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毒蜂

 私の左手が、ランリョウ刀の鯉口を切る。

 微かなその音を聞きつけて、毒蜂が身軽にステップバックした。

 刺突が主な攻撃方法であるエペの剣術は、間合いを出入りする素早い足裁きが身上だ。鋭利な刃で必殺の斬撃を送る重いランリョウ刀の刀法とは根本的に異なる。

 ゆっくりとランリョウ刀を抜く。腕が視界を遮らないように、下向きに抜刀するのが、わが道場の流儀だった。

 ランリョウ刀は、灼熱した鋼鉄を何度も何度も折りたたんでは叩き伸ばす工程を経て作られる。各工房により秘伝の技術があり、完成品は誇りを込めて『中茎』と呼ばれる柄の部分に刻印がなされる。これを刀剣の鑑定を生業とする業界では『銘』と呼称されていた。

 私のランリョウ刀の銘は、ノサダ。ランリョウ地方のセキという場所で作られたらしい。

 鍛え抜いた業物だけが持つ刀身の煌めきに、月光が映える。まるで、音を立てて空気が凍りつくかのような凄味が本物のランリョウ刀には、ある。

 鞘は投げ捨てた。毒蜂は、片手に鞘を持ち、片手でランリョウ刀を持った状態で戦えるほど、甘くはない。

 毒蜂の顔が変わる。無表情だった彼の顔には残忍な笑みが浮かび、殺人の悦びに舌なめずりをせんばかりの醜悪な顔になった。

 そして、まっすぐ私の方にエペを伸ばし、刺突剣使い特有の構えである、真横を向くほどの半身となった。手首にも膝にも余計な力が入っておらず、ゆったりとした構えであった。

 刺突剣使いに対する刀使いの定石は、中段正眼。鍔と刀身で守りに徹し、隙を見て斬撃を送るというものだ。刺突剣は直線の動き。刀は弧の動きだ。攻撃が相手に到達する速度は、刺突剣の方が上である。

 だが、私は中段に構えたランリョウ刀の切先を徐々に下向させ、下段の構えをとった。そして、左足を半歩引き、毒蜂のような半身の姿勢をとる。

 刺突剣は、わずかに撓う。その撓りを利用して相手の刀身を絡め捕り、弾き飛ばしたりすることが出来る。ゆえに、「極力互いの刀身を打ち合さない」とうのが、実戦から導き出された私の結論だ。

 半身の姿勢になったのは、急所が集中する体の中央、いわゆる『人中線』をエペの鋭い切先から外すためである。

 毒蜂のエペの切先が、オナガの尾の様に上下していた。まるで、リズムをとっているかのように。

 その剣先の動きに気を取られると、幻惑され、フェイントに引っ掛かりやすくなってしまう。だから私はあえてどこにも注目せず、何となく相手の体全体を見るようにしていた。

 なかなか難しいが、訓練次第ではそういった目配りが出来るようになる。

 刺突剣の動きに限らず、剣術の動きは足から。素早い進退が戦術の基本となる刺突剣は、その中でも特に踏み込みが深く早い。

 手足の長い毒蜂の様な体格の男の切先は、予想以上に伸びてくるだろう。

 空気を裂いて、エペが横に振られた。思わず回避行動をとりたくなるのを、こらえる。

 今の一颯には殺気が感じられなかった。明らかにフェイントだ。エペの切先だけに意識を集中していれば、思わず体が動いてしまったかもしれない。 動けば隙が出来る。そこに付けこむ工夫が毒蜂にはあるのだろう。

 毒蜂は、自分のフェイントが失敗したと理解した瞬間、素早く後退した。

 ヒヤリと肌に触れる殺気。『来る!』そう感じた時、私は下段から跳ね上げたランリョウ刀の峰で、エペの剣身を弾いていた。

 後退したと見せかけて毒蜂は瞬転、大きく私の方に踏み込み、突きを放ってきたのだった。距離が離れて、一瞬緊張が解かれたタイミングを狙ったのだ。

 常軌を逸した訓練法である『闇試合』で鍛えた、殺気を肌で感じ取る感覚を身につけていなければ、おそらく致命傷を負っていただろう。

 鋼が撃ちあう音。

その残響すら消えぬ間に摺り足で踏み込みざま、毒蜂の剣身を跳ね上げたランリョウ刀を担ぎ上げる。

 体を思い切り捩じる。まるで硬く巻いたばねのように。

 それを一気に解放する。やや、斜めの軌跡を描いて、ランリョウ刀を脳天目がけて打ち下ろす。

 受けても、剣や刀ごと叩き折る『兜割』という技法だ。踏み込んだ際の体重移動、右手を支点としたテコの原理、そうしたものを全てランリョウ刀の切先から三寸のところに集中させた渾身の斬撃がそれだ。

 エペを弾かれ体勢が崩れた毒蜂は、そのまま横跳びして私の斬撃を躱した。

 私は振り下ろしたランリョウ刀を、そのまま振り抜かずにピタリと中段で止め、刀身を寝かせて今度は横殴りに斬撃を送る。

 毒蜂は、体をのけ反らせて、私の一撃を逃れた。

 私は、刀の遠心力に引きずられるように、思い切り前に跳んだ。跳びながら、片手斬りの一撃を私の背後に放つ。

 再び、鋼が撃ち合う音がした。

 私の予想通り、毒蜂は崩れた体勢から、跳んで間合いを取ろうとした私の背中に突きを追撃してきたのだ。

 私はもう一歩、前に跳んで、背後に向き直る。

 毒蜂は、のけ反った姿勢から、再び半身の姿勢をとり、私にエペを向けていた。

 私の一刀がかすったのか、毒蜂の伊達なシャツの胸の部分が横一文字に裂け、うっすらと血が滲んでいる。

 憎悪の表情に毒蜂の顔が歪んだ。



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