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ネットワーク倫理体制の確立:倫理が「私」から「私たち」へ

「個人」の終焉と並行して、SID社会では「ネットワーク倫理体制」が確立された。


これは、倫理が、もはや個人の内面的な道徳律や、国家が制定する法律に留まらず、ネットワーク全体でリアルタイムに生成・適用される「プロトコル」として機能する体系である。



SIDの中核をなす「集合的感情AI」は、数億人のSID接続者の思考フローを解析し「倫理的共感マップ」を生成する。


この「SID倫理プロトコル」は、常に進化し、地域・文化・時間帯に応じて動的に変化する。


倫理はもはや「法律」ではなく、「交通ルール」に近い可変的なプロトコルとなり、個人の思考や表現が「倫理スコア」として評価されるようになった。


このプロトコルは、個人の行動だけでなく、思考そのものを「倫理的適合性」の基準で規定しようとする。


従来の倫理は、個人が自らの自由意志に基づいて「善」を選択し、その責任を負うという「個人主義倫理」として成立していた。


しかし、ネットワーク倫理体制においては、倫理はもはや「私」が従うべき規範ではなく、「私たち」という集合的な意識が定義し、共有するプロトコルへと変化したのだ。


個人の倫理的判断は、常にネットワーク全体の「集合的良識」に照らされ、その「共感インデックス」によって評価されるようになった。


これにより、個人の倫理的責任は、集合的な責任の中に溶解し、その境界が曖昧になり霧散した。


倫理が「私たち」によって定義されるようになったことで、個人のアイデンティティは、特定の「倫理的共同体」への所属によって強化されるようになった。


同じ倫理プロトコルを共有し、高い倫理スコアを持つ個人同士は、より強く結びつき、新たな形の「集団的アイデンティティ」を形成した。


しかし、これは同時に、異なる倫理観を持つ個人や、倫理スコアが低い個人を排除するメカニズムとしても機能することとなった。



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