第十二話:「鬼と女王」
開け放たれた扉。桐谷さんと千歳。
その桐谷さんの右手は、恐らく見張りでもしていたのであろう男の首を掴んでいた。そのほぼ瀕死状態の男が桐谷さんの怖さに拍車をかける。震える僕と僕ちゃんと、驚く他の男達(震えない事を不思議に思い、よく見たら、他校の生徒だと言う事に気付いた。なので鬼の成子を知らないのも納得)と、瀕死状態の男を引き摺る少女と、それを見ても顔色一つ変えない少女。もうどっちが悪役なのか分からない。
「やー、久しぶりに暴れられると思うと、顔が締まらないなー」
言葉で表すなら、ニヘニヘ。そんな笑い方をした桐谷さん。大丈夫です。貴方はどんな笑い方をしても鬼に見えますから。暴れる事を喜んでいるところを見ると、桐谷さんは欲求不満らしい。委員長って何かとストレス溜まるのかな。
男の首――生首ではない――を持った美少女と不気味に笑う美少女の突然の来訪に、数人の男達は恐怖に顔を引き攣らせる。うん。分かるよ、その気持ち。だって、夢にでも出てきそうな光景だもんね。鬼の成子を知らない人でも震え上がるような殺気を満面の笑みで出してる人が居るんだし、空気が一気に五度ぐらい下がりそうな冷笑をしてる人も居るんだから。でも逃げる前にこの縄外して! 僕も逃げたいから!
「あ、向坂くん、朝の挨拶がまだだったね。おはよー」
「やあ、桐谷さん。爽やかに挨拶するのはいいんだけど、右手に持っているのは何かな? ああ、いいんだ、説明しなくても。うん。そんなの見れば分かるよ。と言うか、早くその首から手を離してあげてよ! え? 理由? 何故って口から泡吹いてるからだよ!」
あ、ホントだ、と桐谷さんはそう言って、僕ちゃんの仲間かと思われる男の首から手を離した。重力によって崩れ落ちる男の体。頭とコンクリートの地面がこんにちわして、ゴツ、と鈍い音を立てる。い、痛そう。
「さぁて、私の暇つぶしに付き合ってくれるのは誰かなー?」
残忍な笑みを見せる鬼。冷酷な笑みを浮かべる女王。震え上がる子羊、僕と僕ちゃん(ややこしい)。目に見えぬ気迫に圧される他校の男達。
誰も答えない問いに、桐谷さんは肉食獣のように舌なめずりし、
「まぁ、いいけどね。どちらにしろ全員――ぶっ潰すから」
ニヤリと笑った。
○○○
他校の生徒達は、不良の溜まり場と言われる西高の制服を着ていて、髪を金やら緑やらに染めている事から、絶対不良。それに加えて体格も中々なもので、喧嘩もそれなりに強そう。そんな訳で、『ブッ潰す発言』をした桐谷さんにカチンときたご様子の不良さん達は、
「テメェ……ナメんなよ」
相当お怒りのようだった。ちなみにこの言葉はリーダーっぽい金髪さんがドスの利いた声で発したものです。だけどそんな事、桐谷さんは気にしません。
「へぇ? 面白い。千歳、コイツら私がやるから、手出し無用よ?」
サラリと言う桐谷さんに、不良さんの血管はブチギレ寸前。
「お言葉に甘えておこう。まあ、こんな雑魚、成子にかかれば簡単だろ」
冷笑を浮かべながら千歳が言った言葉に、不良さんはついにキレた。
「女だからって容赦しねぇ!」
金髪の男が桐谷さんに向かって走り出す。不良の数は十五人。これからはアルファベットを付けて区別させて頂く。
不良Aが桐谷さんの顔目掛けて拳を振るう。彼女はそれを微動だにせず、あと顔まで数センチと言う所。
――小さく、乾いた音が響いた。不良Aの拳は、桐谷さんの手の平に。彼女の目は不良Aの顔と自分の手の平に収まっている拳を行き来し、うーん、と唸りながら口を開く。
「問題外」
そう言った時には、桐谷さんの拳は不良Aの顔に打ち込まれていた。骨が砕けるような生々しい音を立て、鼻から鮮血を噴き出す不良A。
彼女は返り血を浴びないようにバックステップする。
「やっ、やっちまえ!!」
不良Bがお決まりの文句を叫び、不良達が走り出す。
「っらぁ!」
「あはっ!」
不良Bが放ったハイキックを、桐谷さんは顔の横に右手を掲げて防ぐ。次の瞬間、右手で足を掴み、残った片足をローキックで払った。不良Bは支えを失い、そのまま倒れる。
そして――かかと落とし。それは見事に不良Bの腹に入る。苦しそうに咳き込む不良B。
その時、桐谷さんは、既に次の戦闘体制に入っていた。
――マジで容赦ねぇよこの鬼。そう思った僕を、誰が責めれるだろう。ただ僕としては、桐谷さんの後ろで笑う千歳の方が怖いけど。そんな事を考えながら、乱闘にまた目を向ける。
不良Cを踏み台にし、跳躍した桐谷さんの膝が、不良Dの顔を襲う。嫌な音を立てて、不良Dの鼻がめり込んだ気がした。
そのままクルリと綺麗に着地した桐谷さんは、素早く不良Eの懐に潜り込み、頭を掴んで体重をかけ、鳩尾を膝蹴り。
突進してきた不良Fには回し蹴りで対応。横腹にクリティカルヒット。
不良Gの首筋に手刀。そしてその場を普通に横断する千歳。って。危ないでしょ!
「秋、大丈夫か?」
「や、大丈夫だよ。ちょっと頭が痛むくらい」
すると千歳は長い睫毛を伏せ、悲しそうな顔をした。
「すまない。秋を巻き込んでしまって」
「ぼ、僕の事は気にしないで。結構楽しいよ? 刺激があって」
刺激があり過ぎる時もあるけどね。そう言おうとするけど、口が動かない。千歳の後ろに忍び寄る不良Hに釘付けになったから。縄に縛られている自分を、忌々しく思う。
「千歳、危――」
全て言い終える前に繰り出される千歳の裏拳。不良Hの顔に触れたのは一瞬だった。端から見れば、大してダメージがないように見える。――だけど、不良Hは崩れるように倒れた。
……え? 今の、何?
千歳を見ると、何事もなかったかのような涼しい顔をしている。
「もー! 手出し無用って言ったじゃない!」
そう言いながら、不良達をバッタバッタと倒していく桐谷さん。余裕だねー。
「秋に危害が及ぶ危険性があったからやったまでだ。そう言うくらいなら、こちらに危険が及ばないような闘い方をしてもらおうか」
千歳は僕に背中を向け、冷たく言い放つ。って言うか、一体どんな関係なんだこの二人。
「ははっ! 上等! 了解しましたお姫様――っと!」
桐谷さんは不良Iに肘鉄を入れた。
○○○
縄も外され自由の身。そして床には不良が倒れていた。扉の傍には桐谷さんと千歳が居る。
隅で震える僕ちゃんを見た。
「じゃあね、僕はもう行くよ」
僕ちゃんは答えない。同情するつもりは無い。慰めるつもりも無い。
ただ、別れの言葉を告げるだけ。背を向けた時――ぽつりと聞こえた声に、少し笑った。
一度も振り返らずに、工場を出る。空を見上げれば、太陽が眩しかった。そして僕ちゃんが発した言葉に、また笑う。
――僕は、まだ、諦めてないからな。千歳ちゃんを、お前から奪ってみせる。
「諦めの悪い奴」
そう呟き、歩き出した。桐谷さんと千歳が、僕の横に並ぶ。
諦めの悪い奴。さっき言った筈だ。彼女は誰の物でも無い。そもそも、奪うって言われても彼女は僕の物でもないのだ。もう僕が言った事を忘れてるのかなあ。
もう一度、空を見上げると、やっぱり太陽が眩しかった。