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北へ

 夜、北の林道に入った。

 この林道の先は、世界の背骨と呼ばれる『リュウコツ山脈』の支峰である『ラルウ山』を中心とした山系へと至る『ダテツ街道』につながっている。

 ラルウ山へは、今では宿場もない荒れ果てたダテツ街道を、徒歩なら一ヶ月もの行程となる距離。

 だから、丈夫な二頭の馬が、この困難な旅のパートナーとなる。一頭は騎乗用、一頭は野営道具や水や食料の運搬用。一ヶ月もの長旅に耐えられるだけの道具一式を、人力だけで運ぶのは無理がある。

 暗天に月がかかっていた。

 月光が降り注いでくる。大都会であるナカラの生活に慣れた目には、夜の森はいかにも暗い。暗いがゆえに木々の隙間から漏れる月の銀色の光が、こんなにも明るい事に新鮮な驚きを感じさせる。

 夜空を渡る雲が早い。

 林道を覆う樹冠が、ざわざわと枝葉を揺らしていた。肌には空気に流れはそれほど感じないが、上空には風があるのだろう。

 旅のパートナーである二頭の馬は木の枝と月光と風が織りなす地面に映る影絵に怯えているのか、神経質に耳を四方に向けていた。

 やがて森は切れ、広大な麦畑に出る。その麦畑の中央を貫くように北に延びているのがダテツ街道の突端だ。ラルウ山周辺地域との交流が廃れ、街道利用者が全くいなくなったことにより廃止された関所の廃墟が、前方に見える。

 ここが、

「すべての道はナカラに通じる」

 と、謳われた世界最大の都市ナカラの北端にあたる。

 不意に、馬が足を止めた。耳をピンと立て、前方に向けている。

 旅の相棒たちも、関所の廃墟に潜む何かの気配に気が付いたらしい。

 私は「よしよし」と、馬に声をかけながら首筋を撫でて宥めてやり、手近な灌木に手綱を結んだ。野生動物には危険を察知する能力があり、飼いならされた馬にもその片鱗はある。

 人間もそうしたの能力は埋もれていて、私は訓練でそれを習得した。

 私が十年以上も通い修行を続けてきた剣術の道場では、『闇試合』という常軌を逸した訓練法があって、これは、暗闇の中で、刃をつぶした真剣で、相手と斬りあうというものだ。

 大怪我どころか時には死者まで出る荒稽古なのだが、これに慣れてくると、なんとなく肌で気配を感じ取ることが出来るようになり、異様に勘が鋭くなる。

 この闇試合で鍛えたあと、目隠しした状態で三人の門下生と同時に立ち会い、勝てば免許皆伝となるのだが、私は十七人目の免許皆伝者だった。

 道場百年の歴史で、述べ数千人も門下生がいて免許皆伝者はたったの十七人。これだけで、どれだけ道場が狂気じみた訓練法を強いているのか分かるだろう。

 だが、この狂気じみた訓練の結果が、私に危機を何度も救ってきたのは確かだ。

 鞍につるした愛用のランリョウ刀を外し、左手に持つ。この優美な反りを持つこの刀はランリョウ地方で作られる刀だ。高値で取引されるものなので、偽造品も多いのだが、私の愛刀は「本物である」という鑑定を受けていた。

「ダンナには、やはり不意討ちが出来ませんね」

 朽ちかけた関所の柱の陰から、笑いを含んだ声が聞こえる。

 私に追手がかかるとしたらこいつだろうと、予想していた男だ。

 彼の本名は誰も知らない。知られているのは『毒蜂』という仇名だけである。

「一度、手合わせを……と、思っていました」

 月にかかっていた雲が流れる。闇の中から、月光に照らされて、長身痩躯の男が姿を現した。毒蜂が無造作に左手に下げているのは『エペ』と呼ばれる細身の刺突剣。この剣で正確に相手の急所を刺すのが、この男の殺しのスタイルだ。剣の先端には小さな刻み目があり、そこに毒が仕込んであるという噂もある。毒針を刺す。まさに死を運ぶ危険な毒蜂だ。その切っ先に掠ることすら許されない。

 ギラリと月光を反射させて毒蜂がエペを抜いた。ナカラの闇社会を牛耳る最大の非合法組織『ドルアーガ』の暗殺要員として、袖の下が通用しない清廉な役人や、犯罪捜査機関の捜査員や、商売敵など様々な人間を彼は屠っている腕利きだ。

 『ドルアーガ』のとある幹部の用心棒を務めていた私とは、どっちが腕が上か、議論の的になっていたが、そんな噂が流れるたび、殺しの技量だけが己の存在理由と考えている毒蜂は、その表情の乏しい顔の裏で嫉妬の暗い炎を燃やしていたのだろう。

 私は組織を抜けた。円満な脱退だった。私が護衛していた幹部も納得してくれていたのだが、全ての幹部が私の脱退に賛成と言うわけではなさそうだ。

 用心棒は幹部の行くところに同行する。つまり、行動パターンを知っているということだ。それが、敵対する組織に寝返ったら……と危惧するむきもあるだろう。

 もちろん、私と付き合いのあった幹部は、私がそういう人間ではないと知っている。だが、どの世界にも慎重論者はいるものだ。

 多分、毒蜂はそうした慎重論者に雇われたのだ。彼は喜んでこの仕事を受けたはずだ。



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