訓練の日々
射撃場からは、ボウモア隊の銃撃の音が聞え始めた。
ボウモアが指揮棒の代わりにしているのは、ランリョウ刀。
私のランリョウ刀より、やや反りが浅く幅広の造りだ。
なんでも、彼の父親はアメツチの鍛冶屋で修業したことがあるらしく、父の薫陶を受けたボウモアの鍛造技術は、アメツチ直伝のものだった。
彼のランリョウ刀は、彼が一人立ちする時に初めて打った刀で、記念にずっと手元に置いているそうだ。
「頑丈なだけが取り柄のナマクラだが、まあ『幸運のお守り』みたいなものだ」
研ぎあげた刀身に、薄錆が浮いてないか、刃こぼれはないかとプロの眼で点検しながら、ボウモアはそう言っていた。
「我々には、ありったけの幸運が必要だからね」
その、幸運のランリョウ刀が抜刀され、水で薄めたような弱々しい冬の朝日に光る。
ボウモアのランリョウ刀が振り上げられた。それが『構え』の合図。
ボウモア隊の義勇兵が一斉に銃を構え、撃鉄を上げる。
そこで、誰か粗忽者が、引き金を引いてしまった。その射撃音につられて、何人かが発砲してしまう。
多くの職人を育てた経験のあるボウモアは、短気を起こすことなく射撃を中止し、暴発させてしまった者を列から外していた。
よく見ると、真っ先に暴発させた者は、ベルズの隊の者だった。
それで、わざと暴発させたのがわかった。ボウモアは、暴発に釣られる者を選んでいたのだ。度胸が据わっていないやつは、釣られる。
ボウモアの下士官となった、ベルズの商隊の者が、ボウモアと話しながら帳簿に何かを記入していた。
ボウモア隊は、ひたすら弾幕を張る事が要求される。
四十人の射撃手はひたすら撃ち、四十人の弾込手はひたすら弾を込める。
効果的に弾幕を張るには、各個射撃より斉射。ボウモアの命令一下、慌てずに射撃を行える者を選別しているのだろう。
気心が知れた者で構成されているベルズ隊は、射撃技術や統制についての心配はない。
五十人のメンバーのうち、三十人がベルズ商隊の者で構成されていて、残り二十人が義勇兵だった。
ベルズは、商隊出身者を射撃手に、義勇兵を弾込手にするらしい。
斜面の上から不意に現れて敵の隊列の側面を叩き、退路を塞ぎつつ、接近も許さない。そんな戦い方が要求される。狙撃と弾幕防御の切り替えが必要で、傭兵経験があるベルズ商隊の隊員は適任だ。
斜面という地の利は得ているが、我々は寡兵だ。
この作戦の要である『山車櫓』は、ベルズの陣地が落とされた場合、側面攻撃にさらされる。そうなると脆い。
ベルズの隊には、決して陣地を抜かれない工夫が必要だった。
「斜面の上から拳下がりの射撃だから、有利なんだけどね。突進力は鈍るとはいっても、騎兵は騎兵だよ。こんな人数じゃ、正直いってキツイ。あと一工夫必要だね」
コツコツとサーベルの柄頭を叩きながら、ベルズが言う。戦場の経験があるので、尚更勝利条件のキツさがわかるのだろう。
撃退だけならまだいい。殲滅となると、かなり難しいのだ。
寡兵側が大兵力側を殲滅する事例は殆ど……否、皆無だ。
連発銃は戦力の差をどれほど埋めてくれるか? それにかかっている。
私が、主に訓練に関わるのは、山車櫓隊。銃の扱いに慣れているラルウの住民は、軍の教練の基本の一つ、銃の構造と扱い方の基礎は知っている。
うっかり銃口を覗きこんだり、弾を込めた状態で、銃口を他人に向けたりといった、素人はいない。これは、訓練を始めるにあたり、我々がもっている数少ない有利な条件だ。
分解掃除や整備方法なども教えなくても分かっている。
ただし、義勇兵四十名及びベルズ商隊からの七名からなる山車櫓隊は、『弾幕防御』、『長距離狙撃』、『山車櫓の設営』、『拳銃による近距離戦闘』と、習得すべき課題が多い。
重い山車櫓の部品を持って、山道を駆けなければならないので、基礎体力も必要だ。そこで、私は七日間をワンセットにして、一日目は基礎体力つくり、二日目は山車櫓の設営、三日目は弾幕防御訓練、四日目は長距離狙撃訓練、五日目は拳銃による近距離戦闘訓練と徒手戦闘訓練、六日目はおさらいを兼ねた演習を行い、七日目は休養日というサイクルを作ることにした。
今日は初日なので、完全装備での長距離走だ。長銃、拳銃、弾薬が入った雑嚢、それに水筒を身に着け、丸太を担いで走る。
ただ、延々と走らせる。全員が不満そうな顔をしていたが、ゴードリー王が率先してこの苦行を行っているので、不満を言う者はいなかった。
凄惨な鉄拳制裁を見た直後なので、反抗やサボタージュする者もいなかった。ぶっ倒れた者は、本当に限界なのだ。
それでも、蹴り上げ、引きずり立たせて走らせることを、私はした。
私に対する恐怖からか、丸太を引きずるようにして、再び山車櫓隊員は走り始める。
それでも倒れる者はいて、殴られ、蹴られながら、立ち上がっては再度ヨロヨロと走り出す。
まるで、地獄で責苦を受けているような光景になった。
はじめは、ヤジをとばしてからかっていた他の隊員も、悲惨な光景に何も言えなくなってしまっていた。
おそらく、山車櫓隊に配属されなくてよかったと思っているのだろう。
私も、怪我の療養中に落ちてしまった体力を回復するべく、丸太運びに加わった。
重い丸太を抱えると、今でも脇腹に鈍痛が走るが、剣術で鍛えた筋肉は徐々に目を覚ましてくれたようだ。
走っていると苦しいが、ある時期を過ぎると急に楽になる。
意思とは別に手足が勝手に動くようになり、何処までも走っていけるような錯覚にとらわれるのである。
夜中に重い木刀の素振りを始めて、気が付いたら朝だったということが何度もある。走っていても、それと似た状況になることがあるのだ。
必死に走っていた山車櫓隊員も、六度目か七度目に倒れると、完全に意識を失う。
体力はとっくに限界を超え、気力だけで走っていたのだろう。それも限界がきたのだ。
まだ、果樹園の周囲を走っているのは、ゴードリー王と私だけだった。
夕焼けが、西の空を染めていた。もう、三時間近く走り続けていたことになるのか?
さすがに、私とゴードリー王の走行速度は、歩くより早い程度に落ちている。
無骨なラルウの岩稜が、鮮やかな赤に染まり、東の空にはコバルト色の夜空が見える。
ナカラにいた頃は、空を眺めることなどなかった。
そして、切なくなる程に美しい景色ではなかったような気がする。
ラルウは美しい。
晴れた日の紺碧の空も。
朝焼けの赤い空も。
夕焼けの切ない茜色も。
手を伸ばせば掴めそうな星空も。
水深を勘違いしてしまいそうな清冽な川も。
弟よ、見ているか? 私はラルウの地にいる。
不思議と疲労感は感じなかった。
ただ、足元が頼りないと感じただけだ。
微笑を絶やさなかった、ゴードリー王の顔が苦痛に歪んでいる。
私は、苦痛を苦痛と感じる段階は過ぎてしまっていた。
意識と体が別物になってしまっているのだ。
まるで、ゴードリー王との一騎打ち。そんな様相になっている。
練兵場と定めた果樹園で、義勇兵たちが遠巻きに、走るゴードリー王と私を見ている。
声援があがっていた。
ゴードリー王に向けられたものだ。よそ者である私は悪者役。私が倒れれば、ゴードリー王の勝利となる。
義勇兵たちの溜飲も下がるだろう。
だが、私は簡単に負けてやる気はない。
やがて、ゴードリー王が死力を振り絞るようにして、速力を上げた。
私との差を広げることによって、私の心を折る作戦だ。
訓練終了の日没まで、あと十分足らず。
私は、ゴードリー王のペース変化に惑わされることなく、一定のペースを保ち、足を前に出し続ける。
一時離れたゴードリー王の背中が、じわじわと近づいてきた。
無理なラストスパートが、残ったゴードリー王の体力をごっそり削ったのだろう。
荒いゴードリー王の息遣いが聞こえるところまで、距離を詰める。
肩越しに、ちらりとゴードリー王が私を見た。
再び、ゴードリー王がスピードを上げた。
私も、今度はスピードを上げる。
今、相手を抜けば、心を折ることが出来る。勝負所だった。
ぐにゃぐにゃと揺れる地面を走る。
ゴードリー王の足もヨタついていた。
どんなに、頑張っても、抜けない。追い越すことが出来ない。
そろそろ限界か?
そう思ったとき、私はベルズに抱き止められていた。
ゴードリー王は、ボウモアに支えられていた。
太陽は完全に沈んでいた。
日没まで完走した。だが、ゴードリー王は抜けなかった。これが、今回の結末。
観戦していた義勇兵から拍手が沸いた。
ゴードリー王へのもの。私にでは、無い。
ゴードリー王との意地をかけた激戦のあと、数日で明らかに義勇兵の動きが変わってきた。
義勇兵たちは、ゴードリー王の頑張りに感動したのかもしれない。指揮官の率先垂範がいい方に働いた例だ。
それに、一通りの訓練を経験してサイクルが慣れたというのもあるだろう。
よそ者である私に負けてたまるかという、同郷意識もいい具合に団結心を生んでいる。
ボウモア隊も、銃手と装填手の役割分担が終わり、二名一組の訓練も順調に進んでいるようだ。
さすが、職人優遇政策を敷いていたラルウだけあって、手先が器用な者も多く、輪胴に素早く装填するための工夫もなされた。
『早装填』と名付けられたその細工は、輪胴にある銃弾を差し込む穴に合わせて六つの銃弾を固定したクリップのようなもので、六発の銃弾を一気に装填できる細工だった。
これにより、飛躍的に連射速度が上がることになる。この細工品は、義勇兵以外の留守居組が大量生産を行う算段をつける。
ボウモア隊の防備についても、工夫がなされた。
遮蔽物も傾斜もない地形で騎兵を迎え撃たなければならないボウモア隊には、逆茂木や馬防柵のような工夫が必要なのだが、伏兵という性質上、予め設置しておくことが出来ない。
かといって、塹壕だけでは防備に心配があったので、工夫が待たれていたのだが、その設計が終わったのだ。




