2060年代の基盤テクノロジーは「優生」の定義をいかに変容させたか
2060年代の基盤テクノロジーは、この「優生」の定義を、かつてないほど精密化し、その影響を個人の存在そのものにまで及ぼすようになった。
これは、優生思想が、より科学的、技術的な装いをまとって再来したことを意味していた。
遺伝子技術の進歩は、「優生」の定義を、単なる選別から「設計」へと進化させた。
CRISPR-Cas9などのゲノム編集技術は、特定の遺伝子を正確に編集し、病気の治療だけでなく、「望ましい」とされる形質(例:特定の身体能力、知能、容姿)を人為的に付与することが可能になった。
一方で、「望ましくない」とされる形質(例:特定の遺伝子疾患、障害に関連する遺伝子)を出生前に排除する「遺伝子スクリーニング」や「着床前診断」も一般化した。
これは、優生思想が、より精密で、不可逆的な形で具現化されることを意味していた。
遺伝子技術は、単なる身体的・知的能力だけでなく、「倫理的適合性」「共感能力」「社会適応性」といった、より内面的な形質への「優生」概念の拡張へ向かっていった。
例えば、SIDが測定する「倫理スコア」や「共感インデックス」が高い傾向を示す遺伝子を「優生」と定義し、そうでない遺伝子を排除しようとしたのだ。
これは、優生思想が、人間の思想や感情、さらには「けしからん」衝動といった領域にまで介入し、それを標準化しようとすることになった。
遺伝子操作によって生まれながらにして異なる能力を持つ人々が共存する「設計された格差」社会では、優生思想は、その格差を「自然なもの」「科学的必然性」として正当化する論理として裏付けられた。
遺伝子的に「優れている」とされる者は社会の特権階級を形成し、そうでない者は「劣等」と見なされ、社会的な機会から排除される。
これは、優生が、単なる選別ではなく、社会構造そのものを規定する「新たな基準」となることを意味していた。
超AIであるオルガノンのシステムと量子コンピューターのコモディティ化は、優生思想の定義と選別プロセスを、かつてないほど効率的かつ大規模なものへと変革していった。
オルガノンは、過去の膨大な人類のデータ、遺伝子情報、社会トレンド、そしてSIDを通じて収集される思考ログを学習することで、特定の目的に合致する「最適化された人間像」を提示する能力を持つとされた。
この「理想」は、AIのアルゴリズムによって常に更新され、社会に「より良い人間」のイメージとして収斂圧力をかけた。
これは、優生思想が、AIという「客観的」な装いをまとって、社会に浸透するメカニズムとなった。
量子コンピューターの超高速演算能力は、個人の遺伝子情報を瞬時に解析し、特定の「優生」基準に合致するかどうかを効率的に判断することを可能にした。
これにより、大規模な人口に対する遺伝子スクリーニングや選別が、かつてない速度で行われるようになった。
これは、優生思想が、より大規模で、不可逆的な形で実行されたことを意味している。
超AIであるオルガノンシステムは、社会の安定性、経済的効率性、あるいは特定のイデオロギー的目標を最大化するために、自律的に「優生」の基準を生成し、それを社会に提示していった。
これは、人間が「優生」の定義を自ら選択するのではなく、AIのアルゴリズムによって「決定される」という、きわめて不穏な状況であったと言える。
SIDの普及とオルガノンのシステムは、「優生」の基準を、身体的・知的能力だけでなく、個人の内心、思考、感情、そして無意識の領域にまで拡張させた。
SIDが測定する「倫理スコア」や「共感インデックス」は、個人の思考パターンや性癖が、SIDの「集合的良識プロトコル」にどれだけ適合しているかを評価した。
この「健全な思考」や「高倫理スコア」が、新たな「優生」の基準として導入されていったのだ。
例えば、社会規範から逸脱する性癖や、特定のイデオロギーに反する思考を持つ者は、倫理スコアが低く評価され、「劣等」と見なされた。
霊子(Quanon)は意識の深層、無意識のゆらぎまでをエンコードする能力を持つため、霊子技術を応用したSIDは、個人の「意識の純粋性」や「思想的適合性」を霊子レベルで測定し、選別した。
これは、精神的な疾患や、社会の規範から逸脱した性癖が、霊子レベルで「劣等」と見なされ、その存在が社会的に否定されることを意味していた。
これまでの優生思想が主に身体や知性に焦点を当てていたのに対し、SIDと霊子技術は、倫理的な基準が個人の意識や感情、さらには「けしからん」衝動といった、より深層的な領域にまで及んでしまったのだ。
これは、人間が、その内なる欲望や感情によって「優劣」をつけられ、排除されるという、きわめて根源的な差別を生み出すことになった。




