ブランドック・ダーハ
「私は、よそ者だ」
懸念をそのまま口にする。小さなコミュニティは、団結力が強いが排他的だ。時に、軍師は非情の判断を下さなければならない場合がある。不信感があると、支障がでるのだ。
「確かに。君が名乗っている『ネモ』と言う名前も、いかにも偽名だしね」
マグカップに注がれた薬湯に口をつけ、その強い苦みに顔をしかめながら、ベルズが言う。
この薬湯は、私の体の中に残る壊死の屍毒を消すために、体の免疫力を高めるアシュワガンダ、ウコギ、猫爪草といいった薬効成分のある野草を乾燥させたものを煎じたものだ。
野草に詳しい商隊員の一人が調合したものだが、ひどく不味い液体だ。この『苦み』と『えぐみ』を消そうと蜂蜜を混ぜてみたこともあったが、一層苦みが強調されただけだった。
私は、これを冷まして一気に飲み干すという方法でこれを摂取するようにしているが、なぜかベルズもこの苦行に付き合うようになっていたのだった。
「特に、職人連中は頑固者揃いだ。君の言う事など耳も貸さないだろう。そこで、考えたんだがね」
手にしたマグカップをもうひと煽りして、ベルズがまた顔をしかめる。
「君には別の人格を演じてもらおうか……と、思っているんだよ」
ベルズの計画はこうだ。
『見分を広めるために諸国を流浪している高名な軍学者が、行き倒れていたところをベルズに救われ、その恩に報いるためラルウに滞在し、ラルウの苦境を救うために知恵を貸す』
……と、いうシナリオだ。
有事の際は『軍事顧問』として、平時は子供たちに読み書きを教える『教師』としてラルウに貢献する。ラルウにとって、役立つ人物だと認知されるのが、排他的コミュニティに溶けこむ近道だとベルズは計算していた。
『高名な軍学者』と言う部分が脚色されているだけで、概ね私がラルウに定着するために考えていた腹案と合致している。
シナリオは、凝れば凝るほど破綻しやすくなる。なんとしてでも、ラルウに入り込みたかった私としては、渡りに船でもあった。
「ふむ……皆が知ってる軍学者か……」
ベルズがつぶやいて、無意識に手にしたマグカップを煽る。そして、口にした強烈な苦みにたじろいだようだった。
私は、弟の戦術書を頭に叩き込むにあたり、実家に保存されていた古今の軍楽書や戦術書に目を通した。だから、どの軍学者の名前を出されてもボロを出さない自信はあった。
「ううむ……『ボック家の兵法』は宗教色が強いし、『ソーン氏の兵法』は侵略が前提だから好き嫌いが分かれるし、『リクトーの書』『サンリャクの書』のタイコーボゥは古すぎるから、末裔を名乗るのは胡散臭すぎるし、『シーバ法』はそもそも陰謀重視だしなぁ……」
軍楽に疎いと言いながら、ベルズは弟が好んで引用していた軍学者の名前をすらすらと挙げていた。
「おお、そうだ! 程々に古くて、よく知られ、子孫も現存している軍学者が居るぞ」
ベルズは、マグカップを口に持っていきかけ、あわてて下に置くと、はたと膝を打った。
「これだよ! 『ダーハの書』。今でも人気があるしな。今から君は、ブランドック・ダーハの末裔ということにしよう」
建国の英雄。王を軍師として支えた戦術家ブランドック・ダーハ。私は、本来なら十四代目のダーハ家の当主になったはずの男だった。
私は、その名前を捨てたはずだった。弟に全てをぶん投げてしまったのだった。その私に、再びダーハを名乗れというのか?
ラルウの商隊に拾われたこと。
捨てたはずの名前を名乗る羽目になったこと。
ここまで偶然が重なると、弟の執念を感じることが出来る。いいとも、弟よ。私は君の魂の憑代だ。君に使える忠実な神官だ。十四代目ブランドック・ダーハを演じてやろうではないか。
ベルズの隊の先触れの騎馬が駆けて行く。
商隊は後半日でラルウに到着する。前人未到の世界の背骨『リュウコツ山脈』の支峰『ラルウ山』の懐に抱かれるように在る、落日の国。
私は、ついにここまで来たのだ。




