乱闘試験(前)
「……退魔連盟、だあ?」
正美の名乗りに、ハゲ頭の顔色が変わる。
見て取れるのは、焦り。
チラチラとドアの方を気にしながら、軽く重心を後ろにかけている。
どう見ても逃げ腰だった。
そんなハゲ頭を、正美の容赦ない言葉が叩く。
「無駄ですよ、この異空は完全に封鎖しました。大人しく捕まるというのなら、痛い目は見ないで済みますが?」
「……クソ、メロウの野郎、とんでもねぇのに引っかかりやがって……」
舌打ちと共に、ココがバレる事になった元凶に毒を吐くハゲ頭。
その姿を一瞥すると、正美はあえて冷たく言い放った。
「文句は獄中で本人にどうぞ……で、どうします? 大人しく捕まりますか? それとも、一発逆転にでもかけてみますか? あなた達程度が、この私を倒せるというならば、ですが」
「…………」
正美の明らかな挑発に、ハゲ頭は軽く思案すると大きくため息をついた。
「……分かった、降参だ。好きに連れてってくれ」
「えっ」
「えっ」
予想外の返答に驚いた正美と、正美が驚いた事に驚いたハゲ頭。
一瞬の間の後、正美は軽く咳払いすると、良く聞こえなかったという顔で、再びハゲ頭に訊ねた。
「えっと……すいません。聞き違いだったら申し訳ないんですが、今、降参するって言いました?」
「……ああ、言った。痛い目に合うのはごめんなんでな」
「…………」
念押しにも頷いたハゲ頭を見て、正美は小声で呟く。
「……おかしいわね。普通ああいう事言われたら『なめんじゃねぇ! 粉々にぶち殺してやらぁ!!』ってなるもんじゃないの?」
「……知らねーよ。あいつらはあんた程単細胞じゃなかったんだ――痛ってぇ!!」
余計な一言を言った朝顔の足を思い切り踏みつけると、正美は再び咳払いをしてハゲ頭に向き直った。
「ま、まぁそういう事ならこちらとしても文句はありません。では人化を保ったままこちらへ――」
「待て!!」
横合いから発せられたモサ髪女の怒声が、正美の言葉を遮った。
そしてそのまま、ハゲ頭へと叫ぶ。
「何で、何で諦める! 私たち、頑張ってきた! みんな生き残ろうって約束した! あの方無能許さない! 裏切り者殺される!!」
「……だからこそ、だ。さしもの旦那も退魔連が準備万端で待ち構えてるとは思わんだろう。ここは協力して旦那を仕留め、ついでに減刑を乞うのが得策だ」
「しかし!!」
「あのーちょっとストップして貰っていいですか?」
自分たちを無視して相談を始めたハゲ頭達を正美は制止した。
そして、何を言っているか分からないと言った風に、二人の顔を見比べる。
「あの、さっきから言ってる『あの方』とか『旦那』とかって何の事でしょう? 分かるように説明してもらっても構いませんか?」
正美のその言葉に、ハゲ頭が目を見開いた。
「待て……あんたら、『奴』を捕らえるために出張ってきたんじゃないのか?」
「……ええ。私たちは先ほど言ったように『あなた方』を『霊薬の密造、密売』の罪で逮捕しに来ました。正直、『奴』とやらが何者か検討も付きません」
「――は、はは、はははははは。ああ、そうか、そういう事か、くく、はははははは」
いきなり顔を押さえ、狂ったように笑い始めたハゲ頭を、訝しげな目で見る正美達。
それを無視して、ハゲ頭は続けた。
「あーくそ、メロウめ。そういえば奴は知らなかったな、だから気軽にバラせた訳か、ノータリンのクソボンボンめ。それであんたらは、あの間抜けに唆されて、楽な仕事だと勘違いして、ノコノコここにやってきたわけか! ああ全く大笑いだぜ! 今世紀最大の笑いネタだ!!」
「……どういう意味ですか? 説明しなさい!」
「断る! ……悪いがさっきの降参は撤回する。俺達が生き残るにはお前らの死体を差し出して、許してもらえるよう懇願するしかない。例えそれが、一縷の望みだとしてもな!!」
骨がきしむ嫌な音を立てながら、ハゲ頭のただでさえ大柄な体が二倍程に膨張する。口は伸び牙が生え、見る間に全身が茶色い獣毛に覆われていく。尾を床に叩き付け咆哮するその姿は、伝承に見る狼男のそれだった。
「……おお〜すげぇ、何あれ九瀬パイセンの親戚?」
「あんな不細工と一緒にしないで、じゃなくて」
その変貌を見ても全く動じない朝顔の軽口に思わず乗ってしまってから、正美は業務命令を朝顔に下す。
「……概ね予定通りではありますが、『奴』とやらが気になります。五分以内に片付けな――っと」
「よっ――了解了解」
正美は突如現れたチビ老人からの、朝顔は飛びかかってきたモサ髪女からの攻撃をそれぞれ躱しながら、会話を続ける。
「――なぁなぁ、こいつら仕留めちゃダメか?」
「……殺す、という事ですか? 却下です、彼らからは話を聞かなければなりませんし、そもそも殺害許可が降りていません。多少の傷はやむおえませんが、なるべくダメージを与えず戦闘不能にしなさい」
「…………りょーかい」
若干不満げに返すと、朝顔は足に力を込め、高速の後方跳躍をもって戦闘領域から離脱した。
「速――」
「ぬ――?」
敵二人がその速度に気を取られた一瞬の隙をつき、正美も認識阻害を発動、ゆうゆう安全圏へと移動する。
「ぬう……厄介な……」
「ああ、見えない相手に殴られる心配はしなくていいぜ。お前らの相手は俺だけだ」
標的を逃がして唸るチビ老人に煽るように言葉を投げると、朝顔はわずか黙考する。
(まぁ、九瀬はああ言ってたが、所詮戦闘中の出来事だ。少しやり過ぎても問題は――)
とまで考えた所で、右手に強烈な痛みが走る。
同時に紫堂の声が呪詛のように頭に響いてきた。
『金の絡まない殺しはするな』『金の絡まない殺しは』『金の』『するな』『殺しは』『金の絡まない』『金の』――――。
「ああ、分かった分かった」
ため息混じりにそう呟くと、痛みと声がウソの様に霧散した。
(なるほど、破ろうとするとこうなる訳ね)
契約条項。
咲原朝顔が紫堂光雲と交わした一つの約束事。
『金の絡まない殺しはするな』の効力と意味を、ようやく朝顔は理解していた。
「まぁ、こうなった以上は仕方ねぇ。殺さないのは良いが――」
「――死っねぇ!!」
何かをブツブツと呟き、隙だらけに見える朝顔へと飛びかかってきたハゲ頭改め狼男の拳撃は――。
「なっ――」
「――お前らは、地獄の苦しみを覚悟しろ」
片手で、受け止められていた。
(馬鹿な!? どういう膂力してやがる!? 拳がピクリとも動かねぇ!!)
「ガルム殿!!」
「ガル!!」
朝顔の側面に回り込んでいた老人とモサ髪の叫びに、狼男が気付いた時には。
「ご、あっ!」
その顎下は朝顔の足に打ち抜かれていた。
(何だ今の――そうか、腕を引かれてその反動と合わせて――)
首から上にとんでもない衝撃を受け、その巨体を吹き飛ばされながら、ガルムと呼ばれた狼男は思考を流す。
(確かに重い一撃だが、数発なら耐えられる。体勢を立て直したら今度はあいつらと連携して――)
そう考えながら受け身を取り、一回転して再び朝顔の方を睨むと。
「よう」
「は?」
二人を振り切り、既に懐に入り込んでいた朝顔からの声が届いた。
「おっ――」
「待っ――」
「らああああああ!!」
防御も、覚悟すらも間に合わず、今度は腹部に強烈な一撃が入る。
今度はほぼ直線の軌道で吹き飛ばされ、その途中でシステムキッチンをなぎ倒すも止まらず、結局その先の壁へと叩き付けられた。
「がっ、こ、のっ!!」
常人なら血煙と化していてもおかしくない衝撃を全身に受けてもなお、立ち上がろうとする狼男の気迫は。
「……あ」
「――よう」
今この場においては、苦痛を増やす要因でしかなかった。
「ヤメロおおおおおおお!!」
「!! いけません!!」
背後から、飛び出そうとするモサ髪とそれを制するチビ老人の気配を感じながら、朝顔は拳を振りかぶった。
「おっらああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「ぐっ、ぎっ、があああああああああああああああああああ!!」
異空封鎖され、破壊不能になった壁によって標的が吹き飛ばないのを幸いに朝顔は先ほどと同等以上の拳撃を十数発叩き込むと、一言。
「……まずは、一人、と」
壁にもたれ、力なくへたり込んだ狼男を確認し、朝顔は残る二人へと視線を流した。
「何で、何で止めた!!」
狼男がボロボロにされるのを目の当たりにし、それでも朝顔からは視線をそらさず、モサ髪女は、チビ老人へと叫んだ。
「……落ち着いて下さい、レム殿。あやつは危険です。感情に任せて無策で飛びかかれば、あなたもやられていた」
「ぐっ、くっ、ううううううう」
チビ老人が言っている事が正しいのは重々承知の上で、それでも、とモサ髪女は唸っていた。
「……相談は終わったか?」
システムキッチンの残骸を踏み越え、広い空間へと歩み出ながら朝顔は続ける。
「もし降参するってんなら早めにしろよ。見たとこ今の奴がお前らん中で最強だろ? 何も死ぬ訳じゃねぇんだ、敵わないなら諦めるってのも一つの手だぜ?」
「……残念ですが承服しかねますな。先ほど彼も言っていた様に、我々が生き残る術はあなた方を仕留める他に無い……まぁそれを言うなら、あなた方の命運は、どちらにせよ既につきているのですが」
「あん?」
朝顔の怪訝な顔を見て、チビ老人は何かを思いついたように手を叩いた。
「ああ、そうだ。どちらにせよここで死ぬのは確定なのです。どうせなら我々を助けると思ってあなた方が降参しては貰えませんか?」
「……んな戯れ言に乗ると、本気で思ってんのか?」
ゆっくりと前に拳を構え、戦闘態勢に入る朝顔を見て、チビ老人はため息をつく。
「参りましたねぇ、良い提案だと思ったのですが。ああ、では戦う前にもう一つだけ――」
待ってられるか、と足に力を込めた朝顔は。
「――――っ」
首筋に寒気を感じ、慌ててその場に伏せた。
その頭上を一瞬遅れて刀が通過する。
「おっと外してしまった」
「――ってめぇ!!」
叫び、振り向き様に蹴りを見舞う。
どうやって後ろに回り込んだかは考えない。
ただそこに居るチビ老人を排除する事だけを考えた。
だが――。
「なっ――」
「ふっふっふっふ」
確かにチビ老人を捉えたと思った瞬間、その姿も手応えもその場から消滅していた。
「――ふっふっふ、では聞こえていなかった様ですのでもう一度」
元の位置に戻った、ではなく先ほどから動いていなかった方のチビ老人が笑いながら続けた。
「――タフさや怪力だけが、強さの証明ではありませんぞ?」
「この――」
朝顔が睨むと、そのチビ老人は隣に立つモサ髪女と共に、煙の様に消え失せた。
「消え、た」
(幻術? 分身? くっそ! そんなのもあるのか!?)
改めて自分の相手が超常の存在である事を思い出した朝顔の頭上から、雨の様に何かが降り注ぐ。
「どっわあああああ」
「チッ」
横っ飛びに紙一重でソレを躱した朝顔に、誰かの舌打ちが届く。
目線をそちらに向けると、手に爪の無くなったモサ髪女が、軽やかに着地する所だった。
「……あーもしかして」
ちらり、と先ほど自分が立っていた場所に目をやる。
そこには、包丁程の大きさがある、白い刃が刺さっていた。
「その爪、飛ばせんのかよ!?」
「正解」
一瞬で生えそろった爪を、腕を振り抜く事で射出するモサ髪女。
しかし。
「チッ、嘗めんじゃ――」
朝顔はソレを最小限の動きで躱し、殴り掛かろうと足に力を込める。
「――ねぇ!!」
「いえ、嘗めてはおりませんよ?」
「はっ!?」
飛び出そうとした瞬間に目の前に現れた刀を、体を捻る事でかろうじて躱す。
だが、飛び出した瞬間に崩れた体勢はそうそう戻せるものでなく。
「のああああっ!」
「無様」
「ですねぇ……」
モサ髪女の言葉通り、ものの見事にすっ転ぶハメになったのであった。
「くっ、そが」
追撃を警戒し、即座に立ち上がった朝顔を眺めながら、チビ老人はモサ髪女へと指示を出す。
「ではレム殿、この調子で仕留めてしまいましょう。もちろん、もう一人への警戒も忘れずに、ですが」
「……了解」
「………………チッ」
敵二人が朝顔に武器を構えるのを見て、正美は小さく、誰にも聞こえない舌打ちを放った。