業務改善にも限界があるんだってば ──稼働率上がった?職員の稼働率下がってますけど?
業務改善にも限界があるんだってば
私は特養で働いている。
特別養護老人ホーム。
高齢者の生活の場であり、介護が必要な人たちが日々を送る場所だ。
介護の仕事をしていると、よく聞く言葉がある。
「業務改善を進めましょう」
この言葉自体は間違っていないと思う。
無駄な手順は減らした方がいい。
動線は短い方がいい。
記録は整理されていた方がいい。
重複した作業は無い方がいい。
当たり前の話だ。
私だって、改善できるところは改善した方がいいと思っている。
現場が少しでも楽になるなら、その工夫はやるべきだと思う。
ただ、最近つくづく思う。
業務改善にもげんかいがあるんだってば。
その「限界」を超えた話まで、全部まとめて「まだ改善が足りない」で済まされるのは、かなり雑だと思う。
数年前まで、うちの日中のシフトは5人で回していた。
これを言うと、「昔は人が多かったんですね」と受け取る人がいるかもしれない。
でも違う。
5人というのは、余裕のある人数ではなかった。
あくまで、普通に回すための人数だった。
入浴介助がある。
排泄介助がある。
食事介助がある。
離床と臥床がある。
移乗がある。
コール対応がある。
記録がある。
家族対応がある。
受診の付き添いや情報共有もある。
急変もある。
転倒だって起きる。
認知症の利用者さんの不穏もある。
一人ひとりで対応の濃さが違う。
同じ「食事介助」でも、声かけ中心で見守ればいい人もいれば、全介助の人もいる。
排泄だって、誘導で済む人もいれば、二人介助に近い重さになることもある。
介護の仕事は、部品を流すライン作業じゃない。
相手は人だ。
体調も感情も、その日ごとに違う。
昨日まで歩けていた人が今日はふらつくこともあるし、いつも穏やかな人が急に不安定になることもある。
つまり、仕事量の「見た目」は同じでも、中身は全然同じじゃない。
だから、5人というのは「ぜいたく」ではなく、単に現場を回すための基準だった。
それが今は、3人である。
たった2人減っただけ、と思う人もいるかもしれない。
でも現場にいると分かる。
5人と3人の差は、数字以上に大きい。
2人減ると、単純に2人分の手がなくなるだけじゃない。
余裕がなくなる。
確認が抜けやすくなる。
教える時間が消える。
誰かが他の誰かをフォローする余地が消える。
結果として、事故のリスクも上がる。
そして何より、一人ひとりの身体にかかる負担が急に重くなる。
この2年で、離職者はかなり出た。
入職者がまったく来ないわけじゃない。
採用はある。
でも、長く続かない。
ここもまた、現場にいると理由は分かる。
人が足りない。
余裕がない。
指導の時間がない。
本来なら、新しく入った人には横について、一つひとつ教えるべきだ。
どの利用者さんにどういう声かけが必要か。
どのタイミングで介助に入るか。
どの場面に危険が潜んでいるか。
記録は何を、どこまで、どう残すか。
看護や相談員への報告はどこが線引きか。
そういうものは、紙だけでは教えきれない。
実地で、繰り返し、確認しながら身につけるしかない。
でも、現場の人数がギリギリだと、その「教える」という工程そのものが消える。
「とりあえず見て覚えて」になる。
「あとで説明するね」が、あとでできない。
「分からなかったら聞いて」が、聞く相手も走っている。
それで不安が残らないわけがない。
新人は自信を持てない。
ベテランは余裕がなくなる。
両方しんどい。
そしてまた人が辞める。
これは珍しい話ではないと思う。
多分、介護だけじゃない。
人が足りない職場では、だいたい同じことが起きる。
それでも現場は、かなり頑張ってきた。
ここは強調したい。
私たちは別に、「何も工夫せず、人だけ増やせ」と言っているわけじゃない。
むしろ逆で、かなり工夫してきた。
記録は簡略化した。
申し送りは削った。
口頭で済ませていたものを定型化した。
導線も見直した。
重複していた確認作業はまとめた。
書式も減らした。
やらなくていいことは、かなり削った。
「昔からこうだから」で残っていた仕事も、だいぶ減らしたと思う。
現場の職員は真面目だ。
少しでも楽になるなら考える。
少しでも安全に回せるなら工夫する。
誰かが楽になるなら、自分の手間を一回飲み込んででも仕組みを整える。
そういう積み重ねは、ずっとやってきた。
だからこそ、言いたい。
もうかなり詰めてる。
削れるところは削った。
まとめられるところはまとめた。
圧縮できるところは圧縮した。
それでも仕事量そのものは減らない。
当たり前だ。
利用者さんの生活は減らない。
排泄介助は減らない。
食事介助も減らない。
転倒も、急変も、コールも、忙しいから無しにはならない。
記録だって、「介護だから記録しなくていい」とはならない。
むしろ今は何かあったときに、なぜそうしたか、どう判断したか、何が起きたかを残すことの重みは増している。
人の生活を支える仕事は、効率化だけでは消えない部分がかなりある。
そこを無視して「まだ削れる」と言うなら、それは改善ではなく現実の否認だと思う。
最近、会議や報告でよく出る言葉がある。
「今月は稼働率が上がりました。このまま維持しましょう」
そのたびに、心の中で思う。
は?
施設としての稼働率。
ベッドの埋まり具合。
利用率。
経営指標として見れば、それは大事なんだろう。
空床が減って、稼働率が上がれば、数字としては良い。
それは分かる。
分かるけど、こっちはその言葉を聞くたびに思う。
職員の稼働率、下がってるんですが。
いや、稼働率という言い方すら違うかもしれない。
正確には、職員の身体が壊れてきてる。
腰を痛めた人がいる。
膝が悪い人がいる。
肩が上がらない人もいる。
手首がつらい人もいる。
湿布を貼って出勤するのが普通になっている人もいる。
コルセットを巻いて働いている人もいる。
どっかこっか、みんな壊してる。
完全に動けなくなる手前で、なんとかやっている。
痛み止めを飲んで。
湿布を貼って。
無理の仕方を覚えて。
「ここで休めないから」と、自分の身体を後回しにして。
それでようやく回している。
でも、それは本当に「回っている」と言っていいのか。
数字だけ見れば、施設は稼働しているのかもしれない。
でもその下で、人は確実にすり減っている。
施設の稼働率と、職員の耐久度は別物だ。
ベッドが埋まっていることと、人が持つことは同義じゃない。
なのに会議では、「今月は稼働率が上がりました。このまま維持しましょう」と言う。
その言葉の中には、たぶん現場で身体を壊しながら持たせている人間の話は入っていない。
最近では、残業ありきでシフトが組まれていると感じることも増えた。
突発的に残る、ではない。
最初から、時間内に終わらない前提で組まれている。
どこかで押すことが織り込まれている。
どこかで残るのが当たり前になっている。
でもそれは、もうおかしいと思う。
残業が発生すること自体は、どこの仕事にもある。
問題は、残業が「例外」ではなく「前提」になっていることだ。
最初から足りない。
最初から終わらない。
最初から、現場の善意と体力で埋める想定になっている。
それを「工夫で乗り切る」と呼ぶのは、かなりきれいに言い過ぎだ。
ただの圧縮である。
現場への押し込みである。
もっと言えば、見えない持ち出しだと思う。
人件費を増やさず、時間も増やさず、現場の身体と気力で足りないぶんを補わせているだけだ。
その状態で、さらに「来年度は3人体制を確立するため、まだ業務改善を」と言われる。
本当に、何を確立するつもりなんだろうと思う。
3人で安定して回る体制なのか。
3人で壊れながらも見かけ上は回っているように見せる体制なのか。
後者なら、もうだいぶできている。
さらに何とも言えない気持ちになったのが、浮いた人件費の話だ。
人が減った。
そのぶん、当然、人件費の見え方は変わる。
現場にいる側としては、正直少し期待した。
今この人数で乗り切っている職員に、何かしら還元があるのではないか。
手当とか。
せめて募集や定着のための対策とか。
あるいは教育に時間を割ける仕組みとか。
そういう話が先に来るのかと思っていた。
ところが聞こえてきたのは、ミスト浴の機械導入に舵を切っているという話だった。
設備投資そのものが悪いとは言わない。
ミスト浴が利用者さんにとって快適な面もあるだろう。
身体的な負担軽減につながる場面もあるかもしれない。
入浴介助の一部がやりやすくなる可能性だってある。
でも、思ってしまった。
順番、そっちなんだ。
人が辞めて。
残った職員が無理をして。
新人も定着しにくくて。
教育の余裕もなくて。
残業前提で。
身体も壊していて。
その状態で、浮いた人件費はまず設備へ行く。
もちろん設備も必要だろう。
でも、まずは今持たせている人間への還元が先じゃないのか。
今いる職員がもう無理だとなって辞めたら、機械が入っても回らない。
機械は移乗しない。
機械は不穏対応しない。
機械は家族対応しない。
機械は新人を教えない。
機械は急変時に走らない。
設備は支えにはなる。
でも現場の代わりではない。
土台が崩れかけているのに、上物だけ整えても、長くは持たないと思う。
そしてさらに引っかかるのが、処遇改善手当の話である。
処遇改善。
名前だけ見れば、現場でしんどい思いをしている介護職に対して、少しでも報いるためのものだと思う。
少なくとも現場にいる側の感覚では、そう受け取っている人は多いはずだ。
だから思う。
処遇改善手当って、なぜ他の課にも振り分けるの。
事務職にもなの。
もちろん、施設は介護職だけで成り立っていない。
事務も必要だ。
相談員も必要だ。
看護も機能訓練も必要だ。
それは分かる。
分かるけど、今この現場で一番露骨に身体を削りながら穴を埋めているのは誰かといえば、やっぱり介護職だと思う。
人が減った分を直接かぶっている。
日々の負荷を一番そのまま受けている。
転倒リスクにも、排泄にも、食事にも、移乗にも、全部正面から触れている。
その人たちに向けたはずのお金が、広く薄く散っていく。
制度上どうこうという話以前に、感覚としてかなりしんどい。
現場に向けては「人件費が厳しい」「みんなで頑張りましょう」と言う。
でも処遇改善は薄まる。
現場の人数は戻らない。
残業は減らない。
身体は壊れる。
それでいて「今月は稼働率が上がりました。このまま維持しましょう」。
いったい何を維持するつもりなんだろう。
数字をか。
現場をか。
人をか。
この三つは、同じじゃない。
こういう話をすると、ときどき「でも現場も変わらないと」と言われる。
分かる。
その通りだと思う。
現場も変わらないといけない。
でも、現場はわりとずっと変わってきた。
記録の仕方も変えた。
申し送りも変えた。
業務の組み方も変えた。
余計な確認も減らした。
無駄を削る努力は、ずっとしてきた。
それでもなお、「まだ足りない」と言われるなら、どこかで線を引くべきだと思う。
改善で解ける問題と、改善では解けない問題がある。
重複作業は改善で減らせる。
迷いやムダは改善で減らせる。
属人化も少しは改善できる。
でも、人が必要な仕事の総量は、最後は人でしか受けられない。
人の生活を支える仕事において、最後に残るのは手だ。
目だ。
声かけだ。
判断だ。
その場での対応だ。
そこを全部削り切った先にあるのは、効率化された理想の現場じゃない。
多分、壊れた現場だ。
私は別に、現場だけが正しいと言いたいわけではない。
経営が見る数字が大事なのも分かる。
設備投資が必要なのも分かる。
事務職が必要なのも分かる。
何かを動かすには、お金の制約があるのも分かる。
でも、それでも思う。
今この場で一番先に見ないといけないのは、
「今月の稼働率」じゃなくて、
「今ここで持っている職員が、来月も持つか」じゃないのか。
身体を壊しながら回している人たちがいる。
休めないまま出てきている人たちがいる。
辞めたくても次のシフトを思うと辞めると言い出せない人たちがいる。
新人にちゃんと教えられないことを、申し訳なく思っている人たちがいる。
それでも事故を起こさないように、利用者さんの生活を守ろうとしている。
そういう人たちが今の現場を持たせている。
その人たちに向かって、さらに「改善を」とだけ言うのは、やっぱり乱暴だと思う。
人が5人必要だった仕事を3人で回して。
残業前提でシフトを組んで。
身体はどこかしら壊していて。
処遇改善は薄まり。
浮いた人件費はまず設備へ行き。
数字だけは「良い」と言われる。
それで「このまま維持しましょう」と言われても、こちらは維持される側ではなく、維持させられる側なのだ。
しかも、壊れながら。
業務改善は大事だ。
それは本当にそう思う。
でも、業務改善は万能じゃない。
魔法でもない。
足りない人数を無から生み出す技術じゃない。
壊れかけた身体を治す言葉でもない。
現場の善意を無限に引き出す呪文でもない。
限界まで整えた現場に必要なのは、
さらに「工夫」を求めることじゃなくて、
人を増やすか、
仕事を減らすか、
せめて「これ以上は無理」と認めることだと思う。
できないことをできないと言うのは、逃げじゃない。
それも管理だ。
それも現実を扱うことだ。
数字が上がったことを喜ぶ前に、
その数字の下で何が削れているのかを見てほしい。
人件費が浮いたことを使う前に、
そのぶん誰が身体で埋めたのかを見てほしい。
処遇改善を分ける前に、
誰が一番先に摩耗しているのかを見てほしい。
たぶん現場が欲しいのは、
きれいなスローガンじゃない。
「改善を進めましょう」でも、
「このまま維持しましょう」でもない。
少なくとも私は、そういう言葉より先に、
「今の人数ではきついよね」
「よく持たせてるよ」
「まずそこに返そう」
と言ってほしい。
それだけでも、ずいぶん違うと思う。
現場は、何もしていないわけじゃない。
サボっているわけでもない。
考えていないわけでもない。
むしろ、ずっと考えて、ずっと削って、ずっと持たせてきた。
その先で、それでもなお回らないものを、
全部まとめて「改善不足」にされるのは違う。
もう一度言う。
業務改善にも げんかい があるんだってば。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
正直に言います。
この文章、かなり愚痴です。
現場で働いていると、どうしても溜まるものがあります。
もちろん、介護の仕事が嫌いなわけではありません。
利用者さんと話す時間は好きですし、
「ありがとう」と言われると、やっぱり嬉しい。
それでも、ふとした瞬間に思うのです。
なんでこんなに壊れながら回してるんだろう、って。
腰を痛めた人。
膝を痛めた人。
肩が上がらない人。
湿布貼って出勤する人。
コルセット巻いて動いてる人。
それでもシフトは回る。
回ってしまう。
そして言われる。
「稼働率が上がりました。このまま維持しましょう」
いや、維持してるの、数字じゃなくて人なんですけど。
しかも、その人たちが壊れながら維持してるんですけど。
この文章は、そういうモヤモヤを
「ちょっとだけ言葉にしてみた」だけです。
たぶん、似たようなことを思っている人は、
介護に限らず色んな仕事の現場にいるんじゃないかなと思います。
もし読んでいて、
「あー分かる」
と思った人がいたら、
それだけでこの文章を書いた意味はあったと思います。
現場は、思っている以上に頑張っています。
そして思っている以上に、壊れかけています。
だから最後に、もう一回だけ言わせてください。
本文でも書きましたが。
業務改善にもげんかいがあるんだってば。




