ラルウの商隊
私が弟に贈った六連発の銃。珍品として、好事家のみに売買されていた六つの銃身を持つ銃のことだ。この銃が、ラルウで作られたことを知ってから、弟はラルウについて調べ尽くしたと言っていい。
弟は、この連発銃の有用性に着目し、その連発銃の専売権を餌に商人から資金を集め、より良質な連発銃を開発しようとしていた。
実戦での有用性が証明され、運用方法が確立すれば、現行のマスケット銃隊の分の換装だけで、優に一万丁以上の市場が確保できるわけで、生産者も、取り扱う商人も潤い、兵は強化される。
これが、弟が構想していた一石三鳥の富国強兵策だった。弟はこの戦略を野心の牙に変え、ラルウに旅立とうとしていたのだった。
私は、弟の様な具体的なプランをもってラルウに向ったわけではない。私は、知っているのだ。四百年の安寧のうちにナカラがとことん腐ってしまっていることに。
非合法組織という世界の暗部にどっぷりと首まで浸かっていた私には、この腐敗がどこまで深刻なものなのか、骨身にしみている。
弟は、若者らしい純粋さがあった。大ナカラが倒れる事などないと思っていたのだ。そして、少しの意識の改革で、事態は好転すると信じていた。
性善説自体は悪い考え方ではないが、それが通用する場合としない場合がある。彼の理論の欠点は、後者を考慮に入れていないことだ。
しかし、彼の情勢の分析のうち、辺境に着目していたことは慧眼だった。私もそうだが、ナカラ中央部で育った者は、無意識に辺境を軽視する傾向がある。
何も根拠がないのに、地方を一段下に見るのだ。内乱に次ぐ内乱で、戦争慣れした辺境属国。地方を管理する役人を抱き込むという僅かな投資だけで、違法に国力を充実させ、武器を蓄え、兵を養う。
辺境各国は、帳簿上は僅かな収入しかなく、租税の控除を受けているが、役人の汚職が横行する現在、計上されるデータが正しいものとは限らない。役人を監視する監査機能まで、汚職にまみれているのだから、調べようがないのだ。
不正を正すには、力が必要だ。力とは兵だ。しかし、かつて精強だったナカラの兵も、世襲が続くうちに武門の家も貴族化し、不正に得た蓄財で、いかにきらびやかに兵士を飾り付けるか、そのことにばかり、投資するようになっている。
兵士の役割は、パレードしかなくなったのだから、それは正しいといえば正しいのだが……。
内乱や盗賊の鎮圧は地方任せ。ただし、赴任してくる行政官も軍人も、その地方で私腹を肥やすことしか興味を示さないので、フロントライン・シンドローム(最前線の兵士が上層部に不信感を抱いた状態)が深刻化しており、これがまた、内乱や独立した軍閥を発生させる温床となっている。
飢えた狼が、次々と生まれてくる今、ナカラは彼らの前に投げ出された巨大なケーキで、何処の勢力がその取り分をおおくするか、互いに牽制しあっているのが今の情勢なのだ。
弟の野心は、そこにあった。パレード以外に軍事行動を起こしたことがない軍隊でも、百戦錬磨の精兵に対抗する手段。それが連発銃であり、連発銃を前提とした新しい戦術を行使できる指揮官になれば、のし上がれる。そう思っていたのだ。
だが、結局は足を引っ張られて終わりになるだろう。私の父が失脚した時の様に。一致団結して外敵に当たろうと考えるよりは、権力の保持に努めるのが、世の常だからだ。
弟のある意味「幼く」「純粋」な戦略を、汚れちまった『私』というフィルターを通すと、こうなる。ナカラは巨大がゆえに倒れるのに何年も何十年も時間がかかっているだけで、再び立ち上がる力は無いのだ。
それでも、私は弟の遺志を継いでラルウに向かう。生命の尽きるその時まで、野心の炎を燃やしていた弟の魂魄を背負うのは、私しかいないのだから。
途中で倒れるなら、それは運命というものだ。私は、弟の野心を具現化するに足りないと判断されたということなのなのだと、諦めがつく。どうせ、ヤクザの用心棒稼業だった男だ。荒野で死ぬのも、街中で死ぬのも、変わりはない。
しかし、命運尽きたと思った矢先、弟の魂が導いたかと思わせるほどの僥倖で、目的地ラルウの商隊に命を救われた。
これは、弟の魂が私に理論を実地検証せよと命じているのではないだろうか。私はそう思うことにした。
ラルウの商隊は、私が弟に贈った六連発銃のようなハンドメイドの一点ものや、やたらと装飾に凝った剣やマスケット銃を、私腹を肥やした地方の役人や軍人に売り歩くのを仕事にしていた。
特に、用途がわからない連発銃に関しては、デモンストレーションを行わなければならないため、全員が銃の扱いに慣れている。また、野伏や山賊から自衛しなければならないこともあり、実戦経験も積んでいる。
つまり、商隊員がそのまま護衛を兼ねているわけで、輸送コストを抑えることが出来る。
商品価値の高い品物を、一年以上かけてナカラ中を遊弋して売りさばき、ラルウに戻って商品を仕入れ、また旅立つ。そうしたサイクルで彼らは動いているようだ。
金鉱脈は枯れてしまったとはいえ、鉄鉱脈はまだ産出が可能であり、大量生産でなければ、銃や剣は作れる。
原材料がタダ同然で採取できるというのは、生産コストが低いということで、商隊が売りさばく品の利ザヤが大きいということだ。
これが、没落しきった、かつての金産出国、ラルウを支えている命脈。
傷がようやく回復の兆しを見始め、私は座る事が出来るようになり、固形物も口にすることが出来るようになっていた。
「お前さんに聞きたいのは、これさ」
病室代わりに私にあてがわれた幌馬車に、小太りの男が来たのはそんな時だった。ラルウの商隊のうちの一つを率いているこの男の名前はベルズという。
彼の手には、弟の所持品であった六つの銃身をもつ銃が握られていた。
「弟の遺品だ」
私は何も包み隠さず、全て正直に話すと決めていた。ラルウの商隊は、銃器や武具を売り歩くと同時に、武器の性能のデモンストレーションの一環として、戦場で傭兵まがいのことをする。
戦場といっても、暴動や打ちこわしの鎮圧、治安維持軍による強盗団や盗賊団の掃討程度の小さな戦場であるが、死線を潜り抜けた人間に半端な嘘は通用しないだろうと思ったからだ。
「この銃は、スコフィールドという、うちの設計士が作ったものだよ。我々はこいつを『胡椒箱』と呼んでいるよ」
筒状に並んだ六つの銃身は、発条で回転方向と逆にテンションがかけてあり、回転させると、銃身の根本にある火皿と撃鉄がカチリと合わさるようになっている。
使用する際には、撃鉄に火打石をはさむ。撃鉄が落ちると火花が生じ、それが火皿の火薬に引火して、撃発する。
要するに火打石銃なのだが、いちいち弾込めをしないでも、六つ並んだ銃身を回転させることにより、連続して六回発射できるというわけだ。
この、銃身を回転させる動作が、まるで胡椒の粒を挽く道具の動きに似ていることから、『胡椒箱』という名前がついたらしい。
「この銃は、未来を切り開く画期的な発明だと、弟は信じていた。だから、私は死んだ弟の代わりに、この銃が生まれたラルウという場所を、この目で見てみたくなったのさ」
私の賛辞に、ベルズは眉根ひとつ動かさない。人のよさそうな丸顔をしているが、命のやりとりを経験した者だけがもつ、うっそりとした影のようなものが、彼の体にまとわりついているかのようだ。
多分、私もそうなのだろう。
「その、腹の傷は?」
さり気ない様子で、ベルズが聞いてくる。カチリという微かな金属音。ひんやりとした殺気が、流れ込んできて私の肌を刺した。
小さな金属音は、撃鉄を起した音だ。
間違いなく、幌馬車の外から、私は銃で狙われている。
腹の傷は、刺突剣による刀傷とベルズは理解しているだろう。この時代、刀傷を受ける者は、兵隊以外では、盗賊か凶状持ちと相場は決まっている。
そんな奴が行き倒れていた場合、危険をおかしてまで助けるより、無視するか、とどめの銃弾を頭に撃ちこむのが正しい反応だ。ただでさえ、ダテツ街道は無法地帯なのだから。
私は『胡椒箱』を持っていた。
なぜ、刀傷がある行き倒れの男が、この銃を持っていたのか? その好奇心だけで生かされているのが私の立場だ。