九瀬正美
精神監査は朝顔の想像以上にあっけなく終わった。
まぁ、パソコンの前で妙なヘッドギアをつけながら自動で回答されていくアンケートを眺めていただけなのだから当然ではある。
それよりもその後に行われた講習の方が面倒だった。
昼休憩も挟まず、四時間ぶっ続けで良く分からない授業を聞くはめになった朝顔は、端から見ても分かる程辟易していた。
ちなみに紫堂は受付で何やら話した後、朝顔を精神監査試験室(それ専用の部屋があった)に押し込み、一言。
「俺、仕事あるから」
とだけ言い残し、そそくさとその場を後にしていた。
結果、朝顔は完全なアウェーである退魔連盟本部の、まるで役所かなにかのような整然としたロビーで、一人寂しく栄養ドリンクを啜るという状態に陥っていた。
「……なんで、こんな事に」
一人になって改めて今の状況への疑問がわく。
周囲には何となくただ者ではない気配を纏った和装の老人、どうみても三つ目がある小学生くらいの子供、それを動く髪の毛であやす主婦……などなど明らかに一癖以上ある連中が、『普通』に順番待ちをしており朝顔の混乱に拍車をかけていた。
もっとも、先ほどまで講習を行っていた女講師の頭が首から少し浮いていた時点でおかしいとは思っていたのだが。
「あの……咲原朝顔さん……ですか?」
突然朝顔の後方から、かわいらしい声がかかった。
ゆっくりと振り向くと、不安げな顔をした……恐らくは少女と言って良いだろう存在と目が合った。外見年齢は十歳程度、肩まで伸びた金髪は透き通るように美しく、その碧眼はガラス玉の様に光を反射している。しかし、その年齢で着る事はほとんど無いだろうきっちりとした(恐らく特注サイズの)パンツスーツや、何より頭頂部付近から生えた二つの狐の様な耳が、コレが見た目通りの可憐な存在ではない事を朝顔に予感させていた。
「……そうっすけど、何か?」
「ああ、良かった……私があなたの研修担当の九瀬正美です。お待たせしてごめんなさい、事務処理に少し手間取ってしまって……えっと、準備は、大丈夫ですか?」
「……はぁ、いや、えーっと…………?」
何を言っているか分からないという表情の朝顔に、正美は首を傾げた。
「あれ? ……もしかして、この後の予定聞いてません? どうしよう……えっと何か、大事な用事とか入ってますか?」
「……いや、無いっすけど」
「――良かった! じゃあ問題ないですね! それじゃあ、えっと、どうしましょう。ここで話すのもなんですし……事務所の方に行きますか?」
「………………あー、その、出来ればで良いんすけど、どっかで飯食わせて貰えませんか? 昨日の夜からほとんど食って無くて……」
講習の担当者から『ロビーで待機』としか伝えられておらず、自販機にあった栄養ドリンクでなんとか空腹を紛らわせていた朝顔の切実な訴えに、正美は一瞬キョトンとした後、吹き出した。
「ああ、ごめんなさい。紫堂さんになるべく急いでと言われていたので、そこら辺の事を失念していました。そうですよね、お腹すきますよね……ふふっ」
「ええ……まぁ、一応、人間なので」
やっぱりあの野郎のせいだったか、と思いつつ、朝顔はなぜだかツボに入ったらしい正美の笑いが収まるまで、周囲からの好奇の視線にさらされ続けていた。
「いや〜さっきはごめんなさいね。なんか変な所に入っちゃって、ふふ」
「あむ……別にいっすよ、全ての元凶は紫堂って野郎なんで」
もぐもぐと口を動かしながら、朝顔は鼻を鳴らした。
場所は退魔連盟本部から徒歩五分程のファミリーレストラン。
注文した焼き肉グリル定食は既に九割方朝顔の胃の中に収まっていた。
「こらこら、駄目ですよ? これから上司になる人を野郎なんて呼んじゃ。例え裏仕事でも上下関係は大切なんですから」
「…………そんな事より、研修について教えてもらえませんか? いまいち自分の置かれてる状況が分かってないんで」
正美の嗜めを軽く流し、朝顔はさっさと本題を促す。
店内を見渡しても既に昼をわずかに過ぎているためか、人の入りはまばら。
だべっている主婦か受験生の様な若者がちらほら見えるくらいで、音も店内にかかっているBGMを除けば、時々聞こえてくる品の無い笑い声くらいなもの。
この状況ならば仕事の話をしても特に問題ないと思われた。
しかし、正美は唇に指を当て、しっ、と朝顔に警告した。
「ダメですよ咲原さん、軽々しく外で仕事の話をしちゃ。私たちの仕事は、あくまで一般には秘密なんですから」
「……いや、あんたもさっきから結構――」
「私はいいんです。ちゃんと周囲からの認識を断ってますから」
「……そういや、そうでしたね」
入店した時の周囲の反応を思い出す。
一名と発言した朝顔を何の疑いも無く席へと案内した店員。
朝顔の風貌に一瞬興味を引かれたもののすぐに談笑に戻った奥様連中
どう考えてもコスプレ幼女を連れた変質者への対応ではない。
正直料理が運ばれてくるまでは通報されやしないか気が気で無かった朝顔も、既に『そういうもの』なのだろうと順応していた。
「……そういや、“あの”本部もそういう術で場所を誤摩化してるんすか?」
ふと本部に出向いた時の事を思い出し、質問する。
あのとき――大都会東京のど真ん中、ビルとビルの間の数センチも無い隙間に顔を(紫堂によって)押し付けられた次の瞬間、朝顔は先ほどまで無かった十階建てのビル、退魔連盟本部の前に佇んでいた。
常識から外れている、という位しか共通点は無いがこう考えるのが自然だろう。
だが朝顔の予想に反して、正美はうーんと唸りながら天井を仰いだ。
「すこーし、違うんですけどね。あっちは『導術』で私のは血族回路由来の『能力』ですから。人工と天然って言うか……まぁ、安全保障上詳しくは言えないんですが」
「ああ、詳しく言われても分かんないんで良いっす」
その返答に呆れ顔の正美を気にも留めず、朝顔は最後の肉をほおばった。
「……それで、結局どこいけば説明して貰えるんすか? もう一度本部に戻ります?」
「そうですねぇ……時間ももったいないですし、研修先に向かう道すがら話しましょうか?」
ここで話すのと何が違うんだ、と朝顔が口を開く前に、正美から補足の説明が入る。
「外に出れば私の能力をあなたにもかけられます。もっとも、食い逃げ扱いされてもかまわないというならここで使ってもかまいませんが」
「……りょーかいっす」
小さく呟いた朝顔に、正美は満足げに頷いた。
「さて、では何から話しましょうか。オーソドックスに研修の目的と理念からですかね」
「……ひとまずこのルートを通ろうと思った理由について教えてくれ、さい」
「? いけませんか?」
「いや、いけないっていうか落ち着いて話聞ける気がしないんだけどどうすんだこれ!」
前後から迫る人波を必死で躱しながら、朝顔は叫んだ。
都心のオフィス街、いつ来ても多くのビジネスマンが行き交うメインストリートを朝顔達は歩いていた。
正美の『能力』とやらが効いているため今の叫び声は聞こえていないが、むしろソレが効いているのが最大の問題だった。
早い話が人類総歩きスマホ状態。
少しでも気を抜けば容赦なく突き飛ばされ、踏まれ、蹴られる上、認識をねじ曲げているため何かに触れたという感覚すら抱かせない、つまりどれほどボコボコにされても気付かれない。
ただの人ごみが紛れも無い危険地帯と化していた。
しかし、そんな中でも涼しい顔で歩き続ける正美は遅れている朝顔を振り返ってため息をついた。
「全く……戦闘職を志望するならこれくらいは楽によけてもらわないと困ります。まさかこの程度が本気ではないんでしょう?」
「向かってくる奴全員撥ね飛ばして良いんなら本気出しますけど!?」
「却下します……仕方ありませんね。裏道に回りましょう。こっちです」
「あ、ちょ、待っ、足引っ掛けられ……ぎゃああああああああ」
正美に気を取られた隙に人波に飲まれた朝顔が、匍匐前進で這い出してくるまで十分程の時間を要した。
表通りから少しビルの谷間へと入り、どこの街にもある薄暗く、細く、複雑な裏路地を歩く二人。
華やかな表通りとは異なり、エアコンの室外機や生ゴミのゴミ箱など、表面から隠された、しかしそれらを支える裏面が所々に見て取れる。
よっぽどの事情でもなければ、こんな所を通る物好きはいないだろう。
と朝顔がこれ見よがしにため息をついた。
「はー……さっきは死ぬかと思った……まだ体中が痛ぇ。これ研修ってのにも支障が出るかもなぁ、どうしよう」
「……罪悪感覚えさせようとしてもダメですよ。痛みなんてほとんど無かったでしょう? 身体強化してたのくらい、見れば分かるんですから」
「……チッばれてたか」
朝顔の悪態に、深くため息をつくと正美はあからさまに落胆した声を発した。
「……先ほども言いましたが退魔連盟で戦闘職を勤めるならアレくらい楽々躱してくれなければ困ります。優秀な固道武術士と聞いていたのですが、何かの間違いでしたか?」
「……生憎、敵を攻撃もせずに『逃げ回る』技術は持ってないんすよ。実力が見たいってんなら、どっかで組み手でもするのが早いんじゃないっすかねぇ」
朝顔のあからさまな挑発に、正美は一瞬むっとした表情に変わったもののすぐに冷静に取り繕い、返答した。
「――そうですね。少し予定とは変わりますが、研修を行う前にあなたの実力を見ておくのも良いかもしれません。紫堂さんの紹介という事で免除されるはずだった実技試験を受けてもらいましょう」
「――上等。んじゃあどこでやります? 俺は、今からここででも構わねぇけど」
顔を歪めやる気満々な朝顔に対し、正美はどこか小馬鹿にしたように肩をすくめた。
「別に組み手をするとは言ってません。私の容姿から油断した、とか言い訳されても面倒ですし」
「……あんた、実は性格悪いだろ」
「…………上下関係は大事って言いませんでしたか? 査定に悪評を書かれたく無かったらそういう事は言わない方が良いですよ?」
可愛らしい声で冷たく言い放った正美に、朝顔はうへぇ、と舌を出した。