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「意図主義倫理」vs「感受主義倫理」――SID裁判所における思考の正義
前節では、SID(Synaptic Interface Device)の普及が「思考の開示社会」を到来させ、人間の「無意識の責任」という新たな、そして根源的な倫理的問いを突きつけたことを論じた。
倫理の対象が「行為」から「内心」へと強制的にスライドしたことで、従来の倫理体系は機能不全に陥り、「考えたこと」が「表明されたこと」と同義になった世界で、「正義」をいかに定義するのかという困難な課題が浮上した。
本節では、この極限状況下でSID社会に生まれた二つの主要な倫理的潮流、すなわち「意図主義倫理(Intentionalist Ethics)」と「感受主義倫理(Perceptual Ethics)」の対立を詳細に分析し、SID裁判所における「思考の正義」の探求が、いかに人間の自由と社会の秩序をめぐる新たな戦場となっているかを考察していく。




