記憶喪失の少年
その日、ヒカルは目を覚ましたら知らない森の中で倒れていた。
木漏れ日が辺りを微かに照らしているが、薄暗く、どこか不気味な雰囲気が漂っていた。
なぜここにいるんだ?自分はここで何をしているんだ?
体を起こし、目を擦って思い出そうとした。
その時、ヒカルは自分の体が傷だらけなことに気が付いた。
転んだにしては随分と傷が多かった。中には何かで斬られたようなものもあった。服もボロボロだった。
ヒカルは周りを見回したが、木と薮しかなかった。人の気配は無い。
こんなところに住んでいた記憶はない。
......記憶?
ヒカルはゾッとした。
『記憶』が無いのだ。住んでいたところも、風景も、家族の顔も、声も、そもそもいたのかも、全て分からなかった。
ヒカルは混乱した。かろうじて名前は覚えていた。
だが、年齢、住所、性別......は見れば分かるが、ほとんどのことが分からなくなっていた。
ヒカルの心を恐怖が覆った。知らない森で記憶をなくした状態で目覚め、どうしろと言うのだろうか。
その時、
ガサッ
背後から音がした。ヒカルは驚いて振り返った。
少し離れたところにある薮。その後ろから、何かがヒカルを見ていた。
全身を覆う赤い鱗、頭に生えた2本のツノ、背中には立派な翼まである。
大きさはタクシーくらい。
その生物は赤い目でヒカルを見つめていた。
ドラゴンだ。
ヒカルは直感的にそう思った。
ゲームとか漫画でよく見るドラゴン。それが目の前にいる。
ドラゴンは一歩前に踏み出した。明らかに、ヒカルをランチにするつもりだ。
ヒカルは慌てて立ち上がった。傷が痛い、記憶が無い、など言ってられない。
ドラゴンに背を向け走り出した。
ドラゴンの咆哮が轟く。
ヒカルはとにかく走った。自分がどこに向かっているのか分からなかったが、とにかく逃げることしかできなかった。
森はとにかく走りにくかった。
隆起した木の根につまずき、何度も転びかけた。
全身の傷が痛い。ヒカルはだんだんと走れなくなっていった。
もうダメだ、走れない。
そう思った時、前方が明るく開けていることに気が付いた。
もしかしたら、農村のようなものがあるかもしれない。
ヒカルはその開けた場所に向かった。
森を抜けた先にあったのは草原だった。
そして、遠くに雲を貫くほど巨大な、レンガの壁が見えた。
明らかに人工物だ。つまり、あそこに人がいる可能性が高い。
ヒカルは壁に向かおうとした。しかし問題があった。
草原だということだ。
隠れる場所がどこにもなかった。ドラゴンはまだ追ってきている。
それどころか、1頭だったのがいつの間にか3頭に増えていた。
体力もほとんど残っておらず、壁のところまで逃げ切れないのが分かった。
隠れる場所も無い。終わった。自分がなんなのかもろくに分からないのに、ドラゴンの昼飯になるのか。
ヒカルは諦め、呆然とするしかなかった。
「こっちよ!」
突然、ヒカルの背後から声がした。
ドラゴンたちは足を止め、声がした方を見た。
1人の少女が走ってきた。ヒカルの前に割り込み、短剣を構えた。
「そこから動かないで」
少女はヒカルに言った。
少女は何かの皮でできた防具を身につけていた。黄色い髪は後ろで1つに束ねてある。
1頭のドラゴンが吠えた。
地面を蹴り、少女に向かって突進する。少女もドラゴンに向かっていった。
そして短剣を振るい、あっという間にドラゴンに無数の傷をつけた。
ドラゴンは悲鳴をあげ、後退りした。後ろの2頭も彼女を警戒していた。
少女は短剣の先をドラゴンに向けた。
ドラゴンは唸りながら短剣の先を見ていた。
やがて3頭のドラゴンは諦めたように背を向け、森の中に消えた。
「なんとかなった......かな」
少女は短剣を下げた。そしてヒカルを見た。
「傷だらけ......早く手当てしないと」
少女はヒカルの傷を見て言った。
「あ、あの......」
ヒカルは少女に言った。
「助けてくれて、あ、ありがとうございます」
すると少女はニコッと笑った。
「別にあのくらい、大したことないよ」
少女は短剣を鞘にしまい、紐で腰に固定した。
「城で怪我、見てもらおう。付いてきて」
少女はヒカルを連れて、壁の方へ向かっていった。




