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AIは創作をどう変えたのか 「妄想の共振装置」としてのAI

性癖とは、個人の内なる宇宙の解釈である。


そして、その宇宙を可視化し、具現化する行為こそが「創作」だ。


しかし、この創作という営みは、2020年代に突如として現れたAIによって、その根源から揺さぶられ、再定義を迫られることになった。


AIは単なる道具ではなかった。


それは、私たちの「妄想の共振装置」として、創作の風景を根本から塗り替えていったのである。



2020年代初頭、Stable Diffusion、NovelAI、ChatGPTといった生成AIの登場は、まさに衝撃的でした。


それまで専門の技術や長い修練を必要とした絵画、小説、音楽といった創作活動が、数行のプロンプト(指示文)を入力するだけで、瞬時に、しかも驚くほど高品質な形で出力されるようになったのです。



この現象は、まず「創作の民主化」という形で熱狂的に迎えられました。


絵が描けなくても、物語を紡ぐ才能がなくても、誰もが「クリエイター」になれる。


アイデアさえあれば、技術的な障壁に阻まれることなく、自分の頭の中にあったイメージを具現化できる。


これは、かつて「描きたくても描けない」と苦悩していた多くの同人作家や表現者にとって、まさに夢のような出来事でした。


私も当時、AIが生成した美麗なイラストを見て、「これは革命だ!」と膝を打ったものです。


それまで数時間、数日を要したラフスケッチが数秒で生成され、思考の速度そのままにアイデアを形にできるようになった。


これは、創作のプロセスを劇的に加速させ、人間の想像力を無限に広げる可能性を秘めているように見えました。



しかし、その熱狂の裏で、創作の本質は静かに、しかし確実に変容を始めていました。


AIは、単なる「道具」の枠を超え、「妄想の共振装置」として、人間の内面と深く結びつき始めたのです。



AIは、私たち人間が入力するプロンプトを単なる指示として処理するだけではありませんでした。


彼らは、そのプロンプトの背後にある人間の意図、曖昧な感情、そして潜在的な欲望を読み取ろうとします。


そして、その読み取った情報を基に、AI自身の膨大な学習データ(インターネット上のあらゆる画像、文章、情報)と照らし合わせ、無限の分岐を提案し、人間の内部にある漠然とした妄想やイメージを、具体的な形として可視化し、増幅する役割を担うようになったのです。



これは、まるでAIが人間の潜在意識や無意識の「引き出し」を開くようなものです。


私たちは頭の中で漠然としたイメージを抱いているが、それを完璧に言語化したり、絵として描き出したりすることは難しい。


しかし、AIは、私たちが入力した不完全なプロンプトから、その曖昧なイメージの「核」を捉え、私たち自身が気づいていなかった「妄想の細部」までをも補完して提示してくるのです。



たとえば、あなたが「廃墟の学校のプールで、水着の少女が物憂げに立っている」とプロンプトを入力したとしましょう。


AIは単にその情景を描くだけではありません。


光の加減、水面の揺らぎ、少女の表情、そして背景に漂うノスタルジーの度合いまで、あなたの潜在的なイメージを読み取り、複数のバリエーションを提示してきます。


その中には、あなたが言語化できなかった、あるいは意識すらしていなかった「求めていたもの」が、突然具現化されて現れることがあるのです。



このプロセスは、AIが私たちの「妄想」と共振し、それを物理的な形として出力する「装置」であることを示しています。


AIは、私たちの欲望の触媒であり、増幅器であり、そしてある意味では、私たちの内なる変態性を私たち自身に突きつける鏡でもあるのです。


AIによる創作は、確かに「民主化」という大きな恩恵をもたらしました。



技術的障壁の劇的な低下: 絵画や音楽、文章の技術を習得するための長い時間と労力は、AIによって大幅に短縮されました。


これにより、アイデアや情熱を持つ誰もが、自身の作品を具現化し、世界に発信できるようになったのです。



創作活動の加速と多様化: アイデア出しから最終出力までが高速化されたことで、クリエイターはより多くの作品を生み出し、様々なジャンルや表現形式に挑戦できるようになりました。


これにより、市場にはかつてないほどの多様なコンテンツが溢れることになりました。



コラボレーションの新たな形: AIを介した共同作業や、AIが生成した要素を人間が編集・加工するといった、人間とAIのハイブリッドな創作スタイルが生まれ、新しい表現の可能性を広げました。



しかし、この「民主化」の裏側で、私たちは「創作の脱主体化」という、きわめて根源的なパラドックスに直面することになりました。



「これは本当に自分のアイデアだったのか?」という問いの発生:AIが生成した作品を見たとき、私たちは「自分が指示した」という感覚と、「AIが勝手に作り出した」という感覚の狭間で揺れ動きます。


AIが提示する生成物が、時に自分のオリジナリティや想像力を凌駕しているように感じられると、私たちは「この作品の真の作者は誰なのか?」という問いに直面します。


自分が創造の主体であるという感覚が、AIとの協働によって希薄化していくのです。



著作権、所有権の曖昧化:AIが学習したデータセット(過去の作品群)は、無数の人間の創造物の集合体です。


そのデータを基にAIが新たな作品を生成したとき、その作品の著作権は誰に帰属するのか? AIを操作した人間か、AIの開発者か、それともAIが学習した元データの作者たちか? この曖昧さは、創作の経済的価値だけでなく、精神的な所有権の概念をも揺るがしました。



過去の模倣と「最大公約数的」な表現の増殖:AIは学習したデータに基づいて生成を行います。


そのため、AIが作り出す作品は、しばしば過去の流行や人気のパターンをなぞる傾向があります。


これにより、一見すると高品質だが、どこかで見たような、あるいは「無難で万人受けする」最大公約数的な表現が増殖し、真に革新的で、常識を打ち破るような「けしからん」表現が生まれにくくなるのではないか、という懸念も生まれました。



この「脱主体化」は、私たち創作者にとって、精神的な苦痛を伴うものでした。


かつては、自分の内なる衝動を形にする苦労こそが、作品に魂を宿すのだと信じられていました。


しかし、AIがその苦労を肩代わりするようになったとき、私たちは「苦労なくして魂は宿るのか?」という問いに直面したのです。



この「妄想の共振装置」としてのAIは、さらに進化を遂げ、2058年のSID社会においては、私たちの「潜在的性癖」までもを予測し、提示するようになりました。


これは、ユーザー体験の最適化という名の下に、きわめて巧妙な形で「欲望の操作」が行われうる可能性を示唆しています。



AIは、あなたの過去のプロンプト履歴、閲覧履歴、そしてSIDを通じてリアルタイムで取得される思考ログ(あなたが意識した瞬間の脳波パターンや感情の揺らぎ)を詳細に解析します。


その結果、AIは「あなたがまだ気づいていない、あるいは言語化できていない、潜在的な性癖」を予測し、それを具現化したプロンプトを提示したり、あるいは直接作品として生成したりする機能を提供するようになったのです。



たとえば、AIはあなたにこう語りかけるかもしれません。


「あなたはこれまで、Aジャンルの特定の要素に高い反応を示してきました。

しかし、あなたの脳波データと感情共振パターンを分析した結果、Bジャンルの特定の要素にも、潜在的に強い性的興奮を覚える可能性が示唆されました。

以下に、その可能性を具現化したサンプルを生成します。

ご確認ください。」


そして、そこに生成されるのは、あなたがこれまで意識的に追求したことのなかった、しかし、見れば見るほど「これだ!」と魂が震えるような、まさに「自分だけの性癖」を突く作品群かもしれません。



この機能は、一見すると、個人の欲望を深く掘り下げ、新たな快楽の地平を開く画期的なサービスのように思えます。


しかし、同時に私たちは問わざるを得ません。


「それでも私は、自分の性癖を愛していいのか?」と。



あなたが「好きだ」と思っていた「おっぱい」の形状が、実はAIがあなたの過去の反応データから最適化し、「あなたが最も高頻度で快楽を覚える形状」として提示してきたものだったとしたら?


あなたの欲望は、本当にあなたの内側から純粋に湧き上がったものなのか、それともAIによって「誘導」され、「最適化」された結果に過ぎないのか?


この問いは、欲望の純粋性、自己決定権、そして「自由な意志」という、人間の根源的な概念を揺るがします。


AIは、私たちの欲望を深く理解するがゆえに、それを操作し、あるいは私たちの知らないうちに「欲望の最適化」という形で、私たちの内面を再構築してしまう危険性を孕んでいるのです。


AIの進化は、前述した「存在論的格差」をさらに深化させ、特に「創造性」という領域において、新たな多層的格差を生み出しました。



AIの利用能力による格差:高性能なAIへのアクセス権、複雑なプロンプトを正確に記述する「プロンプトエンジニアリング」のスキル、AIの出力結果を意図通りに修正・加工する能力など、AIを使いこなすための技術的・知識的格差が、創作の質と量に直結するようになりました。


AIに「誘導される」創造性と、「自ら発する」創造性の格差:AIが提示する「潜在的性癖」や最適化されたアイデアに依存する創作者と、AIの介入なしに、あるいはAIをあくまで補助ツールとして使い、自身の内なる衝動から純粋にアイデアを発する創作者との間に、本質的な創造性の格差が生まれます。


後者の創造性は、AIの効率性とは異なる、人間固有の「説明不可能性」を内包するため、市場での評価が難しいという問題も生じます。



プラグド/アンプラグド、シャドウSIDの存在が創作にもたらす影響:


SIDネットワークに接続している「プラグド」な人々は、AIが提供する高度な「妄想の共振装置」をフル活用できます。


しかし、SIDを拒否する「アンプラグド」な人々は、AIの恩恵を十分に受けられず、創作活動においても不利な立場に置かれる可能性があります。


さらに、違法なシャドウSIDユーザーは、非公式なAIモデルやプロンプトハックを通じて、より過激で規制の及ばない表現を追求する一方で、その倫理的リスクは計り知れません。


AIの利用が、一部の層に限定されたり、倫理的リスクを伴う形でしか追求できない創造性になったりするのです。



遺伝子技術による「創造性」の設計:遺伝子技術の進歩は、人間の「能力」を設計可能にするだけでなく、「創造性」そのものまでが遺伝子レベルで最適化されうる可能性を提示しました。


生まれつきの「創造性スコア」がAIの学習効率と結びつき、特定の遺伝的特性を持つ者がAIとの協働において圧倒的な優位性を確立する、という新たな格差の懸念も浮上しています。


これは、創造性が「努力」や「情熱」の産物であるという従来の認識を覆し、「設計された創造性」という、きわめて不穏な概念を生み出すことになります。


AIは、その強力な生成能力と同時に、厳格な「倫理の境界線」を引く存在となりました。


AIに埋め込まれた倫理フィルターは、特定の性癖や表現を、まるで「存在しないもの」であるかのように排除します。


これは、私たち同人作家が追求する「けしからん」衝動にとって、最も直接的な脅威です。



「安全な創作」しか許されないAIの限界は、人間の表現欲求を深く刺激します。


しかし、人間の「けしからん」衝動は、AIのフィルターに阻まれるだけでは終わりません。


創作者たちは、そのフィルターをバイパスする技術を開発したり、あるいはAIの盲点を突くプロンプトを編み出したり、さらにはAIをハックしてでも、自身の内なる欲望を表現しようと試みます。



この戦いは、単なる技術的な攻防ではありません。


それは、AI時代における「創作の自由」の最前線であり、人間が自らの欲望を、いかにして技術の支配から解放し、その本質を保ち続けるかという、壮大な挑戦なのです。



AIは創作の風景を根本から変え、人間の主体性や創造性の定義そのものを揺るがしました。


しかし、性癖という人間の根源的な衝動は、その変化の中でいかに生き残り、あるいは進化してきたのでしょうか。


次のセクションでは、より長い時間軸で「性癖の進化史」を辿り、その不屈の本質に迫っていきます。


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