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性癖進化史:人間の欲望と技術の相互作用

日本の同人誌文化の黎明期は、第二次世界大戦の終結という、国家と社会が根底から瓦解した混乱期にその芽生えを見ました。


焦土と化した国土、飢えと物資不足の中で、それでも人間は「語りえない欲望」を求め、それを表現しようとする衝動を抑えきれなかったのです。


紙芝居の裏、闇市の隅っこ、そして貸本漫画の狭い世界で、男たちの(そして一部の女性たちの)欲望は、鉛筆と粗末な紙を手に取り、静かに、しかし熱烈な咆哮を上げ始めました。



この時代の性癖表現は、徹底的に「非公然性」を帯びていたのです。


それは社会の表舞台から遠ざけられ、薄暗い裏路地や、ひっそりと貸し出される貸本屋の奥、あるいは隠れて回し読みされる雑誌の隅に追いやられていたのです。


漫画の表現はまだ未成熟であり、特に性的な描写は、現在の私たちから見れば稚拙で、しかしその裏には、当時の作家たちのほとばしるような情念と、社会の抑圧に対する反発が凝縮されていました。


やがて「劇画」と呼ばれるジャンルが勃興すると、その表現はよりリアルに、より生々しく、そしてより暴力的に性的なテーマへと切り込んでいくことになります。


「猟奇」「拷問」「凌辱」といったキーワードが、当時の劇画誌のタイトルや内容を彩り、社会の深層に潜む闇と、人間の倒錯した欲望を容赦なく描き出すようになりました。


この時代の性癖を特徴づけるのは、その徹底的な「秘密性」と「タブー性」だったのです。


作者も読者も、自己の内なる変態性を「恥ずべきもの」「人に知られてはならないもの」「社会から断罪されるべきもの」と認識しながら、同時にそこに強い魅力と、抑圧された自由を見出していました。


羞恥心と罪悪感──それは、当時の変態たちにとって、表現欲と並ぶ、あるいはそれ以上に重要な、裏社会を駆動する燃料なのでした。


社会的な逸脱行為としての性癖表現は、その「恥」や「秘密」そのものが、倒錯的な興奮の一部を構成していたのです。



流通経路も、共有される場も極めて限定的だったため、自分の性癖に共感する者がいるのかどうかは、まるで暗闇を手探りするような状態でした。


特定の性癖を持つ人々が、互いの存在を知る術はほとんどなく、彼らは自身の欲望を孤独に抱え込み、ひっそりと創作活動を行うか、あるいはひっそりと作品を消費するしかありませんでした。


この時代の性癖は、個人の内面に深く根ざした、誰にも触れられない、「個人的な宇宙」として存在していたと言えるでしょう。


社会規範が厳しく、情報が統制されていた時代において、性癖は、その「秘密」であること自体に、ある種の倒錯的な快楽を見出していたとも言えます。


それは、社会の目から隠れることで、かえってその表現の純度と、個人の欲望の深さを増していくという、逆説的な進化を遂げていたのです。



この第一期は、後に続くインターネット時代、そしてAI・SID時代における「性癖の可視化」とは対極に位置しています。


この時代に培われた「隠された欲望」の文化は、後の時代に爆発的な形で表出するエネルギーを内包していたと言えるのです。



1990年代後半から2000年代前半にかけて、インターネットが家庭に普及し始めると、性癖表現を取り巻く状況は、それまでの闇から一転して、突然ひらけた空間へと変貌を遂げました。


ダイヤルアップ接続の遅さに苛立ちながらも、人々は掲示板(BBS)、個人サイト、チャットルームといった匿名性の高いプラットフォームに熱狂したのです。


そこは、これまで個人の「秘密」に過ぎなかった性癖に、突然「他者と出会う窓」を提供することになりました。


「自分の性癖に似た人がこんなにもいたのか!」──この発見は、地滑り的な衝撃を伴い、これまで独りで抱え込んでいた内的な情動が、実は普遍的なものであるという「性癖の水平化」をもたらすことになりました。


匿名の空間で、人々は自身の性癖を臆することなく語り始め、それに対して共感のレスポンスが返ってくる体験は、それまで味わったことのない解放感を与えたのです。


性癖は、もはや「恥」であると同時に「共感のトリガー」へと変貌を遂げたと言えるでしょう。



この変化を象徴するのが、Pixiv、ニコニコ動画、そして2ちゃんねるやSNS(かつてのTwitter、Xなど)における「タグ文化」の台頭です。



「#巨乳より垂れ乳」

「#スパッツの食い込み」

「#生意気な後輩」

「#○○は俺の嫁」

「#催眠洗脳ママ味ゴスロリ」・・・

こうした短いハッシュタグやフレーズは、単なる作品の分類や検索キーワードではありませんでした。


それは、特定の性癖が「共通の言語」を獲得した瞬間であり、そこに「生きてていいよ」「あなたはそのままで良い」と言われたような、圧倒的な安心感と共感が生まれる場を創造したのです。


いわば、変態たちは「名乗る」ことによって、見知らぬ同士が群れを作ることを覚えたのです。


自分の性癖をタグとして明示することで、同じ性癖を持つ者たちと「見つけ合う」ことができるようになったのです。



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この明確な境界線は、コミュニティ内部の結束を強め、外部の批判から内側を守る緩衝材としても機能していました。


共感の輪が広がることで、群れは需要を生み、需要は供給を呼び、やがて同人ショップの一角に「マニア系」という新たなラベルが堂々と踊るようになったのです。


これは、単なるニッチなジャンルの確立に留まらず、社会的なメインストリームとは異なる、「欲望の裏路地」における民主化のプロセスとなりました。



この時期、個々人の倒錯的な情動は、共有可能な文化記号として広く流通し始めます。


それは、「恥」という個人的な感情を、「共感」という社会的な感情へと変換する、錬金術的なプロセスでもあったのです。


性癖は、内面的な宇宙に閉じこもるのではなく、外の世界へと開かれ、他者との関係性の中でその存在を確立するようになりました。


しかし、この時代の性癖の「水平化」は、まだ「表現」の領域に留まっていました。


個人の思考や感情そのものが、リアルタイムで共有される未来までは、まだ距離があったのです。


この第二期は、来るべきAI時代、そしてSID社会における「思考の開示」への、重要な序章となったと言えます。



そして2020年代後半、生成AIが創作を学び始めたことで、性癖の表現環境は再び、しかし根本的に変容することになります。


すなわち、Stable Diffusion、NovelAI、ChatGPTといった画像・文章生成AIが、プロンプトという「性癖の呪文」を打ち込むことで、秒単位で理想のシーンやキャラクターを出力し始めたのです。



これは一見すると、性癖を抱える創作者にとって楽園のようにも思えました。


「こういうのでいいんだよAIくん、ありがとな……」

「それだ! それを描いて欲しかったんだよ!!」

「えっ、ちょ、どこで学んだそのケモナー耳ピアス汗だくラグビー部設定!?」

これまで自身の技量や時間では不可能だった妄想の具現化が、驚くほど手軽に実現しました。


性癖は、もはや「描く能力」に制約されることなく、「言葉にする能力」と「プロンプトの熟練度」さえあれば、誰でも召喚できる時代になったのです。


これは、創作のプロセスにおける人間の介入点を、「身体的労働」から「思考の言語化」へとシフトさせる、決定的な変化であったと言えましょう。



しかい、この熱狂の裏で、倫理フィルターという新たな監視の目が生まれました。


AIは、倫理基準を持たない代わりに、誰かの倫理で止められる道具だからだです。


AIはユーザーの利便性を追求する一方、その背景には、企業のイメージ維持や法規制、経済的利益といった資本主義的要請が常に存在していました。


「この生成物は、当社の倫理ガイドラインにより禁止されています」という冷徹な表示は、創作をめぐる新たな経済的検閲の始まりを告げたのです。


AIは、「資本の使徒」として、表現の自由と欲望の間に立ちはだかることになりました。



そして、2058年のSID社会において、この問題はさらに深化しました。


人間の思考そのものがネットワークに接続され、内部の欲望がリアルタイムで可視化・解析されうる時代において、性癖は「表現の死刑宣告」に留まらず、「思考への社会評価」の対象となったのです。


AIはあなたの「思考のクセ」を学習し、SIDはあなたの内なる欲望を「データログ」として保存します。


これは、あなたの内心が、常に「集合的良識プロトコル」という見えない監視の目に晒されることを意味しています。


この状況は、性癖を「説明しすぎると死ぬ」と同時に「言葉にしないと届かない」という、究極のパラドックスに我々を直面させました。


自己検閲と外部からの監視の中で、変態たちの内なる情動は、新たな生存戦略を模索し始めました。


かつて「秘密」であった性癖は、SIDによって「共有されうるもの」となり、その共有可能性こそが、新たな倫理的重みとして圧し掛かるのです。


続く第三期は、技術が人間の内面へ深く侵入し、欲望そのものが管理・最適化の対象となる時代となりました。


しかし、この極限の状況だからこそ、人間の「けしからん」衝動は、その真価を問われることになったのです。


AIがどんなに進化しようと、SIDがどんなに意識を透明にしようと、人間の根源的な欲望は、果たして完全に制御されうるのか?


この問いこそが、次の時代における創作の最前線を規定するということです。


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