ヒトの歴史は進化の歴史に対して短すぎる:優生思想の進化論的短絡性
人類の文明史は数千年単位だが、生物進化のスケールは数万年、数十万年、数百万年といった途方もない時間を要する。
この圧倒的な時間的スケールの差を無視して、ヒトのきわめて短い期間の価値観で「優劣」を定義し、遺伝子を操作しようとすることは、進化論に対する根本的な誤解であり、きわめて短絡的かつ傲慢な行為である。
優生思想は、ダーウィンの進化論における「自然選択」や「適者生存」の概念を都合よく解釈し、人類が自らの手で「より良い種」を作り出すべきだと主張する。
しかし、進化の本質は、「多様性」と「環境への適応力」にある。
生物集団が多様な遺伝子を持つことは、予期せぬ環境変化や新たな病原体の出現に対して、種全体が生き残るための重要な戦略だ。
特定の形質のみを「優生」として選択し、他の形質を排除することは、遺伝的多様性を著しく損ない、結果として種全体の適応度を低下させるリスクを持つことを忘れてはいけないだろう。
進化は、特定の環境に適応した個体が生き残るプロセスであり、「絶対的な優劣」は、そこに存在していない。
例えば、ある環境で「劣っている」とされた形質が、環境が変化した際に突如として「最適」な形質となることは珍しくないからだ。
厳しい寒冷期が来れば、昨日まで「劣等」とされた遺伝子が突然「最強」になるかもしれないということだ。
現代社会で「優れている」とされる知性や身体能力が、未来の未知の環境(例:宇宙空間、AIが支配する世界・感覚器官や認知器官が拡張された世界など)において、必ずしも最適であるとは限らない。
優生思想が目指す「完璧な人間」とは、多くの場合、その時々の社会が求める特定の基準(例:高IQ、健康、美しさ、特定の才能)に最適化された人間のことだ。
そのような「完璧」な人間が、数千年後はもちろん、数百年、数十年後、の未知の環境(例:AIが人類の知性を凌駕する世界、地球外移住、新たなパンデミック)に適応できる保証はどこにもない。時代の変化や環境変化の激しい期間であればわずか数年で機能不全に陥る可能性のほうが高い。
むしろ、画一的な遺伝子プールは、予期せぬ変化に対して脆弱であり、人類全体が絶滅するリスクを高める。
進化は、予測不可能な未来に対する、種の「保険」としての多様性を必要としているのである。




