第十一話:「僕ちゃんと僕」
あれから何事もなく、一週間が過ぎた。
時にはピンクの集団と戦ったり、不幸の手紙は封を開けずにゴミ箱に捨てたり、佑樹の襲撃を難なくかわし、返り討ちにしてやったり、色んな事があった。
あれ? 何でここ一週間の事が頭の中でグルグル回ってるんだ? こう言うの、何て言うんだっけ? えーと……走馬灯だ! はー、すっきりー。ようやく思い出せたよー。……ん? でも、何で僕が走馬灯見てるんだ? これって、人が危機に陥った時に見るものでしょ?
閉じていた目を、薄く開ける。目の前で笑う、数人の男達。その先頭に立つ男は、一週間前、僕に強烈な敵意を抱いていた黒い瞳。
……ああ、そうか。僕、後ろから誰かに、殴られたんだった……。
それを自覚した途端、僕の意識は飛んだ。
○○○
「ん……」
目を開けると、そこは見慣れぬ場所。よく見ると、長年使われてない工場って感じ。
うわー。きたー。お決まりのパターンきましたよー。きゃー。って言うか僕、椅子に縛り付けられてるー。……無理にテンション上げるの止めよ。何か虚しい。
その時、キキキッと言う音と共に、数十メートル先の、錆びた大きなスライド式の扉が開いた。
薄暗い工場内に光が差す。
現れたのは、数人の男達。その中に、あの男も居て。僕をニヤニヤと笑いながら見ていた。
「どう? お目覚めの気分は?」
「最悪です」
その皮肉に笑顔で答える。頭痛いし、吐き気はするわで、本当に最悪だ。
「ふうん。ま、いいや。君、何でここに居るのか分かってるよね?」
そう言うと、男は僕の顔を覗き込む。うわ。死んだ魚の目。気持ち悪い。内心そう思いながらも、笑顔で答える。
「ああ。千歳の――」
乾いた音と共に、熱い痛みが頬に走る。これは予想外。平手打ちされちゃった。
「テメェ如きが僕ちゃんの女の名前を呼び捨てにするな!!」
あーあー。そうですか。すいませんねー。……ちょっと待て。コイツ、今、“僕ちゃん”って言わなかったか?
「ええと、聞き取りにくかったんで、もう一度言って下さい」
「ふん。いいだろう。僕ちゃんの女を呼び捨てにするなと言ったんだ!!」
「ぶふっ!」
「は?」
「今の時代に一人称が僕ちゃん!? マジで!? 超レアだ!」
台詞は悪人なのに、一人称は僕ちゃんって面白すぎる。そう言えば、こう言う一人称をする奴にはアレが相場となっている筈だ。聞いてみる価値は、十分にある。
「お母様は好きですか?」
「うん! 僕ちゃん、ママ大好き!! ……って何を言わす貴様ぁ!!」
「……」
「何だその目はぁ!」
自分で聞いといてアレだけど、ちょっと気持ち悪かった。ごめん、マザコン僕ちゃん。
数分後。
「それで、僕は何でここに?」
怒り出した僕ちゃんを落ち着かせてから、聞いてみた。
「お前を人質にして千歳ちゃんと付き合ってもらおうと思って」
「……」
ち、ちっせー……。なんかもう、男としても人間としても小さい。
僕の無言をどう捉えたのか、僕ちゃんは話し出す。
「ちなみに、千歳ちゃんにこの事は手紙で伝えてある」
「それで? 内容は?」
「『君の友人を預かってるよ。向坂秋くんを解放するには、条件がある。私と付き合ってほしい。結婚を前提に。この事は誰にも伝えちゃいけないよ。ただ、君にも都合ってモノがあるだろうから、時間は何時でも構わない』……と書いた」
イラッとした。お前、手紙でカッコつけんな。なんで僕ちゃんから私なんだよ。しかも結婚を前提にって重っ。内心そう思いながらも、表には出さずに答える。
「その条件は無理ですね」
「はぁっ!? な、何故だっ!?」
うーん。何故だと言われてもなぁ……。ここ一週間ぐらい一緒に居て、遠くから見ていたのでは気付かなかった事を、僕は知った。
何者にも屈しない、毅然とした態度。強い意志を秘める紅い瞳。他の追随を許さない圧倒的な強さ。絶対なる存在感。
「千歳は誰にも屈しません。従いません。欲しい物は何が何でも、どんな手を使ってでも手に入れる――それが彼女です。まあ、これは僕の推論でしかありませんけど」
僕ちゃんの目を見て言った。これは、確信。
一週間の付き合いで千歳を語るのはおかしいと僕でも思う。でも、つい最近分かったんだ。彼女は人に頼るのが嫌いだって事に。ある意味それは、負けず嫌いと言うのかもしれない。それは悲しい事だ。誰にも頼らないから、周囲に壁を作る。その壁が障害となり、人を近寄りがたくする。
その壁を壊してあげたい。そう思ってしまうのは僕の傲慢でしかないのだろう。
グッと押し黙ってしまった僕ちゃん。
僕はそれを気にせず、もう次の事を考えていた。
……そう言えば、今、何時だろう? まだ学校に間に合う時間だよね? 空、明るいし。
「あの、今何時ですか?」
僕の問いに、僕ちゃんが答える。
「え? 今? 昼の一時だけど」
え。え。ええええええ!!
「……嘘ぉぉぉぉ!」
「う、嘘じゃないけど?」
「いやぁぁぁ! 殺される! 鬼に殺される! 鬼の成子に殺されるぅぅぅ!」
絶叫が、工場内に響き渡る。鬼の成子と言う単語に、空気は一変した(僕と僕ちゃんの周りだけ)。しかもどこからか聞こえてくる、鬼の笑い声。来た。いや、出た。鬼が出たんだ。
「あはは! 向坂くん! 助けに来たわよ!」
錆びた扉から現れたのは、桐谷さん。そして―― 千歳。
桐谷さんの後ろに居る千歳と、目が合う。すると彼女は薄く笑った。
――それは、背筋が凍り、冷や汗さえもが一気に引いていくような、ゾッとする冷たい笑み。
ねぇ僕ちゃん、言ったでしょ? 千歳は欲しい物を何が何でも、どんな手を使ってでも手に入れるって。あと、普段は無表情な千歳が冷気を漂わせるような笑い方してるから、君、相当覚悟しておいた方がいいと思うよ。でもさ、千歳。
最終兵器桐谷成子を連れて来る事無いって!