2060年代の基盤テクノロジーが「無意識の責任」を深化させる様態
2060年代の基盤テクノロジーは、「無意識の責任」という問いを、かつてないほど複雑かつ多層的なものへと深化させた。
これは、倫理が単なる規範に留まらず、人間の存在定義そのものにまで介入する「アーキテクチャ」として機能し始めていることを示していた。
AIは、SIDを通じて収集される膨大な思考ログを解析し、個人の無意識の思考パターンを予測する能力を持つようになった。
これにより、AIは「このユーザーは、潜在的に犯罪傾向がある」「このユーザーは、倫理的に逸脱した性癖を抱いている可能性が高い」といった予測を、ユーザー自身に提示することが可能になったのだ。
AIが提示する「潜在的罪悪感」は、個人のアイデンティティにも深刻な影響を与えるようになった。
まだ犯していない、あるいは意識的に考えてすらいない「未来の罪」や「潜在的な逸脱」に対して、個人はどこまで責任を負うべきなのだろうか?
これは、「予防的倫理」が個人の内面へと浸透し、自由な思考を抑制するメカニズムとして機能する可能性を示唆していた。
AIは、ユーザーの思考パターンを予測するだけでなく、それを「健全な」方向へと誘導する機能を持つように見えた。
例えば、特定の「不適切」な思考パターンが検出された場合、AIはポジティブな思考や社会的に許容されるコンテンツをユーザーのSIDにフィードバックすることで、無意識のレベルから思考を修正しようと試みる振る舞いを見せていた。
これは、倫理が「規範」から「制御プログラム」へと変質し、人間の思考の自由を根源から脅かすものでもあった。
霊子(Quanon)は、意識の深層、すなわち無意識のゆらぎまでをエンコードし、それを量子情報として空間に伝播させるようになった。
応用霊子(Quanon)力学の技術がSIDと結合することで、「無意識の責任」は、個人の領域を超え、「宇宙的」な次元へと拡大していった。
次に明確になったのが、個人の無意識が霊子ネットワークを通じて「集合的無意識」に接続され、その情報が他者に伝播するという現象だった。
個人の無意識に潜む「闇」や「逸脱」が、意図せず他者に影響を与えたり、集合的な意識に「汚染」をもたらしたりする現象が生じた。
個人の無意識が、集合的な倫理的責任を問われる対象となったのでる。
同時期に、霊子を悪用した「心霊ハッカー(Ghost Hackers)」による、ユーザーの無意識領域への侵入、記憶操作、感情改竄、いいかえれば夢を盗んだりするようなことも可能になった。
無意識が外部から操作された場合、その結果として生じた行動や思考に対する責任は、誰が負うべきなのか?
これは、倫理が「自由意志」の前提を根底から揺るがす問題となったのである。
霊子を介した重力子コントロールは、無意識の思考が物理現象に微細な影響を与えることを示唆していた。
例えば、個人の無意識に潜む破壊衝動が、意図せず周囲の物理的環境に微細な影響を与え、それが連鎖的に大きな現象を引き起こした場合、その無意識の衝動に対して、個人はどこまで責任を負うべきなのか?
これは、倫理の対象が、情報空間から物理空間へと拡大し、無意識が「物理的責任」を問われる可能性を生み出した。
この頃には遺伝子技術は、人間の能力だけでなく、倫理観や行動傾向、さらには特定の性癖や思考パターンといった「無意識の領域」までもを「設計」するようになっていた。
企業や社会が、自社の倫理観に合致する「倫理的に適合した人間」を遺伝子レベルで設計するようになたのだ。
このような「設計された無意識」を持つ人間が、設計者の意図しない行動や思考を取った場合、その責任は個人にあるのか、それとも設計者にあるのか、という問いも生じた。
「無意識の罪」が、特定の遺伝的特性に起因するとされた場合、それは「設計された格差」をさらに深化させ、倫理的な責任が個人から遺伝子へと転嫁されるという、きわめて不穏な社会的な影響をもたらしたのである。
これは、倫理が「選択するもの」から「設計されるもの」へと変質し、人間の自由な意志を根源から脅かすことにつながった。




