精密な地図
「まぁ、適当に掛けてくれたまえ」
と言うゴードリー王の言葉に、ベルズはペンチの座面から本や書類の束をどかしながら、
「座るとこなんか、ありゃしませんぜ」
などと文句を言っている。
私はその間、掲示板に貼られた地図に見入っていた。
「お! これに気が付いたか! さすが軍師殿、お目が高い」
この代物は『お目が高い』どころではない。一見乱雑な地図に見えるが、正確に測量された精度の高い地図だった。
書き込みが多いので、落書き風に見えてしまうだけだ。
地図は軍事機密に関する。地形の把握は作戦構築の、基本中の基本なのである。ゆえにナカラ国内では、正確な地図の作製は禁止になっている。
「これは、私とスコフィールドが作ったんだよ。馬車の車輪に印をつけて、その車輪が何回転したかで距離を測る。ラルウ山と、遠くに見えるエトナ山を目印にして、磁石が描く南北のラインとの傾きを計測すれば、現在地が割り出されるという仕組みさ」
やや得意気な顔になって、私に説明した事柄は、ナカラでも限られた者しか知らない最新の技術『三角測量』と言う技法だ。まさか、こんな辺境で、三角測量の話を聞くとは思わなかった。
「高低差はどうしたのですか?」
無骨なゴードリーの顔に笑みが走った。悪戯を共謀する相手を見つけた少年のような笑みだった。
ベルズは、「またはじまった……」と言わんばかりに肩をすくめてため息をつく。そして窓の外の風景に目をやり、会話に加わるのを態度で拒否した。
「高低差については、水平儀を使ったよ。気泡が入った管で、水平かどうかを計る道具だよ。まぁ四百メートル毎の計測だから、目安にしかならないけどね。必要十分な等高線は引けたと思うよ」
等高線は同じ高度を線で結んだもの。これがあると、地図上の場所がどんな地形なのか立体的に再現できるのだ。これもまた、軍事利用されるのでナカラでは禁止事項である。
聞けば、ゴードリーが考案した測量方法に合せた器具を、スコフィールドとく技師が作成したという。脅威だったのは、彼らが『三角測量』の存在を知らなかったことだ。
知るはずがない。ナカラでは国家機密に類する事柄なのだから。
彼らが正確な地図を欲したのは、傭兵団の襲撃という今そこにある危機に駆られての事だ。
彼らがどこにいるのか?
予想進路はどうか?
そういった事を類推するためには地図が必用なのだった。
ラルウは給水ポイントとしての価値があると思われているが、貧しい。
傭兵団はそういった戦略的価値より、敵がいない状態での荒稼ぎに重きを置いている。ゆえに、比較的大きな国……といても、ナカラの地方の『集落』程度の規模だが……が優先して狙われ、ラルウは後回しになった。
襲撃された人々には申し訳ないが、おかげでラルウは敵の規模や練度戦術や進軍経路選択のクセのようなものを把握できる時間が出来た。
それが、地図の書き込みの正体だ。ゴードリー王は、かなり分析を重ねているみたいだ。書き込みの多さがされを物語っている。
「兵力は、輜重も合わせて五百人余り。羽振りがいいので、食い詰め浪人や近隣の山賊まがいの連中が続々と幕下に加わっていて、冬を控えたこの時期、衣食を求めて参加者は加速的に増えると思いますよ」
やっとベルズが横目で掲示板の地図を見た。
技術的な話は苦手だが、傭兵団の話となれば無視できないのだろう。
ゴードリーは、地図の一点を指差す。そこには『カラム』と言う地名が書いてあった。
「現在、傭兵団はここカラム王国の攻略を終え、占領・統治しています。ここを起点に、周辺の国家群を荒らしまわっている状態です。そろそろ今季最後の麦の収穫なので、それを狙っているのでしょう」
あきらかな、冬籠りの構えだ。
ここ北の辺境の冬は長く厳しい。
放浪の傭兵団にとって、越冬のためのベースキャンプは必要だ。居座られてしまったカラムの人々にとっては、地獄だろう。
ラルウを含む小国家群は、ナカラに進撃する際の通過点に過ぎない。
占領し慰撫し勢力に加える価値すらないのだ。
それゆえ、第一王子は傭兵団に『切り取り自由』の裁可を与えた。潰して叩いて均す。そんな気持ちなのだろう。
「カラムは小国家群の中では、最大だ。人口は約一万人。少ないながらも、職業軍人までいて、都市は要塞化されている。それが、わずか二日で落城してしまった。これで、周辺国は抵抗の気構えすら失ってしまったのだよ」
麦や芋の収穫が終われば厳しい冬が来る。傭兵団の動きは、冬籠り先を探す獣の動きそのものだ。そして、作戦行動期限である来年春には、第一王子のもとに帰還する『ついで』にラルウを踏みつぶす気だ。
つまり、我々に残された時間は、雪解けが始まる三月下旬までのおおよそ四ヶ月あまり。
戦うか、逃げるか、決断しないと間に合わない。
「議会に招集をかけよう。ラルウ未曽有の危機だ」




