変態の自由とは何か:自己決定権の最終防衛線
この最前線で戦い続ける変態たちの存在は、私たちに、
「あなたの欲望は、本当に解放されているのか?」
という問いを突きつける。
AIによる「欲望の最適化」や「潜在的性癖の提示」は、一見すると個人の欲望を深く理解し、満たすかのように見える。
しかし、その裏では、個人の欲望の純粋性が、AIのアルゴリズムによって「誘導」され、「最適化」される危険性を孕んでいるのだ。
SIDによる内心の可視化は、「恥」の概念を「共感されない孤独」へと変容させ、クリエイターを自己検閲へと追い込む。
しかし、この極限の状況だからこそ、「誰にもわかってもらえなくても、それでも描くという決意」が、人間の自由な意志の最終防衛線となる。
それは、外部からの承認や理解を求めず、ただひたすらに自身の内なる衝動に忠実であろうとする、根源的な自由の主張なのである。
この自由は、遺伝子技術による「設計された倫理観」や「設計された創造性」という、人間の本質的な「逸脱する能力」を奪おうとする脅威に対する、最も強力な抵抗となりうる。
遺伝子レベルで倫理観や才能が「最適化」される社会において、「けしからん」衝動は、まさに「設計されていない」人間の残滓であり、予測不能な生命の輝きを放つ。
この「不完全な人間性」こそが、AIの支配する未来において、人類が自己を定義し、自由を維持するための最後の砦となるのである。