見せしめ
早朝、起床らっぱが鳴らされ、義勇兵たちの眠れない夜が明けた。
軍事教練は今日からスタートする。
この寝床から起き上がるという作業もすでに訓練の一貫であり、起床し、寝袋を畳み、着換えて、整列するまでに五分と定められていた。
決められたことをきっちりこなす。これが、兵士に求められる資質であるからだ。
集合場所とされている、キャンプの本部とされた果樹園管理小屋の前では、砂時計を持ったベルズとボウモアが立っていて、早朝であるにも係らず、晴れ晴れとした顔つきのゴードリー王がぶらぶらと歩きまわっていた。
私は、ベルズ、ボウモアと一緒に並んで立ちながら、身を切るような朝の冷気に耐えていた。
この気候に慣れている彼らはともかく、温暖なナカラから来た私には、ラルウの晩秋の寒さはきつい。
過半数が商隊員で編成されているベルズの隊の集合は、さすがに早い。
野営に手馴れているし、盗賊や野盗の襲撃に備えて緊急呼集の訓練も欠かさないからだ。
そんな彼らに助けられ、ベルズの隊に配属された二十二名の義勇兵も、手早く準備が出来たのだろう。
ボウモア隊も、山車櫓隊も、遅延の程度は一緒だった。慣れていないというのもあるが、ここは小さなコミュニティで互いが互いの顔を知っている気安さが、ダレる原因になる。
これが、良い方に作用することもあるが、屈強の傭兵団を、手持ちの戦力だけで迎え撃たなければならない我々には余裕がない。
可哀想だが、見せしめが必要だった。男たちだけの気楽なキャンプから、軍事教練のためのキャンプへ、一気に雰囲気を変えなければならないためだ。
各隊の指揮官と義勇兵との信頼関係を考えると、憎まれ役は私ということになる。
いいだろう。私は彼らを掛け金にギャンブルをしようとするロクデナシだ。それくらいの事は、やってやる。
犠牲者を物色していると、皆よりだいぶ遅れているにもかかわらず、のんびりと歩いて来る者がいた。
ボウモアの隊の一人だった。
怒鳴りつけようとするボウモアを抑えて、私はそいつに近付いてゆく。
男は、掬い上げるような目で私を見ると、鼻を鳴らして横を向いた。
不貞腐れた態度だった。
私は、無言でその男の背後に回り、いきなり膝の裏を蹴る。
男は無様につんのめって転がった。
「何しやがる!」
飛び起きながら、男が睨みつけてきた。
不恰好に鼻のでかい男だった。
身長はあるほうだ。体格がいい。
目つきは暗く、小さく、落ちくぼんでいる。
唇は横に広いが薄くて、軽薄な印象を与えた。
顔色はドス黒く、鼻の頭には血管が浮いている。
酒飲みの顔だった。
付け加えるなら、飲むと暴れるタイプがコイツだ。
私は、この男の恫喝には反応せず、またいきなり拳を男の腹に叩き込んだ。
殺そうと思えば、これで、この男は二度殺せたことになる。
相手がプロなら、この時点で彼我の技量を比較したうえで、『逃げる』『戦う』『降参する』といった選択をを思い浮かべるだろう。
だが、男はそうしなかった。なぜか、自信満々なのだ。
男は腹筋を締めて、私の拳の衝撃を殺そうとした。だが、出来なかった。
まぁまぁ鍛えた腹筋だったが、下から上に突き上げる私の拳を殺すほどではなかったのだった。
男は、胃液を逆流させながら、その場に蹲る。
私は、一歩引いて男の反応を見ていた。
勝手に隊列を離れ、円形に義勇兵が我々を囲んでいる。もしも、助けに入る様な者が出てきたら、乱闘も辞さない覚悟だったが、どうやら野試合でも見ているつもりらしかった。
割って入ってまで助けようという気が起きない類の男なのだろう。
どんな場所にも一人はいるのだ、こうした『鼻つまみ者』が。
男は、蹲った姿勢のままゆっくりと呼吸を整え、立ち上がる。
装備をかなぐり捨て、拳を目の高さに構えて爪先立ちになり、細かいステップを踏みながらリズムを取る。
拳闘の構えだった。
これは、比較的新しい格闘技で、軽装での徒手戦闘に向いている。
私はリストの中に『拳闘家くずれ』がいたのを思い出した。彼には酒乱の気があり、この小さなラルウというコミュティに中で、数少ない厄介者だった。
最初の私の見立ては、だいたい正しかったようだ。
誰も助けに入らないわけが、理解出来た。
こうした男は、助けられたことさえ逆恨みするものだ。
鋭い吐気とともに、左拳を突いてくる。
なるほど、素人なら捉えられないスピードだった。
私が学んだ組打ち術の『寸打』に似ている。掌底と拳の違いはあるが。
まぁまぁ鋭かった突きだが、素人のケンカの域は出ていない。
私はステップバックすることで、その突きを躱した。
男はすぐに踏み込んできて、再び素早い左拳を突いてくる。
頭を振って、それを躱す。
男は再び『寸打』のような一撃を打ってくるように見せかけて、私のこめかみを狙った横薙ぎの拳を振ってくる。
私は、頭を伏せてこれを躱しながら、掌で顎をガードした。
男が、体重を右にかけたのを見たから。
刈るような左は餌。本命は、真下から突き上げる右拳。
私は『闇試合』と重ねた実戦のおかげで、この男の意図に気が付いていたのだった。
『バチン』
という肉を打つ。殺気が籠った男の右拳が、私の掌で受け止められた音だ。
前に出る。
男は即座に横薙ぎに振った左腕を引き戻し、肘をたたき下ろしてくる。
距離を詰めれば、肘を使ってくるのは見えていた。
私は、更に体を沈めて肩から男の腹にぶつかり、担ぎ上げた。
そのまま、後の放り捨てる。
男は回転して、背中から地面に落ちて悶絶した。




