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退魔連盟ーAlone dog―  作者: 川童九里
第一章:プロローグ
9/9

葛霧昌吾

 ――時間はわずかに遡る

 

 本部への連絡の為アパートの扉を通して異空を出た正美の分身は、建物の影になっている草むらまで移動し簡易的な人払いの結界を張ると、そこで今まで自分にかけていた認識阻害を解いた。

 理由は認識阻害が基本的には『隠蔽対象以外の全ての存在に対して阻害効果を発揮する』ためである。隠蔽対象以外に対して阻害効果を消すには、能力の発動のたびに『例外』を設定しなければならない。つまり、連絡の為に電話を掛けたとしても相手側の電話機や電話に出る受け手を指定しなければ、電波や声の認識が阻害されてしまうのだ。

 そもそも例外として設定出来るのは発動者の目視圏内に居る、在るものだけという制限もあるため、連絡時に使用する訳にはいかなかった。

「…………」

 無言でスマートフォンを取り出し、音量が最大になっているのを確認すると退魔連盟本部へと電話をかける。

『――はい、こちら退魔連盟本部、異能犯罪対策課です』

「九瀬です。例のメロウの件で妖魔四体を確保しました。登録との照合お願いします」

 スマホをトランシーバーの様に正面から口に近づけてそう言うと、電話の向こうの女の声が弾んだ。

『ああ、九瀬先輩。さすが、早いですね。どうでした、例の見習い君』

「……それに関しては追って文書で報告します。今はまず照合をお願い。それが終わったら戦闘官への応援要請もね。なんか厄介なのが残ってるみたい……で?」

『せ――? ど…………、――く聞こ――。せ――…………』

 話している途中で電話から聞こえた異音に疑問符を浮かべた正美(分身)は、それに対するオペレーターの反応で今何が起こったかを悟り、目を見開いた。

「――いきなり現れた気配を追ってみれば……やれやれ、ギリギリという所か」

「――っいつの間に!?」

 後ろから聞こえた声に反応し振り向いた正美は、その男が持っていた何かによって一瞬のうちに上下に分断されていた。

「……分身、か」

 正美の姿が消滅した後に残る真っ二つに裂けた木の葉を一瞥し、スマートフォンを踏み壊すと、男は電波妨害の結界を解いた。

「……分身を使って応援要請をしたところをみると、本体は部屋の中、か……ふむ」

 一瞬、男は何かを考える様に顎に手を当てたがすぐに軽く頷いた。

「まとめて消せば構わんか。そろそろ処分時だと思っていたところだ」

 そう一人呟いてアパートの二階を見上げた男の顔には、何の表情も浮かんではいなかった。



 厳重に密封した結界が難なく切断されると同時、結界により遮断されていた『破壊された分身』からの情報共有を受けた正美は、その直後に起きた爆発よりも大きな衝撃をその心に受けていた。

「……討魔士、葛霧昌吾」

 爆風で吹き飛んだドアの方を振り向きながら青ざめた表情でそう言った正美に、人間状態の妖魔四人を抱えた朝顔は怪訝な表情で訊ねた。

「おいパイセン……何者だ? そいつ……?」

「ッ――有名人よ。悪い方でね」

 朝顔の質問により我に返った正美は、懐からありったけの木の葉を取り出しながら、言葉を続けた。

「平たく言えば凄腕の殺し屋よ。連盟の捜査官や上位の妖魔を何人も殺してる。さすがに大幹部の連中には劣るけど、討魔士の中でも重要人物の一人と言っていいわね――っと『葉化分身』! 『葉貨交換』!!」

 言い終わるやいなや大量の分身を作り出し、それぞれに剣や拳銃といった武器を持たせると、正美は分身達を空間の入り口を遠巻きに囲むように配置した。

「……強いのか?」

「……退魔連盟に名前と顔が割れてても生き残ってるくらいにはね。外に出した分身も応援を呼ぶ間もなく消されたみたい……ま、だからこそ正体も分かったんだけど」

 朝顔の愚問に苦笑しながら返すと、正美は再び葉貨交換で何かの(つか)の様なものを召還し、軽く握りを確かめた。

「……隠れたままやり過ごすってのは?」

「…………無理ね、認識阻害は攻撃を透過することは出来ないの。さっきの部屋に置いてきた分身も、結界が切断されたと同時に叩き込まれた爆炎で部屋ごと丸焼きにされたわ。さすがにこの空間を一撃で焼き尽くすのは無理でしょうけど、入り口が一つしか無い以上、戦わずに逃げるのは不可能でしょうね」

 朝顔の案を却下すると、正美は真剣な表情に変わり、続けた。

「……私が戦ってる間に隙が出来たら、そいつら連れてあんたは逃げなさい。最悪、魂鬼以外は逃がしても構わないから、コレを持って連盟本部に向かって」

 視線を扉から外さず懐から一枚の木の葉を取り出すと、正美は朝顔のポケットにそれを突っ込んだ。

「……こいつは?」

「認識阻害を込めた葉符よ。私から離れてもしばらくは効果が持続するわ。さすがに人を抱えたままじゃ電車には乗れないでしょ?」

「……良いのか? 無賃乗車しても?」

「緊急事態だからね……意外ね、あんたもそういうの気にするんだ」

「いや、全然。どう答えるか気になっただけだ」

 最後になるかもしれない軽口を叩きながら、それでも空気は緊張していく。

「……そろそろ、焼き尽くした部屋に何も残っていないのが分かる頃よ。いつ来ても良い様に心構えしときなさい」

「……了解」

 朝顔の返答に満足げに頷くと正美は大きく息を吐いた。

 相手が強いのは重々承知。しかし、自分の認識阻害に初見で対応しきれる相手がいるとも思えない。

(私たち六人はもちろん、分身全ても隠蔽済み。視覚、聴覚はもちろん機械的、能力的な知覚ですら認識出来ない十数人からの攻撃に対応出来る存在なんているはずがない)

 聞き及んでいる敵の能力の特殊性や先ほどから妙に静かな妖魔達が気にはなったが、出来る事に変わりはない。

(初撃が勝負――絶対に、予兆は見逃さない!)

 正美がそう決意を固めてからほどなく、その瞬間は訪れる。

「――――来た」

 正美がそう呟くとほぼ同時、赤い火球が吹き飛んだ入り口から投げ込まれ、その周辺を灼熱の炎で焼き払う。

(攻撃半径は予想の範疇、攻撃のタイミングは――)

 炎が少し弱まり――。

(――――今――!!)

 飛び込んできた黒い影に、分身達が殺到する。

 それと同時に、正美も柄を振るい――。

 振るおうとして――。

 その途中で――。

 ――――音が、聞こえた。

(これ、は――)

 澄んだ鈴の音。

 大して大きくはないのに、空間全体に染み渡っていくのが肌で感じられる、音。

「ぎ、あ」

(しまっ――)

 それが何だか、理解するよりも早く。

 正美はその場に、倒れ込んでいた。



「…………? 何だ? ――ってパイセン!?」

 響き渡る鈴の音を聞き、軽い目眩のようなものを感じた朝顔だったが、目の前で正美が倒れるのを見て、一気に意識がそちらに持っていかれた。

「おい! おい! 大丈夫か!? パイセン!? 九瀬!!」

「が……ぐ……ぎ……」

 呼びかけに反応せず、目を見開いて苦しんでいる正美。

 それを見て、両腕に抱えた妖魔達に原因を問いただそうと視線を流した朝顔は、更なる驚愕に襲われた。

 ハゲ頭に獣毛が、角張り顔に角が生え、女の髪、老人の背が、先ほど戦った姿に戻っていく。

 ――人化が、解け始めていた。

「これは――――ッ」

 言う間に、背筋に寒気が走る。

 予感に従い入り口の方へと視線を向けると、燃え盛る炎の中に立つ、黒い法衣を着た男と目が合った。

(目が、あう?)

 違和感に心拍数が跳ね上がる。

 あれだけ居た分身が全て消失していること、『正美がかけた』強制人化が解けてきていること、そして今、目が合ったこと。これらから導きだされる答えは一つ。

 認識阻害が――消えている。

(まっ――)

 男が、真っ赤に灼熱した左手をこちらにかざす。

(――に――)

 そこから放出された火炎の奔流が、自分たちを飲み込む。

(――――合え!!)

 その一瞬前に。

 朝顔は正美のスーツの襟首を咥えると、全速力でその場から飛び退いていた。

 だが、危機はそれだけでは終わらない。

(――クッ――ソ!!)

 敵が炎を放射し続けながら、薙ぎ払う様に手を振るったのである。

 朝顔の両手は全く動かせないレベルで塞がり、空中のため方向転換も出来ない。ただ、迫ってくる炎を睨みつけるしか無かった。

 だが次の瞬間。

「ゴッ――ガアアアアアアアアアアアアアア」

「!?」

 朝顔の腕の先、既に完全に人狼に戻っていたハゲ頭の咆哮が、迫ってくる炎を吹き散らしていた。

「……おあえ(お前)」

「ああ、無理に喋るな」

 着地と同時に朝顔の手を振り払いロープを引きちぎった狼男は、立ち上がりながら、自身を睨みつける朝顔にそう返した。

「言いたい事は何となく分かる。こうなるのが分かってたんじゃないかって事だろう?」

「まぁ、お察しの通り、というところですなぁ」

 いつの間にか腕から抜け、狼男の隣に立っていたチビ老人が続けた。

「強制契約で話せない様になっていましたからね……仕方が無かったのですよ」

「…………」

 咥えた襟を放し、空いた腕に正美を抱えると、朝顔は訝しげな表情で狼男達を睨んだ。

「……それで? お前らはどういうつもりなんだ? ご主人様と共同で俺らを殺そうって考えか?」

「……まさか。仮にこっちがそうだとしても、あっちにその気はさらさらねぇよ」

 言うが早いか、後方から飛んできた火球を振り向き様、その爪で薙ぎ払う。

「……そうだよなぁ、旦那」

 狼男の視線は、炎からゆっくりと歩みだす、法衣の男を捉えていた。

 髪は黒、瞳も黒。右手には柄の中程から下部に向かって刃状になっている錫杖を持ち、左手の赤熱はゆっくりと冷え肌の色に戻ってきている。

 あれほどの炎の中にいたにも関わらず、その肌には一抹の煤もついてはいなかった。

「――何の真似だガルム。拾ってやった恩を忘れたか」

「……よく言うぜ。まとめて焼き殺そうとしといて、何の真似だもないでしょうよ、旦那」

 低く響く男――葛霧の言葉に狼男は怒気を含んだセリフで返した。

「何を言う。ろくに番も出来ない愚物を有効利用してやろうというのだ。せめてその連盟の犬どもの動きを止めろ。上手く出来たら共に塵に返してやる」

「……オタクのご主人すげぇな。アレ本気で言ってるなら相当なパープーじゃね?」

 葛霧のあまりな言い草に、朝顔は思わず呆れたような声を出した。

「……だが強い。攻撃の手を緩めたのも逃げられさえしなければ自分が勝てると思ってるからだ」

「余裕しゃくしゃくってわけか。嘗められたもんだ」

 狼男の解説に、朝顔は鼻を鳴らした。

 そして自分の腕の中で荒い息を吐く正美に目をやり、再び口を開く。

「共闘するってことならさっさとやっちまおうぜ。こんななりでも先輩らしいし、さっさと医者に……いや医者で良いかもわかんねぇが、とりあえず治療しなきゃまずそうだ」

「…………フッ」

 朝顔の言葉を何故か鼻で笑うと、狼男は軽く首を振った。

「やるのは俺とゼルドだけだ。お前はそいつら連れて下がってろ」

「……あん?」

 怪訝な表情の朝顔に狼男は言葉を続ける。

「さっきから話聞いてたが、お前退魔連盟でも新人だろ。それも今までこういう世界に関わってこなかったタイプの。単純な身体強化ならともかく、導術や導具に対する知識はほとんどないんじゃないのか? それじゃああの男相手にゃ荷が重い」

「……知識が無いからなんだってんだ。現にお前らは倒せただろうが」

「ああ、俺はほとんど小細工出来ないからな。だがゼルドはどうだった? 見ちゃいないが、相当苦戦したんじゃないのか?」

「…………」

 無言を肯定と受け取り、狼男は更に続ける。

「導術士との戦いは知識無しじゃ対処出来ない。そして俺たちはあの男の戦い方を知ってるし、この日のために対策も練ってきた。連携がとれない奴が混ざっても足手まといだ。だから、ここは俺たちに任せろ」

「…………そんな理屈で――」

「私、戦う!!」

 朝顔の反論を遮って未だ朝顔に抱えられたままのモサ髪女が大声を上げた。

「ガル、ゼル、戦うなら、私、私も、戦う!! お前! 縄ほどけ!!」

「ほどけってお前――ってあーもう暴れんな締め上げるぞ!」

「――レム、気持ちは嬉しいがお前じゃ無理だ、下がってろ。それからジー……やること、分かってんな」

「…………ああ、任せてくれ」

「…………?」

 角張り顔の言葉に一瞬違和感を感じた朝顔は、葛霧に向かって駆け出した二人に反応するのがわずかに遅れた。

「あ、おいまだ話は――」

「おいガキ! そいつらを頼んだぞ!!」

「〜〜ッくそ!」

 ひとまず持っている連中を安全な場所に移動させようと、朝顔は二人に背を向けた。

 と、同時に脇に抱えた角張り顔から声がかかる。

「――なぁ」

「あん?」

「――少し、話を聞いてくれるか?」

「…………今の状況に関係あるんならな」

 もちろんだ、と答えた角張り顔に、朝顔は舌を鳴らした。



「おいガキ! そいつらを頼んだぞ!!」

 そう叫んだ狼男は、視線を前に戻すと同時、目の前に迫っていた火球を弾き飛ばした。

 そして間髪入れず、腹部を狙って逆手持ちで切り上げられていた錫杖を腕ごと押さえることで止め、お返しとばかりに空いた方の腕で殴りかかった。

「――――ッらぁ!!」

「……『炎手(えんじゅ)』」

 狼男の剛拳と葛霧の左手から発せられた爆炎がぶつかり合い、その衝撃で二人はお互いに反対方向へ弾き飛ばされた。

 そしてよく見える様になった葛霧の顔を睨み、狼男は憎々しげに顔を歪める。

「……いきなり斬り掛かるたぁ、随分余裕無いことするんだな。えぇ? 旦那?」

「何、相談して死ぬ順番を決めていたようだったのでな。手早く済ませてやろうと思っただけだ」

「へぇ……そいつはお気遣いどうも。だがな、こっちが決めた順番に従うってんならまずは――」

「――あなたが死んでくださいますかな?」

 狼男の言葉を引き継いで幽体化を解いたチビ老人とその幻影が、周囲から一斉に葛霧に斬りかかった。

 だが――。

「それは無理な相談だ。なぜなら――」

「!!」

「――貴様ら愚物では、私にかすり傷一つ追わせる事が出来ないからだ」

 とっさの判断で、チビ老人が緊急避難用の、狼男の隣に作っていた幻影に瞬間移動(ジャンプ)した直後、その他全ての幻影が錫杖の刃で切り裂かれていた。

「……なるほど、やっぱ一筋縄じゃいかねぇな」

「ですな。気を入れて参りましょう」

 そう言い合った二人の顔には、それぞれ大粒の汗が浮かんでいた。



「ああああああああああああ!!」

「おおおおおおおおおおおお!!」

 二人の妖魔の声が、広大な空間にこだまする。

 それは凄まじい光景だった。

 数十体の幻影を葛霧の周囲から常時、かき消されるたびに発生させ惑乱と奇襲を仕掛けるチビ老人。そしてその目くらましを存分に利用し死角から強烈な一撃を放ち続ける狼男。この二人のコンビネーションは、見た目のインパクトもさることながら、並の使い手ならば瞬く間に倒されてしまうほどの威力を秘めている。

 だが、何よりも圧巻なのは、死角をついているはずの二人の攻撃を全て躱し、幻影を次々に消し飛ばし、苛烈に反撃を仕掛け続ける葛霧の戦闘能力の高さだろう。

「ちっ……くしょうが!」

「ふむ、なかなかしぶといな」

 全周から襲い来る攻撃を華麗に躱す葛霧と、その反撃を躱しきれず傷を増やし続ける二人の姿はそれぞれの実力差を如実に表していた。

「全く……何故私が貴様らへの命令に『私を攻撃するな』と加えなかったか、本当に分からなかったのか?」

 一瞬で十体程の幻影を斬り飛ばすと、葛霧は息一つ乱さずにそう言った。

「理由は一つ、貴様ら風情ではどんな策を弄したところで私には届かないからだ……体調が万全で無ければなおのことな」

「!?」

 葛霧の言葉に、妖魔二人に緊張が走る。それを見透かした様に葛霧は続けた。

「まさか気付かんと思ったのか? 二人とも無意識に体をかばっているせいで反応も、攻撃速度も極端に落ち込んでいる。特にゼルドは刀が折れているせいで間合いの感覚のズレも大きい。何か策があるなどとのたまっていたが、ハッタリにしてもいささか滑稽だったな」

「ぐっ、の」

 ゆっくりと自分に近づきながら語られた明らかな挑発に狼男は歯がみし、大きく腕を振りかぶると――。

「――嘗めんなぁアアアアアアアアア!!」

「……む?」

 カウンターを狙って刃を構えた葛霧にではなく、地面に向かってその豪腕を振り下ろした。

 轟音と共に地面へと伝わる衝撃と振動が葛霧の足下直下で炸裂し、周囲の地面ごとその体を中空へと弾き飛ばす。

 だがそれでも、葛霧の余裕は崩れない。

(ふむ、『衝化咆哮』の応用――『震砕拳』といったところか。なるほど、これが『当たれば』並の妖魔程度では塵も残らんだろうな)

 思考の中ですら、当たれば、を強調しつつ、飛び散る岩塊の隙間で体勢を整える葛霧。

 その周辺にチビ老人の幻影が出現した。

(――『幻影跳躍(イマジンジャンプ)』か。確かにこの体勢では十分に剣は振るえない。よろしい、急所以外ならくらってやろう。もっとも折れた刀で私の防衣を貫けるならば、だが)

 瞬時にそう思考し、万一急所を狙ってくるようなら切り伏せようと頭部周辺の警戒を強める。

 その直後――。

(――来た、か?)

 その違和感に葛霧は疑問符を浮かべる。

 自身の死角に入ってこそいるが、明らかにチビ老人の間合いの外。

 折れた刀はもちろん、通常の刀であっても届かない位置への転移。

 それに、わずか葛霧は混乱を覚えた。

(もう一度飛ぶ気か……? いや、しかし……)

 葛霧は朝顔の様に殺気を読んで敵の位置を探査している訳ではない。

 魂臓の位置を把握する術を常時発動しているだけである。

 故に、そこに飛んだのが何なのか、判断がつかなかった。

 だが――。

「――『炎手』!」

 それをハッタリでもミスでもないと判断し、己の背中側に『自分方向に』流れる炎の奔流を生み出すことで、葛霧は空中から高速で離脱した。

 その判断の正しさは、数瞬後、炎ごと先ほどまで葛霧が居た場所を薙ぎ払った狼男の腕が証明していた。

「なるほど……自分以外も飛ばせるのを隠していた、という訳か。ガルムの『震砕拳』といい、なかなか健気に……この日のために努力したとみえる」

 受け身を取って地上に降りた妖魔二人へと向き直った葛霧は、だが、と言葉を続けた。

「――これまで見せていなかった上位能力、一般的に考えて消費も絶大なはず。それらをつぎ込んだ先の衝突で私に手傷を負わせられなかった以上、貴様らの勝利は絶望的だ。加えて――」

 錫杖を掲げ、笑う。

「こちらの『冷却』も終わった。苦しみもだえて死ぬが良い」

 そう吐き捨てると、慌てて向かってくる二人が届かぬ距離で、錫杖を地面に突き立てた。



「こちらの『冷却』も終わった。苦しみもだえて死ぬが良い」

 そう笑いながら言った葛霧の分析は概ね正しい。

 事実、狼男の『震砕拳』は日に数発でその導力の大半を消費してしまうし、チビ老人の『幻影跳躍(イマジンジャンプ)他者投射(アナザー)』にいたっては日に一回が限度である。

 だが、それを盛大に使ったとしても、否、使ったからこそ出来る活路が有る。

(これを――待ってたんだ)

 慌てる振りをしながら、狼男は自身の気持ちを落ち着けようと躍起になった。

(この、タイミングを――)

 葛霧は強い。

 それは単純な戦闘力はもちろん、精神的な意味でも、である。

 急激な状況の変化にも冷静に対応する胆力や敵の実力を測り次の手を読む思考力、そして場合によって直感に身を委ねる思い切りの良さも持っている。

 先ほどから度々発せられている狼男たちへの(あざけ)りは、決して油断や(おご)りから出るものでなく、彼我の実力差を正確に測れるからこそ、それを示す事で心を折ろうとする策略である。

 そういう意味では狡猾な男でもあった。

(だから、油断させるのも簡単じゃない。敵に届きそうな、全力の攻撃に失敗し、一気に絶体絶命のピンチになる、この瞬間位しか奴に隙が出来る見通しは立たなかった)

 だからしくじらない。

 奴に捕らえられてから待ち続けたこの一瞬を、無駄になどしない。

「響け! 『破魔の――』」

「ゴッアァァアアアアアア!!」

 葛霧が錫杖を突き立て術を発動するよりも一瞬早く、走りながら放たれた狼男の咆哮が葛霧をその場に縫い付け、妖魔に致命傷を与える鈴の音を錫杖近辺に押さえ込んだ。

 名付けて『封縛咆哮(バインドロア)』。

 葛霧の持ち物の中で最悪の切り札に対して用意した、唯一無二の対抗策である。

 先ほど炎を吹き散らした『衝撃咆哮(インパクトロア)』や『震砕拳』との違いは音を媒介にした単なる指向性破壊能力であるこれらと異なり、限定された標的を全周から押さえ込むことに特化している点や、その射程距離の長さにある。

 その分消費導力の大きさは並でないが、半径十メートル程度にしか能力が及ばないと考えているだろう葛霧の予想を裏切るにはうってつけで、切り札を潰された動揺と相まって、大きな隙を生んでくれるはずだった。

(――今だ! ゼルド!!)

(おまかせを!!)

 目線で意図を通じ合うと、チビ老人は対応される前に葛霧を仕留めるべく、連続で幻影跳躍を行い、一気に接敵を計る。

 同時に狼男も咆哮を続けながら、万一の仕留め損ないにそなえ、足に力を込めた。



「……全く、そんな事だろうと思ったよ」

 


 聞こえるはずの無い、実際聞こえてはいない、しかし確かに読み取れた葛霧の唇の動きに、二人の背筋は凍り付いた。

 そして今までに無い明るさに輝き始めた葛霧の左手を見て、その狙いを察する。

(――『炎手――』)

「離れろ! ゼルドォオオオオオオオオ!!」

(『――紅蓮波涛』)

 狼男が思わず能力を解き、叫んでしまった次の瞬間、下方向に向いた葛霧の左手から放出された灼熱の業火が、地面に跳ね返り広がり、炎の波となって葛霧の周辺を薙ぎ払った。

「ぐ、おおおおおお」

 自身にまで迫る炎の波のあまりの熱気に顔を覆った狼男はそれでも、赤い光にまぎれた敵の姿を探す。

(仕留め損ねたが……それでもまたしばらくは『破魔音』は撃てないはず。奴の性格上隠れて冷却を待つなんてことはしない……なら、どこだ!?)

 自身の特性である鼻もフルに使い仇敵の姿を探す。

 見つけたのは、一瞬後。

 自分の、真後ろ。

「――――ッ!!」

 振り向き様に放った裏拳は――。

「遅い」

 裏拳を放った腕は、その軌道の途中で肘から先が寸断、吹き飛ばされていた。

「――ぎッ」

「…………終わりだな」

 痛みで動きが鈍った狼男にとどめを刺そうと、葛霧は錫杖を構える。

 だが。

 その目が、自分を見ていないことに気付き、狼男は叫びを上げた。

「ダメだ!! 来るなぁああああああああ!!」

「……残念、それも遅い」

 一瞬の静寂。

 凍る空気。

 舞う血は二種類。

 喉元を切断された、狼男のもの。

 そしてもう一つは、狼男を助けようと幽体化を解いて葛霧に飛びかかり。

 胴から上下に分断された、チビ老人のものだった。



 どこかから女の悲鳴が上がったが、それに葛霧は気付かない。



「…………ガハッ」

「……む」

 喉を切られ叫び声を上げる事も出来なくなった狼男の血を吐く音に、葛霧は不本意そうに顔を歪めた。

「……何だ、首を落としたつもりだったのだが……中々上手くいかないものだ」

 そう呟いて再び錫杖を構えると、今度は盛大にため息をついた。

(――全く、こうも同じ手にかかるとは)

 そして狼男を狙わない分先ほどよりもコンパクトに、素早く振り向き、大きな足音を立てて走り込んできた乱入者に刃を振るった。

 だが。

「らあっ!!」

「――!?」

 思わぬ衝撃に吹き飛ばされそうになるのを、かろうじてこらえる。

 振るわれた刃は、それに合わせる様に振り下ろされた『木刀』に受け止められていた。

(――私の剣速に合わせただと!? いや、それよりも何故『斬れない』!?)

「……貴様、何者だ?」

 心中の驚愕を極力出さず、葛霧は乱入してきた少年に尋ねる。

「……何者? んなもん決まってんだろうが」

 その特徴的な髪色をした少年、咲原朝顔は、木刀越しに吐き捨てる様に返答した。

「てめぇの敵だよ、生臭坊主!!」

 朝顔が言葉と共に発した殺気と圧力に、葛霧はわずか、目を細めた。

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