしまっている。それに気付いた千歳は、眼鏡を中指で押し上げた。
「私は、父と母が十八の時に生まれた子供でな。母が妊娠した時、父は既にテレビに出ていて、母はまだ学生だった。母が妊娠したと知った父は周囲の反対を押し切って母にプロポーズし、母もまた、私を産むと言い切った。そこで父が所属していた事務所は、二人が結婚する条件に、この事は一切公表せず、知る人間を限るようにと言ったんだ。……まあ、これは祖父と祖母から聞いた話だ。愉快な人達だから、少し誇張が入っているかもしれん」
言い終えた千歳は、無表情でシャーベットを口に運んでいく。目線はお笑い番組が映るテレビへ。
「それを知っているのは、肉親以外に、父と母に古くから親交があった壱人と琉二と環の両親。だから、私と三人は必然的に幼馴染みとなった。例外なのは美波と――秋だけだよ」
テレビから聞こえてくる笑い声が、もどかしい。千歳は機械的に、スプーンでシャーベットを掬う。
「……何で、僕に?」
掠れた声。考えて考えて考えて、ようやく出た言葉。
千歳は数少ない言葉から意味を汲み取る。
「何でだろうな……」
スプーンを口にくわえたまま、少し首を傾ける千歳。そして彼女は、何を考えたのか、可笑しそうに――クスクスと、笑った。
「多分………秋は、私の事を軽蔑しないか知りたかったから、かな」
口に含んだシャーベットは、甘くて――少し、苦い。
そしてその時、僕の中で何かが壊れた。
感情の爆発。何かどす黒いものが僕の中で渦巻き、それを口にするのは、今の僕にとっては容易い事だった。