戦う侍女―前編
「兄さん」
あたしは兄さんに呼びかけた。
あたしと同じ色の真っ赤な短髪、印象の薄い色の瞳。すらりと高い背は灰色の旅人向けのマントに包まれていた。
あたしと似通った点が多い顔は、狂気と正気が見え隠れしている。
兄さんにとっての正気は、あたしにとっての狂気。あたしから見れば確かに狂気なのに、兄さんにとっては狂気――だからこそ、正気と狂気が見え隠れしていた。
兄さんは、宙に浮かんだまま、全く反応がない。
浮かんだり、風を発生させるのが兄さんの力なのだろう。たしか、ばあちゃんから働空力と聞いたことがある。
働空力は、空気に干渉して思い通りに働かせる力なのだという。空気を思い通りに動かし、風を起こしたり、自分を浮かせたりする。兄さんは、そんな異能力の持ち主なのだと。
「聞いたよ、イーラ。蓄音機の力に目覚めたんだって?」
兄さんがこちらを見る。兄さんが浮かべる表情はうっすらとした笑み。
だから、あたしにはわからない。兄さんの気持ちがわからない。
何を考えて、こんなことをしているのか、わからない。何で笑えるのかが。
ううん、違う。あたしは、わかりたくもないんだ。 これはあたしのためだと笑う、その兄さんのこの行動すべてが、思考が。
(ねぇ、兄さん)
兄さんがいっていた、神様の制約、それは先々代の陛下までの世で行われていたということよね。
歴代の王家が、自分達の駒以外になれば“呪い”が降りかかるということ。
兄さんはそれに反対していて、“あたしのため”に国を治すといってる。まるで、病気だから原因となる病巣を切り取るんだよといわんばかりに。
(あたしを幸せにするために、国を治すの?)
それは本当に、あたしのためになるの?
あたしのためを思っての行動につながるの、本当に?
あたしを苦しめないために?
なら、なぜあたしが苦しんでいるのに気づかないの?悩んでいるのに気づかないの?
(兄さん、あたしは嫌だ。国を“治し”たら、みんなが苦しむのよ。)
あたしが忠心を捧げるリュクレース様、あたしを守ると宣言した陛下、理由はわからないけどあたしの味方(?)のキーア。
他にも、侍女仲間や身近な人がたくさんいる。ううん、身近じゃなくても、あたしが原因で国が滅ぼされることがあってはならないわけよ。
ねぇ、兄さん。傾国の原因にすすんでなりたがる人が、どこにいるっていうの。あたしはお断りよ。
「兄さん、それはあたしにとって幸せなんかじゃない」
制約は神様との約束じゃない。王家の呪い。陛下もキーアも、いってたよね?先々代までだって。先代も、現陛下も関係ないって。あたし、信じるよ。守ろうとしてくれた人を、信じるよ。だから、兄さんは信じないよ?
傾国の原因になりたくないし、何よりも守りたいものが守れないのは嫌。
そして、あたしはその力があるのよね?この力、誰も苦しめなくてすむならば、あたしが選択するのはひとつだけ。
「兄さんがあたしのためにしていても」
兄さんは黙ったままあたしを見る。その表情はどことなく、少し寂しそうで――影があるように見えた。
「それがあたしにとっての幸せって限らない。それはただの偽善だよ兄さん。兄さんのためだ。兄さんは、兄さんが“あたしが幸せだ”と思うことをしているだけ。そこにあたし自身が思う幸せは含まれてない。あたしは、“国を滅ぼす”のは望まない!」
兄さんが、顔を少しだけ苦しそうに歪めた。
兄さんは、本当にあたしのためって思ってるんだろう、だからそのあたしに拒否されて苦しいのだろう。
でも、兄さんのしたことは“兄さんが思うあたしの幸せ”だ。決して、あたしの思う幸せじゃない。
あたしは、自分だけのために、自分以外の存在を苦しめたくはない。
兄さんは、王家の駒になってほしくないのだろう、たぶん。先々代の陛下がそうであって、先代も今の陛下も違うといっているけれど、未来はわからないからかもしれない。
でも、兄さん。やっぱり間違ってるよ。
「イーラ!」
あたしは兄さんに近付いた。
後ろで陛下が叫んでいるのが聞こえてくる。いつのまにか、あたしと兄さんを囲むように強い風が吹き荒れている。
だから、陛下も近衛兵の其の三も、他の近衛兵たちも、キーアもあたしたちに近づくことは不可能。
「兄さん」
もし、本当に呪いが、制約がないのなら。神様でなくて、先々代の陛下が決めたことならば。
守るために、力を使っても誰も苦しまないなら。大切な人が苦しまないなら。
力を使うのに躊躇う原因がないのであれば、あたしは迷わずに使う。この異能力を行使する。
「“ ”」
あたしは、“再現”を始めた。
あたしは守りたいから。
あたしは守りたい大切なものを守るため、戦う。
「イーラ」
兄さんが、少し迷いを見せながら、口を開いてあたしの名を呼んだ。
びゅうびゅうと、兄さんの力で生まれた風が荒み、狂い、暴れる音が、あたしの耳に届く。この音でさえ、あたしの武器。あたしの耳に届く音、声、振動はすべてあたしの武器。
あたしたち二人を囲む風はさらに強くなった。
兄さんはゆっくり、ゆっくりと床に降りてきた。見えないなにかに包まれているように、ゆっくりと着地して、改めてあたしを見た。
やっぱ、何を考えているかわからない。とても表情が薄いのだ。
「僕は、いまのイーラにとって幸せじゃなくてもいい」
兄さんはぽつ、と語った。
少し、喜んでいるように見えて……やはりそれどこか歪で、あたしはうすら寒くなった。
でも、あたしは始めかけた“再現”を止める気はない。うすら寒くなろうが、止めない。だって、まだ気付かれていない。気付かれてはいけない。
うすら寒くなったとき、少しあたしの操作内から離れかけたけど、どうにか持ち直した。
「あとから見て、結果幸せでいてくれたらいいんだ」
兄さん、病んでる。
あたしは直感でそう感じた。
口にしてることは、まあ理解できないことはなくはない――理解はしたくない――けど、前後して行う行動がおかしいし、本当にそうなら、行動の仕方が何よりおかしい。
「あたしのことを本当に思ってるの?」
ねぇ、兄さん。
なら、何で。
「そんな力があるなら、何であのときいなかったの。兄さんがいたなら、助かったのに」
あのとき、あの場所で、何で兄さんはいなかったの。皆が――母さんが、父さんが、上の兄さんが、命を落とさなくてよかったはずだ。そんな可能性だってあったはずだ。
家族が命の危機に瀕していたというのに、兄さんはどこで何をしていたの?
ただ、間に合わなかっただけ? なら、何で。
「間に合わなくてもよかった。何故あたしの側へ戻ってきてくれなかったの、何で、今なの!」
何で、今さら。何で今さらここにいるのよ、兄さん。何で今さらあたしに会いに来たの、あたしのとこへ来たの!
あたしは、嫌な予感がしていた。何故か――それは直感で、としかいいようがない。
「何で、って?」
兄さんは、壊れた笑いかたをした。あぁ、兄さん。その先を、いわないで。
「あれは僕が差し向けたんだよ」
「………」
兄さん。あなたは……皆を、家族を……!
「あたしのため、に?」
まさか、まさか。
兄さん。あたしが震えてるの、わからないの? どうしてって叫びたいの、わからないの?! ねぇ、何で笑っているの!
「そうだよ」
兄さんが、にこりと笑った。
(怖い、怖い!)
兄さんが、怖い。この人と血が繋がっているのが、怖い。
「何で……? 何でよ! 何で、父さんを、母さんを、……兄さんを、叔母さんだって、叔父さんだって、お従姉さん、お従兄さんだって!」
当時のマトス家の家族構成は、父さんの家族、父さんの弟家族だった。まだ生まれてきてはいないけど、叔母さんのお腹の中には、従弟か従妹かがいたんだ。
騎士をしていた父さん、叔父さんはあの日、家にいた。皆いたんだ……叔母さん、臨月で、今夜か明日の朝かって話だったから……出産が。
(あたしは、絶対に許せないよ……)
目の前が真っ暗になった。
「どうして? どうしてかって?」
兄さんはくすっと小さく笑った。
「いつまでも王家に縛られている家族って、邪魔だろう」
ほら、と兄さんは指をさした――その先には、こちらに来ようとしている陛下と、おさえている近衛兵。そして、
「お師匠さんだっけ。あの人も、自分が王家にあんなことされたのにね。誘ったときは、顔を真っ赤にして怒鳴ったね。あいつと先代と今代を一緒にするな、だっけ。あいつだけが悪いんだって、関係ないってね」
心が、悲鳴をあげる。受け入れたくない現実に、壊れたいと叫び出す。
どうして、と心が叫ぶ。
許せない、と心が叫ぶ。
怖い、と心が泣く。
現実を受け入れたくない、壊れてしまいたいと心が泣く。
入り混じり、混濁する心をあたしは意思で捻り潰す。
「イーラを縛る――陛下、リュクレース姫、魔女。他にもいるかな? 捻り潰そうか?」
兄さんが、指で潰す真似をした。やめて、やめて、やめて!
「そんなに血相を変えなくていいだろう、イーラ?」
あたしは無意識に唇を噛んだ。視界の端で、お師匠が結界を張り、陛下を殴り付けて、近衛兵になだめられるのが見えた。ついでに、あたしの口から血が垂れるのも見えた。
(あたしには、守りたいものがある)
兄さんとは絶対に相容れない。そして、兄さんはあたしが守りたい存在を傷つける。
――だから。
「兄さん、“聞いて”」
あたしは、蓄音機のスイッチをいれた。
ようやく題名に近づいてきました。
次は、来週中にはあげれたらなと。仕事がいま繁茂期まっただなかですので。
腰痛めました……。