侍女と暗殺事件―4
マールは、にやにやと浮かび上がってきた笑いを隠さずに、ゆっくりと体を起こした。その動作はどことなく洗練されていて気品があり、とても優雅に見えた。
(顔がいいとほんと得よね)
無駄に優雅な立ち振舞いのマールは、中性的な細面の美貌もあいまって、どこかのお姫様に見えた……侍女のお仕着せだけど。本当に綺麗な人ってのは、何を着ても何をしても綺麗なものらしい。ずるい。
(にしても、何なのよこいつ?)
あたしは起き上がったマールから、無意識に飛び退いて離れた。侍女達を背に庇うように立つ。一応念のために、だ。
マールは服についた汚れやらをはたき落としながら、こちらに向き直った。そこ、なんかムカつくからにやにや笑うのやめて。それになんで無駄に優雅なのよ。少しは分けて欲しいような気がする。
「合格だ、イーラ」
あんたさっきも合格だとか口にしたよね。何よ、合格って。あたしが何に合格したのよ。
それに、“合格”という言葉で、この一幕が茶番だと判明したようなものよね。やっぱり、陛下は弑されていないし――どころか、近衛兵の捕獲対象がここに混ざってる、そのことじたいも茶番劇のはず。
(やっぱり)
あれだけ無反応だった近衛兵達が横二列の隊列を組んで屋内へと歩を進めている。つい先程まで円陣を組み剣の切っ先をこちらに向けていたとは思えない。
「何が“合格”なのよ」
あたしはいらいらするのをおさえていった。ああもう、おさえきれない。
今目の前には、あたし以外の人質役の侍女三人と、犯人役のマールがいる。侍女たちはマールが起き上がったあとすぐ移動した。背中に庇った意味がないじゃない。
人質役だった侍女達は、みんな無表情でこちらを見ていた。なんとも演技派なことよね。……とくに気を失ったシーリー(推測)。
「それについては屋内で話そう」
といって、マールは演技派侍女三人衆を従えて屋内へと歩を進める。ついてこいってこと?
なおもいらいらするあたしの肩に、ぽんと手が置かれたのはその時だった。反射的に振り返ると、そこには申し訳なさそうに微笑むナイスミドルが。他の近衛兵と一緒に戻らなかったわけ?
「色々とお怒りでしょうが、どうか鎮めて」
見目のよい殿方の誘いは断れなかった。面食いの自分を今ほど呪いたくなったのは初めてかもしれない。どこまで面食いなんだあたし。
(ほんっっと顔がいいって得よねぇー)
あたし自身平凡な顔立ちだから、羨ましいわ畜生め。
「さぁ、向かいましょう」
とナイスミドルは大人しくなったあたしを屋内へと案内し始めた。
◇◇◇◇◇
目的の場所へと案内されている間、ずっとナイスミドルは黙ったままだった。まぁ、あたしとしては今のこの状況で会話なんてする気力も失せているからちょうどいいんだけど。でも、ここがどこなのかくらいは教えてほしかった。
後宮の中庭を後にしてまず向かったのは中央宮殿だった。王宮はいくつかの建物が柱廊でつながれていて、主に陛下のプライベート空間の奥宮と後宮を背後にして建つのがこの中央宮殿。ここには政事が行われる中央府の機能があって、官僚が日々忙しなく業務に追われている。
今もこうして、先程から何度も早足の官僚立ちとすれ違っていたりする。
しばらく、階段をあがったり廊下の角を曲がったりを繰り返して、ようやくナイスミドルが足を止めたのは、立派な扉の前だった。
(うっわ)
王宮というものは、贅を尽くした内装であり、どこをとっても立派なつくりをしている。例えば、国の内外からそれなりの地位にいる賓客をもてなしたとする。そうすると、王宮が貧相だったりしたら国としての体面に関わってくるからだという……リュクレース様の受け売りだけどね。
だから、ナイスミドルに案内された部屋の扉は、仕事上華美な内装を見慣れたあたしにとって、この扉はかなり華々しく映った。一見華々しくは見えないように設計・計算され尽くした華美さ。
(これ、もしかしなくてもリュクレース様のお部屋よりも華美じゃないの)
王宮内では、自身の立場から見て上の立場の人より華美にしないのが不文律で暗黙の了解だ。無論、王族でも例外でない。
(陛下の姉妹の立場でもあるリュクレース様より華美?って……かなり限られちゃうじゃない)
――しかしナイスミドルが案内したということは、侍女達はここにいるということに他ならない。
あたしが呆然としている間に、ナイスミドルは扉の前に立っていた同僚に頷き、同僚に扉を開けさせた。まだ年若い同僚は何をいうことなく従順に扉を開ける。
(部屋の持ち主の許可は?ナイスミドル……何気に近衛兵ん中でも身分高い方?)
そしてナイスミドルによる先導で室内に入ったあたしは、自分の予測が正しかったことに衝撃を受けてしまった。
(だって、ねぇ)
室内はかなり広かった。室内のいたる所の装飾は質素に見えてお金がかかっていることがよくわかる。
質の良い、かつ趣味の良い洗練された室内で、窓辺に立つ人物がこちらを向いた。背後に人質役の侍女達を従えたその人物の顔は、逆光でよく見えず、若い男性としか判別できない。
しかし、侍女達が恭しくこうべを垂れていること、身に付けている衣服などから王族と推測が出来た。この貴人が身に付けている衣服の色が禁色の紫だから。
紫という色は、その昔建国時代は作れる量が限られていて、とても貴重だった。ゆえに、紫をまとえるのは自然と王族に限られた。
そして現在、技術は進歩したけれど、王族の象徴として、紫の染料の技術は王族直轄の管理となっている。
そんな昔より厳重に管理された紫の禁色、王族でも前王陛下の直系、前王陛下の御子であらせられる現王陛下もしくは王妹殿下のリュクレース様のみ。
(若い見た目の王族で、禁色の紫を身にまとえる位にいる男性)
あたしは、自分で状況から推測して得た答えに納得しがたかった。しかし先程の茶番劇を鑑みたら、それも頭ん中では納得はできる……できるんだけど、納得したくない。
――だって、だって。
ナイスミドルに従い、最上位の貴人に対する礼をとりながら聞く声は、やはり若い男性のものだった。
「面をあげよ」
よく通る、低いけれど艶のある美声……あれ……ってぇえ、えええ?!
あたしは思わず叫びそうになるのを未然に防いだ。目の前の貴人の位も正直な話、仰天したけどさ?それとは別の意味で、ね?目の前の貴人が―――
(マール?!)
声から男性みたいな声ねー? とか思ったけど。
(男の癖にどんだけ胸もってたのよ!)
あたしよりおっきかった……!
世の中には、腹が立つくらい綺麗な男もいるのね畜生不公平!! 女より綺麗って、偽だろうけどスタイル良かったって……男に負けるなんて、チキショー!
「陛下……」
しかも――まさか、マールが陛下だとは、だれが想像できるってぇのよ!! できないわよ!
王城に勤める多くの者の皆が皆、陛下を一度でも目にしたことがある、というわけではない。同じ奥宮に住まわれるリュクレース様にお仕えする専任侍女であるあたしでも、お会いしたことがない。
だから、“陛下”と対面するのはこのときがはじめてだった。……先にマールとして会ったけど、あれ陛下と認めたくないからカウントしたくないし。
「おもてをあげよ」
「陛下……」
顔をあげれば、窓辺に立つ陛下が少しこちらへ歩み寄るところだった。逆光で見えなかった顔が見えるようになり、中性的な美貌があらわになった。マールのときは化粧をしていたんだろうけど……やっぱりすごい美人。
(リュクレース様と似ていないじゃないのよ?)
含み笑いを浮かべる陛下は、真っ黒なさらさらの短髪に深緑の濃い緑の瞳だった。鼻筋がすっと通り、ぱっちりした大きな目は愛嬌があり、女性のような男性のようなどっち付かずの美貌。
(リュクレース様は、くるくるの金髪に切れ長の晴れた空の瞳の凛とした美女なのよ)
長身と透き通るような白磁の肌、というところしか共通する点がない。
(武に通じてるわりには色が白いじゃないのよ……ほんっと不公平よ)
心中穏やかでないあたしはとことん愚痴った。だって、茶番劇とか、くだらない茶番劇にあたし巻き込むなとか、実は陛下生きてたじゃんまぁ感付いてたけどやっぱねぇ? 人に心配させといてなんなのよ、とかで。そんな感情が渦巻いてんのよ。どうしてくれんの陛下。
(あたしの“陛下”に対する淡い憧れ返してぇえ!!)
あたしは、“武については、右に出る者がいないとまでいわれている武人”な陛下像として、マッチョな美形を想像してたわけ、しかも金髪の。リュクレース様と前陛下は金髪だったから。
(なのに……)
あたしの淡い憧れは打ち砕かれた。茶番劇や下手に似合う女装でさらに評価ぐんぐん低下。
(王宮、辞したくなってきた)
あたしの夢返して。
「イーラ」
「はい、何か御用でしょうか」
うわ、いきなり名前?
(てか陛下近いわ!)
すぐ前にいたナイスミドルはいつの間にかあたしの後ろ(はやっ!)で、目と鼻の先の前方には陛下が。どっち付かずの美貌を自信満々に歪めて(なんか企んでそうなのよ)、あたしをロックオン。じっと見つめてくる(しかも上から)。
あたしものっぽの部類だから、少し目線をあげるだけで陛下が視界に入る。
(なにか企んでる腹黒ないたずら小僧みたいじゃないのよ?今度は何よ?!)
――確か陛下、御年24よね?
「イーラ」
だから、何。
「俺のものになれ」
陛下は、さらりといってのけた。明日の晩餐には肉をメインに使え、というノリで。
(はぁあっ?!)
この爆弾発言に、侍女三人衆が思わずというていで顔をあげ、え? という顔で固まった。あたしももちろん固まった。後方の気配から、ナイスミドルまで固まったみたいだ。
陛下は人の悪そうな笑みを浮かべ、続けてこう発言された。
「イーラ、俺の目となれ、耳となれ」
――はい?
今度はあたしの目が点になった。後方から、ナイスミドルが息をのむのが聞こえる。侍女三人衆は、鳶色の髪のフェンナ(推測)が微かに口をひきつらせただけで、他の二人はこうべを再び垂れたからわからない。
「……おそれながら陛下、わたくしは王妹殿下リュクレース様の専任侍女にございます」
と、あたしは妥当な当たり障りのない返事をしてみた。だって目とか耳とかわかんないし、わかりたくないし。すごく嫌な予感がする響きだしね!
あたしの返答に微かに眉間にシワを寄せた陛下が何かをいおうと口を開いたときだった。
「開けなさい!」
「お静まりを!」
「お黙り!」
扉の向こうがにわかに騒がしくなって、会話が耳に届いた。
(てかこの声まさか)
聞き覚えのある声に驚いて、あたしは振り返りたくなる衝動をこらえた。一応、陛下の御前だし。
「……」
陛下は明らかに不機嫌だ、という顔をして扉に向かって歩き出した。続いて後ろからきびすを返した音がしたから、ナイスミドルも後を追ったみたいだ。侍女三人衆は、ようやくフェンナ(推測)がこうべを再び垂れた。
不穏な空気が流れる中、扉がばこぉん!と嫌な音をたてて、勢いよくかつ乱暴に開かれた。
「兄様ぁあっ!!」
――扉を開いたのは、視察から帰ってこられたであろう王妹殿下・リュクレース様だった。