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制度的中立性への問い:テクノロジーは「中立」という名の支配者か?結論 規制の焦点の転換――「何を隠すか」から「誰がルールを設計するか」へ

これらのテクノロジーは、しばしば「中立的なツール」であると主張されていた。


しかし、本節で論じたように、AIのアルゴリズム、SIDのプロトコル、霊子技術の応用、遺伝子技術の介入は、実際には特定の企業倫理やグローバル倫理、あるいは多数派の価値観を内包し、それを強制する「支配の道具」として実際には機能していた。


テクノロジーは、その設計思想や学習データ、適用される文脈によって、特定の倫理的価値を内包し、それを社会に伝播・強制する力を持つ。


「技術的解決」が、倫理的課題を「技術的問題」へとすり替え、その本質的な議論を回避する危険性を示唆していたのだ。


センシティブ表現をめぐる規制の歴史は、その焦点が常に変化してきたことを示していた。


初期においては、 「何を描くか」というコンテンツそのものの問題。


中間期では 「どう隠すか」(伏字、モザイク)や「誰に見せるか」(ゾーニング)という流通・提示方法の問題であったものが、AI時代では 「どうフィルタリングするか」(AIの自動検閲、プロンプト制限)という技術的問題となり、SID社会においては 「何を思考するか」(内心の監視)という、存在論的な問題となったのである。


しかし、これらの変化の根底には、常に「誰がルールを設計するのか」という、より根源的な問いが横たわっていた。


倫理を定義する主体は、国家から企業へ、そしてAIへと移行し、最終的にはSIDの「集合的良識プロトコル」へと拡散することとなった。


この問い立て、すなわち「規制を行う主体は何か?」に対する答えこそが、表現の自由の未来を決定することになったのである。


私たちは、もはや規制の「受け手」として沈黙している場合ではない。


創作者は、自身の表現内容だけでなく、その表現を可能にするシステムそのものの設計に、積極的に関与しなければならなくなったのだ。


これは、単なる「抗議」ではなく、「倫理そのものを創造する」という、きわめて挑戦的な役割を担うことを意味していた。


次のセクションでは、この「創作者が制度設計者になる時代」という新たなパラダイムを、より具体的に探求していく。


私たちは、AIが「倫理」を語る時代に、いかにして人間の自由な表現の地平を切り拓いていくか、その方法論を探求しなければならない。


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