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落日のラルウ

 脇腹の痛みは鈍痛へと変っていた。時々、思い出したように鋭い痛みが走るのだが、それ以外はむず痒いような遠い痛みがあるだけだ。

 これが、良くない兆候だということは分かっている。恐らく、脇腹の傷が壊死を起しているのだろう。壊死が起こると、傷口で生じた物を腐らせる毒が血流に乗って全身にまわり、譫妄状態のうちに死に至る。

 相変わらず続いている高熱は、体内に侵入した毒と、体を正常に保とうとする機能が戦っているためと聞いたことがある。私の場合、私の肉体は毒に負けつつあるようだ。

 毒蜂との一戦から、何日が経過しただろうか?

 七日目以降は、日にちの感覚がすっぽりと抜け落ちてしまったようだ。

 馬から降りてしまえば、再び鞍に跨ることが出来ないと分かっているので、騎乗のまま私は覚醒と譫妄を繰り返しているらしい。

 落馬しないよう必死に鞍にしがみつき、時々水筒から水を飲む。何か固形物を口にすると、必ず吐いた。吐けば、脇腹の激痛が目を覚ました。

 私は、はっきりと死を身近に感じていた。そう、死神の吐息が首筋に感じられるほどに。

「やはり、駄目だったか……」

 そんな自嘲の念が湧く。

 全てから逃げて、結局何もその手に掴めない男。

 何かを成し遂げるという事が決して出来ない男。

 まるで、道化だ。

 まるで、腰抜けのたわごとだ。

 心の中で、私が私自身を罵っていると、笑いの発作が起きた。

 ひび割れた唇が裂けるのも構わず、大声で笑う。いや、笑いの様な、木枯らしの音しか私の喉は音を立てなかった。

 脇腹に激痛が走る。体をよじったので、傷が晒に擦れたのだ。

 私の喰いしばった歯の間から、情けない呻き声が漏れる。心臓の鼓動とともに、断続的な痛みが走った。

 痛みに耐えていると、頭の中にかかった靄のようなものが晴れてゆく。

「狂ってしまえば、楽になる」

 私の中の誰かが囁く。

「靄の中に埋没してしまえばいい」

 ああ…… いっそのこと、そうしてしまおうか?

 だが、私には約束があった。弟の魂魄を、北の辺境に私は運ばなければならないのだ。それが、私を狂気の一歩手前で踏み留めさせている。

 これは『罰』なのだ。いままで、何もかもから逃げてきたことに対する罰。そう、思うことにした。

 だから、狂気に逃げ込むことなく、最後まで真正面から死へ挑み続けなければならない。全ての苦痛を、この体に刻みつけるのだ。

 生命の炎が消えるその時まで。



 何か、冷たいものが唇に当たり、トロトロと甘露な雫が口の中に染みこんでくる。私は無意識に、その甘い何かを嚥下した。

 喉が乾いていた。しかし、ほんの数滴の液体を飲みこむことすら、ありったけの体力をかき集める必要があった。

 漆喰で塗り固められたように、瞼が重い。声を出そうとしても、掠れた音が出るだけだった。

「慌てるな、ゆっくりだ」

 誰かの声が聞こえる。

「蜂が女王蜂を育てるのに使う、特別な蜂蜜だ。滋養がある。ゆっくりと飲め」

 甘い液体の正体は、蜂蜜だったようだ。毒蜂に殺されかけ、蜜蜂に助けられる。私は蜂に縁があるらしい。

「お前さん、行き倒れだったんだぜ。実に運のいい人だ。我々が通りかからなかったら、何年も野晒だ」

 私は、ようやく目を開けることが出来た。砂塵で眼球を痛めたか、目がチクチクと痛み、霞む。

 助けてもらったお礼を言おうと思ったが、情けないことに呻き声しか出ない。

「まぁ、色々と聞きたいことはあるが、今は休め」

 私のぼやける視界に映った男は、分厚い掌を私の目の上にかぶせてくる。私はそのまま、深い闇の中に落ちて行った。



 ダテツ街道で倒れていた私を助けてくれたのは、小規模な商隊だった。この先、商売になるような場所は少ない。それゆえ、ダテツ街道は廃道になったのだ。ここを渡る唯一の商隊は、私の目的地であるラルウの商隊だけ。

 ラルウ山系で産出された金をナカラに運ぶために整備されたのがダテツ街道だ。金鉱脈が枯れた現在、様々な商人や山師や景気のいい鉱山労働者を当て込んだ商売人らでにぎわった街道は、急速に寂れ、今は細々と金細工や工芸品を売るラルウの商隊だけがここを渡る。

 人がいなさすぎて、山賊すら出ないので、自然の脅威以外の危険がないのが救いといえば救いか。

 弟が調べたラルウについての情報を、頭の中で整理する。寝ているだけの私は考えることぐらいしかできないのだ。


 かつて、ラルウが辺境の属国の中で、飛びぬけて財政が豊かだったのは、金鉱と鉄鉱のおかげだった。特に、鉱石として輸出すると安く買いたたかれる鉄に付加価値をつけるため、金鉱による豊富な資金にものを言わせ、腕のいい鍛冶職人を集め、良質な武器や具足作ったことが、ラルウの価値を高めたらしい。

 やがて金鉱は枯れ、反乱すら起きない太平の世が続くと、武具は実用品から装飾品へと変化し、ラルウの斜陽化が始まった。

 金鉱目当ての人々の往来がなくなると、ダテツ街道は急速に細り、多くの宿場町がゴーストタウン化けしてしまった。

 宿場には自衛のための傭兵がいて、街道内の安全地帯を兼ねていたのだが、それがなくなると、治安の悪化は深刻なレベルとなってしまう。

 物流を担う商人たちは、自衛を余儀なくされ、輸送コストの増大を招いた。

 『武具という商品価値の下落』

 『輸送コストの増大』

 は、ナカラとラルウの二点間貿易の旨みの要素がなくなった事を示し、ラルウに軒を連ねていた商館は次々と閉鎖された。

 そうなると、ラルウの凋落には歯止めがかからない。

 商館が閉鎖されるということは税収が極端に減るという事だ。

 税収が減ると、高給で雇っている職人の俸給を維持できなくなる。

 腕のいい職人の流亡は、更なる商品価値の下落を招き、経済活動の停滞を招く結果になる。

 かくして、ラルウは年々やせ細りながら、過去の蓄えを食いつぶしているだけの国とみなされていたのである。

 私の弟を除いて。


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