後編
ちらちらと粉雪が舞い踊る。地面も足首が隠れるくらいの雪で白く染まっている。
忘れの森から一番近いとはいえ、御山のずっと麓にあるこの家の周りでも雪が降り始めた。
今日は私が忘れの森で拾われてちょうど一年の日。
留守番を心配しつつルフトが見廻りへと出掛けた後、不慣れな煮込み料理に挑戦しながらルフトへと切りだす言葉を反芻していた。
「麓の町で一人暮らしを始めてみようと思うんだ……て言ったら、絶対うんとは言ってくれないよねえ」
本当はもっと早くに切りだすべきだったのに、何も言えずにここまで来てしまった。
歳も何もかも忘れているけれど、成人しているのは自分でも分かる。子供じゃないし、ルフトも子供扱いはしていない。女性としてどんなに丁寧に扱われていたか、どんな視線を向けられていたかちゃんと分かってる。
今まで私は記憶が無いことを言い訳に利用して、ルフトは記憶が無いことを自らの枷にして、お互いに危ういバランスを保ってきた。
でももうおしまい。綱渡りはここまでだ。
それはルフトも同じみたいで、出掛けに見廻りから戻ったら話があると言われた。
この一年、きっとずっと言わずに待っててくれたんだ。
だから記憶を取り戻すまでルフトから離れよう。
過去なんて関係ないって言われるかもしれない。でも、どうしても思い出さなきゃいけない。あるのかないのか分からないような本能が、これだけは絶対だと告げている。
私は自分が何者なのか、思い出さなきゃいけない。
ルフトが待っていてくれる保証なんてない。メリーチェのように魅力的で強い同族は沢山居る。記憶を取り戻した私は、仲の良くない種族かもしれない。
そんな風に考えるから、だからきっと思い出せないんだ。情けない自分の額を拳で叩き、落ち込んだ気分を追い払う。
嘘偽りのない全ての私を、ルフトに受け入れて欲しいから。
『本当に? 何を思い出してもあの雪狼に話せるの?』
「うん。だって話さなかったら結局全部壊れてしまうから」
『話したら、それこそ壊れてしまうかもしれないよ』
「それでも本当の姿を偽ったままなんて…………」
無意識に会話が成立していて、途中ではっとした。
この声を知ってる。
頭に直接聞こえる声の主を、私は知ってる。
会話に呼応するかのように、左手首に嵌められた魔法具の腕輪がカタカタと振動している。魔力に悲鳴を上げているのだ。ぎゅっと手首ごと腕輪を押さえて深呼吸をひとつする。私の奥底から溢れ出そうとしてる何かを、ほんの少し留まらせるみたいに。
窓の外は雪景色。家の中は暖かい。渾身の煮込み料理も、あと少しで出来上がる。
日常と、非日常。今の自分と本当の自分。
迷うな! リサ。
手に入れたいなら、温い所で丸まっているだけじゃだめだ。ちゃんと自分で一歩を踏み出さなきゃ。
火の始末だけ気を付けて、防寒具とブーツを慌てて身に着けて、雪の中へと飛び出した。
ブーツの足首まで埋まる雪に、不思議と冷たさは感じない。吹き付ける風と粉雪は、私を森の入り口に誘うように渦巻いている。
二本の短い脚を動かすもどかしさに苛々しながら、忘れの森へと駆け出した。
・・・・・・・・・・
その人は忘れの森の中心で、ポツンと取り残されたように佇んでいた。黒いマントを頭からすっぽりと被り、羽織っている。
曇天の中、雪は段々大ぶりになって綿花のように落ちてくる。すっかり葉が落ちた木は雪化粧をして、見るものすべてが白一色。黒いマントはそんな世界に一つだけ落ちた染みの様なのに、不思議と森に受け入れられていた。
『久しぶりだね』
マントの人物は思念で語りかけながら首を傾げた。拍子にマントの縁から長い髪が一房こぼれ落ちる。さらりと真直ぐな黒い髪。私と同じ色。
「……本当に久しぶり。サシュ」
私の言葉にサシュは嬉しそうに微笑んだ。
こうやって魔力だけで会話が成立してしまうから、だから私は言語を操れなかったのだ。記憶喪失のせいなんかじゃなかった。火を熾せないのも獲物を捌けないのも、みんなみんな、やった事が無かったから。
『思い出したの?』
「吃驚だよね。あんなに何も思い出せなかったのに、サシュの声を聞いたら水が溢れるみたいにいっぱいの記憶が帰ってきたの」
『ほんの少し留守をした隙にそんな姿になってるなんて、僕の方が驚いたよ』
「あははっ、確かに!」
『ねえ。思い出してもあの雪狼の傍に居たいの?』
「――うん。だってルフトは私の番だもの」
ルフトに受け入れて貰えるかは分からない。
それでもこの気持ちを、番を見つけた幸福な気分をサシュに分かって欲しくて、笑って頷いた。
「それ以上近づくな!」
私がもう一歩を進める前に、背後からルフトの声が聞こえた。
きっと必死で駆けつけたのだろう。
ここは迷いの森の最深部。普段は決して見廻りだってしない場所。ルフトは前任者よりも真面目に仕事をこなすから、中部までは見廻る。でもいつもここにはやって来ない。彼等の言い伝えで、神が降りた神聖な場所とされているから。
弱いところを見せない為に呼吸の乱れは抑えているけれど、ルフトの鼓動は聞いたことが無い程早鐘を打ってる。――今の私にはそれが聞き取れる。
素早く駆け寄ったルフトに背中から抱きこまれて、苦しい程の強さで腕の中に閉じ込められた。
警告なんて意に介さず一歩一歩と近づくマントのサシュに、ルフトは私を抱えたままじりじりと後退する。
「ルフト落ち着いて。あの子はね……」
「あれは人じゃない。獣だ」
聞こえないような小さな声、唸るようにルフトが告げる。
ああその通り、――獣だ。私はそれを知ってる。
『弁えろ雪狼。この森は君の縄張りではない。我々の邪魔をするな』
近づいた分だけ後退するルフトに焦れたサシュが、頭に直接声を流し込む。今までにない強い魔力を受けて、私の腕輪は更に振動しピシリと嫌な音をさせた。
「絶対に引かない。リサは俺の伴侶だ」
仰ぎ見たルフトの横顔は、サシュを視界から外さぬように瞬きさえも忘れた真剣な表情だった。綺麗なアイスブルーの瞳は既に狼のものに変わっている。
目前の脅威に対して威嚇を口にしただけ? そうだとしても私の愚かな心臓は、こんな状況でも伴侶の言葉に鼓動を速めた。
「走れ。山を下りるんだ」耳元でそう囁くと、ルフトは後ろへ私の背を押した。
剣などサシュには意味が無いと本能で悟ったのだろう。ルフトの姿は溶ける様に形を変える。銀の毛が雪の白さを反射して輝くようだ。ほんの瞬き一つの間に姿を変えた雪狼は、ぶるりとひとつ体を揺すって服の断片を払い落す。鋭い牙を見せつけるように上唇を捲りあがらせ、唸り声と共に雪の大地を蹴った。
対面するサシュは呆れ半分侮蔑半分の冷めた黒い瞳で、ルフトの前に右手を掲げる。魔力が更に増大して、作りだされた透明の壁がルフトの牙を阻む。
両者の力がぶつかって、地鳴りのように空気と大地を震わせた。
私は後方から響く鳴動に慄いた。
雪山で最も恐ろしいのは何か、この一年で嫌という程学んだから。
雪崩だ。
そりゃこんなに大きく力同士がぶつかれば、雪崩くらい起きるだろう。
ばっかじゃないの! ばっかじゃないの!?
気付いた二人の反応は両極端。
サシュはふわりと舞い上がる。
ルフトはくるりと引き返して、獲物にでも飛びかかる様な素早さで私の襟元を口で咥えて走る。それでも雪崩の進路から逃れるのが叶わないと悟ると、木の影に引き倒して大きな身体で覆うようにした。雪狼の姿は私をすっぽりと包みこんだ。
――雪崩くらいで私は傷つかない。
命を賭して私を守ろうとしているルフトは、このままでは助からないだろう。
だから記憶を取り戻した事を後悔なんてしない。ルフトを救える自分で良かったと思う。
柔らかくて温かい銀色の毛と、その下のしなやかで硬い身体を抱きしめる。
「ルフト、大好き」
腕輪の砕け散る音が微かに聞こえた。とても綺麗で悲しい音だと思った。
眼下に広がるのは一年ぶりの懐かしい眺め。
身体全体に吹き付ける寒風が心地よくて、思い切り吸い込む。
一対の翼で空気をかき混ぜると、途端に風は止み魔力の膜で周囲は覆われる。私の身には丁度良くても、ルフトには冷た過ぎる。いくらここよりずっと北にまで生息する雪狼でも、標高二千メートルのさらに上空は堪えるはずだから。ルフトは言葉を発さないけれど、気絶している訳ではないみたい。筋肉が緊張しているのが、彼を掴んだ前足を通じて伝わってくる。
白く化粧をした貴婦人のようなこの山は、いつ見ても美しい。山頂の真上から見ると、ドレスの裾のように丸く広がっているのだ。
真っ黒な私とは正反対。
雪崩が今まで私達が居た場所へと注ぎ込み止まったことを確認して、私はルフトを抱えたまま家の前まで飛翔した。
付いてくるようにと、サシュに向かって一鳴きして。
そっとルフトを前庭に降ろすと、彼は一度だけ身震いをした。
よっぽど上空の空気は寒かったのだろう、毛が逆立ち膨れて見える。――なんて、そんな現実逃避止めた方が良いよね。
ルフトが震えた理由なんて簡単。
人ならざる獣の私が怖いから。
『ごめんねルフト、怖い思いをさせて』
「リサ」
『うん』
私を見上げるルフトとの距離が遠い。その優しい穏やかな瞳を覗き込みたいのに、顔が遠くて窺えない。
仕方ない、だって今の私は尻尾まで入れると家の前の杉よりも大きいから。
「トカゲ種の獣人、だったのか?」
『違うよ雪狼、竜だ。翼の生えたトカゲなんているはずないだろ。君たちのような人混じりじゃない。僕らはただの獣だ』
サシュがあえてトドメを刺すようなことを言う。さっきの地鳴りも分かっててわざと起こしたのだろう。
ルフトを試すサシュは、優しい子だ。
「ジリエの夫婦神、ミュラとリサシュ!?」
『君たちが勝手に移り住んで崇め始めたんだよ。ここは昔から僕たちの縄張りってだけなのにね』
思念で話しながらも、サシュは心底つまらなそうに溜息を吐く。
「そんな……リサが」
『ごめんねルフト……今まで、ありがとう』
ショックを受けたように首を垂れるルフトに、私も心を抉られた。
竜の姿を目にすれば恐れるのは当たり前だ。鋭い牙にぎょろりとした爬虫類の様な目。鉤爪は硬く、岩さえバターのように削いでしまう。真っ黒な鱗に覆われた身体は、お伽話の悪役の竜そのもの。
火を熾して獲物を捌く? そんな技術記憶の中に欠片だってある筈ない。いつだってご飯は生で丸飲みしてたんだよ。だって竜だからね!
それでもやっぱり、好きな人に恐れられたら傷つく。
サシュが言った通り壊れてしまった。一年の共同生活の絆なんて、あっけなく崩れるものなんだなぁってぼんやりと思う。
だからって思い出さずには居られなかった。こんなに簡単に終わってしまうなら、もう少し忘れていたかったなんて不毛な考えに首を振る。
しょんぼり肩を落としながら(竜だって肩くらい落とす)翻した私の背中に、ルフトの悲痛な叫びが降りかかる。
「リサ、例え伴侶が居たって諦められない! 大好きだって言ってくれただろう!?」
『『ショックを受けてたのそこなのっ!?』』
……うん、私とサシュの声が見事に重なった。いや、だってさあー。
『ル、ルフト? 気にする所そこじゃないよね!? もっとほら、大きな問題があるよね! この私の裂けた口とか』
「俺の口も裂けてる」
あ、雪狼ですもんねー。
『ぜ、全身の鱗と翼!』
「飛べるのは便利だよな。それに俺は鱗の触り心地は嫌いじゃない」
……ルフトの防具には確かに鱗製のもあったね。
『体長だって杉の木と同じくらいはあるしっ』
「尻尾入れてだろ? 間口を大きくすれば、家に入れないサイズじゃないさ。建て替えてもいいし」
わあー新居だねー……。
『そもそも私達竜はこの姿が本来の姿なの! 何千年も獣の姿で暮らしてきたんだよ』
「俺だって本性は雪狼だ。リサがその方が良いなら、ずっとこのままでだって居られるさ」
あ、あれ? 何か大きいと思ってた問題がぼんやりとしてきたような。
『怖くないの?』
「どうして。リサは人の姿の時と同じだ。飛びながら俺を気遣ってくれた優しさも。艶やかな宵闇色の鱗も、真っ直ぐで濁りのない瞳も。全部一緒で綺麗だ」
『ルフト……』
「だから問題は――夫婦神の片割れだけだ」
ルフトの双眼がサシュを見て光ったような気がした。実際は顔の距離が離れてるからよく見えないけど。
何故だろう、さっき迷いの森で対峙した時よりも、ずっと仕掛ける気まんまんですよねルフトさん?
『……姉さん、本当にこの犬でいいの?』
サシュに心底呆れたような声で言われた。……聞くな、弟よ。
その声を聞いてルフトが目に見えて吃驚したのが分かる。全身の毛がまたボワッと膨らんだのだ。どうやら吃驚するとこうなるみたい。
「姉さん? じゃあ伴侶じゃなくて弟?」
私とサシュを見比べるルフトに頷く。
『そう、弟なの。言い伝えでは夫婦ってなってて、微妙だなっていつも思ってた。でも訂正なんてしても誰も信じてくれないでしょ』
『それに僕の名前がリサシュで、姉さんの名前がミュラなんだよね』とサシュ。
そう、この点は本当に微妙で。何度迷いの森を訪れる人に話しかけて玉砕したことか!
そんなことを考えて遠い記憶に思いを馳せている間に、ルフトが私のすぐ真下まで来ていた。ふわふわの銀の毛に覆われた前足を、黒光りする鱗で覆われた私の前足の上にそっと乗せる。
「リサ……いや、ミュラ。ちゃんと君の目を見ながら申し込みたい。屈んで貰えないか」
その言葉にそわそわしながら屈もうとすると、鼻を鳴らしたサシュが翼を広げて周りの魔力をかき混ぜた。私に向かって魔力を注いで、人化の魔術を組み上げる。
また来るね、と面白そうに一鳴きすると、上空に向けて飛び立った。火口付近の棲みかへ戻ったのだろう。
「うわわっ」
「おっと」
サシュの置き土産で再び人の姿になった私は、縮んで放り出される様にルフトの上に落ちる。さすが戦士の反射神経で、自らも人型になったルフトは危なげない手つきで受け止めてくれた。
「ミュラ」
「ああ良かった! 今度はちゃんと言葉が話せる。前は自分でやったから、魔力の流れが上手くいかなかったみたいで人語が習得出来てなかったの。人の姿になるの、何せ前回が長い竜生で初めてだったから。人に化けての交渉とかそういう細かいことは、いつも器用なサシュに任せっきりで、私は力技担当だったから。ルフトが見つけてくれた時も、一人で人化の魔術を組み上げたら効きすぎちゃってね……」
「ミュラ、ちょっとだけ黙って」
「……はい」
焦って色々と説明しようと手ぶりを交えて早口で喋りだす私を、ルフトは横抱きに抱え直し、強い力で抱きしめた。はぁ、と吐かれた大きな吐息が首元を擽って、思わず首をひっこめた。
「やっとだ。ミュラが俺を選んでくれるように、一年かけてじりじりしながら待ち続けた。だからもう待たないし、逃がしてやらない。どんな姿でもいい。――俺の伴侶になってくれるか?」
見上げるようにして覗き込む瞳は期待と不安で輝いている。優しいけれど容赦の無いアイスブルーの光は、サシュと対峙した時のように野生が揺らめいて美しい。
そんなルフトの首に腕を回し、互いの顔がぼやけて見えなくなるまで顔を近づける。ルフトの長い睫毛が、緊張で震えているのが感じられた。
真剣な問いには真剣に返そう。
厳かに、密やかに、死刑宣告のように。
「可哀相なルフト」
「ミュラ」
「さっき逃げれば逃がしてあげたのに。もう逃がしてなんてあげない。貴方は私の番。――一生離してなんてやらないから」
先に認めたのはそっち。竜はとってもしつこい生き物だから、覚悟してね?
私の返しの何がルフトの琴線に触れてしまったのか。雪の上で盛大に押し倒され、抱きつかれて、転げまわる羽目になった。私は平気だったけど、ルフトは寒さでガタガタ震えてた。
獣から人になった時点で、二人とも素っ裸だったからね!
・・・・・・・・・・
それから私達はどうなったかというと――。
冬期は狼種にとっての繁殖期にあたるらしい。裸で雪の上を転がって、家にそのまま雪籠りで閉じこもって、春になるまで殆ど外には出して貰えなかった。
漸く山を下りた時には、盛大な伴侶の証をハーリーンにからかわれた。ジェダは泣きそうな顔でルフトが早死にしたら嫁にもらってやるとか何とか言い逃げして、ルフトに鬼気迫る笑顔で追いかけられてた。番になったルフトはわりと大人げなくて、可愛い。
ジェダの姉であるメリーチェを筆頭に、雪狼達から次々に祝福されて戸惑った。
どうやら私達の事は雪狼族公認だったらしくて、ずっと求愛行動を続けるルフトに遠慮して、他の雪狼は近づかなかっただけだったみたい。普通は一緒に生活してれば匂い付けは事足りるらしい。わざわざ獣化してべったり付けるなんて、自分の子供か伴侶相手くらいだそうで。それだって週に一度で十分と言われて私は……。ほぼ毎日だったんですが。
祝福されるのは嬉しいけれどね、決まり文句の挨拶みたいに「近年稀に見る盛大な伴侶の証だね」って言われるのは、口から火を噴いてしまう程恥ずかしかった。(人に化けてなかったら確実に噴いてた)
雪狼は首筋から項にかけて互いの伴侶に咬み痕を残す。
獣人は直ぐに傷が治ってしまうから深く痕を残すのだけど、私は更に治りが早いのでほんの少ししか痕が残らなかった。ちょっぴり不満だけれど、ルフトが痛い思いをさせられないって言い張るので、仕方ない。
その代わりルフトには私が、がっつりと噛みついた。
本当の姿でして欲しいって乞われて、そっと甘噛みのつもりだったんだけど……。歯形が残るどころじゃない、流血ビャービャーでした。
そして出来あがった首から背中にかけての、くっきりがっつりの伴侶の証。
見る度に居た堪れなくなる私と違ってルフトは満足げだ。この前こっそり鏡の前で覗きこんでニヤニヤしてた。
そうそう、日陰トカゲの意味はね。
初冠雪でジリエに積もった新雪のように、真っ白な気持ちを毎年忘れない為に。初めての繁殖期を迎える番には贈り物をする風習があるんだって。
その中でも日陰トカゲは味はいまいちだけど栄養満点、子供が多いトカゲ種で、子宝を願って贈られる高級品。
普通は一匹で良いのに、五匹もなんてよっぽど子供が欲しいんだねと、周りから見られていたようです。もしくは伴侶への無言の催促代わり。違うから! 私催促してないから! あの時すれ違った人々全員に言って回りたい。
日陰トカゲの効果なのか、それとも呪いか。今では五人の子持ちである。
みんな人と獣、二つの姿を持って産まれて来てくれた。
四人の雪狼のやんちゃ坊主と、末っ子の竜の女の子。
竜の姿になると、父親であるルフトの大きさを五歳でさっさと追い抜いた娘は、叔父であるサシュにすごく懐いてる。ルフトとサシュが娘を挟んで火花を散らしている姿は、おかしくってとても平和だ。
これから先なんてわからない。人の姿を続ける私の寿命もわからない。
でも、先が読めないのなんて人も獣もみんな一緒。
だから番を見つけ宝物を手に入れた私は、今確かに世界一の幸福な竜だ。
ここは忘れの森。
真っ黒な竜まで白く染めてしまう程、雪深く、不思議な森。