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人類の脳を量子コンピューターとみなす試み:意識の究極的拡張と存在論的変容
前節では、SID(Synaptic Interface Device)が構築した「思考の開示社会」において、「集合的無意識」がいかにデータベース化され、それが「監視」と「解放」という二重の側面を持つことを論じた。
倫理が「共有可能性」に基づく可塑的なプロトコルへと変容し、個人の境界が溶解する中で、私たちは人類の意識の未来に対する、きわめて根源的な問いに直面している。
本節では、この問いをさらに深掘りし、「人類の脳を量子コンピューターとみなし、それらを大規模情報処理装置としてネットワーク化する」という、2060年代に本格化したきわめて挑戦的な科学的試みに焦点を当てる。
これは単なる技術的野望ではなく、人間の意識、知性、そして存在そのものの定義を根底から揺るがし、根源的かつ多層的な格差を生み出す、究極の思想的・倫理的課題である。




