2060年代の基盤テクノロジーが企業倫理をいかに強化したか:存在論的支配へ
2060年代の基盤テクノロジーは、この企業倫理による表現の支配を、かつてないほど強化し、その影響を個人の思考や存在そのものにまで及ぼすようになった。
これは、単なる「コンテンツの検閲」を超え、「人間存在の定義」そのものを企業倫理の枠組みに組み込もうとするものであった。
AIは、企業倫理を単なる方針としてではなく、アルゴリズムとして内包し、自動的・大規模に表現を検閲するようになる。
AIの判断は、膨大なデータに基づいているため、一見すると客観的で公平に見えるが、その学習データには、決済会社が「不適切」と判断した過去のコンテンツ傾向や、特定の文化圏の倫理観が深く反映されていた。
AIの判断プロセスは多くの場合ブラックボックス化されており、なぜ特定の表現がブロックされたのか、クリエイターが明確な説明を得て異議申し立てを行うことは極めて困難であった。
AIは、もはや単なるツールではなく、「企業倫理の執行者」として機能し、その判断は、人間の倫理的判断を凌駕する絶対性を持つかのように振る舞っていた。
SIDの普及は、企業倫理の監視対象を、表現されたコンテンツから、個人の思考や感情、さらには潜在的な欲望へと拡大させたのだ。
企業は、SIDを通じて得られるユーザーの思考ログや「共感インデックス」を「潜在的リスク」として評価し、これを自社のサービス利用規約に組み込む。
例えば、ユーザーの内心が企業倫理に反する「危険な思想」や「不適切な性癖」を示唆すると判断された場合、そのユーザーは、サービス利用の制限、アカウント凍結、あるいは関連する経済活動からの排除といった制裁を受けたのである。
これは、ユーザーの内心が企業倫理の監視対象となり、表現の前の段階での自己検閲を誘発するという、極めて深刻な問題を浮き彫りにした。
企業は、もはや「思想の警察」として機能し、ユーザーの「思考の自由」そのものを脅かす存在となっていたのである。
霊子技術は、意識と物理現象を結びつけていた。
この技術が企業倫理と結びつくことで、企業は単なる情報空間だけでなく、より根源的な存在領域にまで影響を及ぼすようになった。
霊子ネットワークを通じて「倫理違反」が検出された場合、企業がユーザーの物理的アクセスや活動を制限する、といったことが増えたのだ。
例えば、企業倫理に反するコンテンツを制作するクリエイターが、霊子技術を応用した特定のリソース(例えば、高度な3Dプリンター、特定素材の供給、物理的な作業空間など)を利用できなくなる、といった事態である。
これは、経済的検閲が、物理的な存在や活動にまで介入するという、新たな次元の支配を示唆していた。
重力子物理学の応用は、物質の動きや空間そのものを制御するようになった。
企業がこの技術を倫理的判断と結びつけることで、特定の倫理基準に合致しない活動を行う個人や集団に対して、物理空間やリソースのアクセスを制限する、といった極端なシナリオが実行されたのだ。
例えば、企業倫理に反する同人イベントが、特定の物理空間(会場)を借りられなくなるだけでなく、その空間へのアクセス自体が重力子技術によって制限される、といった事態である。
これは、企業倫理が、物理的な現実空間にまでその支配を拡大するという、きわめて不穏な現象を示している。
また、遺伝子技術によって、人間の倫理観や行動傾向が「設計」されうる未来がは、企業倫理にとって究極の目標となった。
企業は、自社の倫理観に合致する「設計された労働者」や「設計された消費者」を求めるようになってしまったのだ。
これにより、企業倫理が社会の倫理を「下方修正」し、多様な倫理的価値観を排除する危険性が増した。
これは、倫理が「選択するもの」から「設計されるもの」へと変質し、人間の自由な意志を根源から脅かすことにつながった。
このプロセスは、人類がこれまで培ってきた倫理的多様性、そして「けしからん」という逸脱の可能性を、遺伝子レベルで根絶しようとした。
これらの技術的要素は、企業倫理による排除が、単なる経済的損失に留まらず、社会参加の機会、情報へのアクセス、さらには「存在」そのものにまで影響を及ぼし、多層的な格差を深化させることを意味していた。
この多層的格差は、従来の貧富の差や機会の不平等を超え、個人の思想や内面のあり方、そしてその存在の許容範囲にまで及ぶ、きわめて根源的な差別を生み出したのである。